教祖像と伝えられている絵は数種類あるが、その一つ。大阪の絵師が教祖の所に通って描いたと伝えられている。実物は掛け軸に表装してあり、10月の金光大神大祭時などに金光図書館展示室に於いて公開されることがある。もっとも、教祖直信佐藤範雄が、『教祖には写真も画像も木像もなし。これは、教祖が、「形に目をつけてはならぬ」とお許しにならず。(金光教典「内伝」)』と伝えていて、その扱いはどこまでも伝承の物に過ぎないこととなっている。

 

金光大神覚
 明治7年(1874)から教祖自ら執筆を始められた自伝。幼少の頃からの様々な思い出や事跡が綴られている。ここでは現代語に訳してみた。

お知らせ事覚帳
 慶応3年(1867)頃からの執筆と考えられている。神からの「お知らせ」を中心にした記述に止まらず、家族も知りえなかった事跡をも詳細且つ赤裸々に綴った日記とも言えるもの。
安政4年(1857)から死去19日前(明治16年(1883)9月21日)までを記述。

教祖の教え抜粋集『天地は語るー金光教教典抄ー』より
 教祖死後、直信たちなどから聴取した教祖生前の教えをまとめた「御理解集」から抜粋したもの。

学びと信心 教祖の人間基層
 
教祖の時代の日本人と教科書

 

工事中