【地の章】
前人未到の道
合楽理念とか合楽示現活動とか、「合楽」というのは、地名を現わしたのではなくて、これは神願ですね。これは教祖のみ教えをひもとくと「あいよかけよ」とか「親にかかり子にかかり」というような言葉に出てくる、「あいよかけよ」と「親にかかり子にかかり」というようなものを合わせたのが合楽なんです。ですから合楽理念というのは、天地の親神様が助かって下さり、私共が助かって行く、神様と私共がお礼を言い合う、拝み合うというか、そういう金光教の信心の世界の、いうならば理想郷です。
理想郷というと、高嶺の花のように思うておったけれども、今日私がここで合楽理念を言い出したところを基にして、お互いが信心の稽古をしていくならば、誰もが、みやすくそこに至れる手立てを説いているのです。しかも、これは私が絶対の道だと言っておるのです。
だから合楽理念を一口で言うと、絶対の道であると同時に、誰でも頂こうという気になれば、誰でもが、楽しゅう、有難う頂けて行く道です。しかも自然のリズムをバックにして、いうならリズムに乗った生き方を、私は信心生活だと申しているのです。リズムを聞き取れるほどしの手立てというのは、まず、神様が水であるならば、私共も水になることです。いうなら、神の心を心とする修行をせねばならない。神の心を心とするというても、とてもそりゃ難しいようにあるけれども、事実私が、何十年間踏んで来た道が、そのまま神の心を心とする生き方だと、今更のように有難く、今更のようにそのことの間違いなさに、驚くばかりに感じいっているのです。
私も30年前にはいよいよ何にも分からなかった。まあ様々のおかげを頂きたいと思って、一生懸命に様々な表行もした。もう根限りの自然との対決ですかね、貧乏も根限りの貧乏をさせて頂きました。又、次々半年の間に弟を3人も亡くすといったような、人生の様々な不幸にも出会わせて頂きました。当時はそれを有難くということではなくて、まあとにかく頂くより外ないのですから、それこそやけを起こさずに、そういう問題と取りくんでまいりました。そして様々な修行も、やってみました。しかしおかげの実にならない。そこで、どうか自分の信心の行き方を変えなければならん。
どうか別の修行をせねばいけないというところに、私の上に起きて来る様々な問題があろうけれども一切を黙って受けて行こう、それを修行としようと心に決めました。今考えてみると、こんな素晴らしい合楽理念の母体になろうとは、もう夢にも思わなかった。そして、その起きてくる問題は、金を貸してくれという人には貸してやる、くれという人にはお賽銭箱をひっくり返してやる、棒にも箸にもかからんような病人を預かってくれといえば、もう理屈も何もなしに預かった。そういう中に、私はここに思うことは、御理解の中にも皆さんに聞いて頂いとるように、家族中の者が、その気になってくれておった、ということなのです。
そして今から考えてみてね、やっぱりその気になっておるから、少しも難しいことではなかった、ということなんです。どういう問題が起こってきても、問題を、この問題だけは俺は知らんぞという風に思わずに、もう頂くと思い込んでおるから頂くことが、何とはなしに、楽しいというよりか、もう、これが修行だからと思って頂いて来たように思うのです。
それがいうならば、丁度、いつも皆さんが聞かれるように、4年半続いたです。もうあと半年で椛目の神愛会が5年祭を迎えるという半年前に頂いたのが“ホ−レン草”のお知らせであった。ホ−レン草を畑から引っこ抜いたら、根も付いておれば土もついとる。それをムシャムシャ食べてきたような生き方が、4年半の修行であった。これからは、赤い葉がついとるならそれも取ろう、食べられないところは捨てもしよう。そして奇麗に洗って、いうなら滋養になるところだけを頂こう。
だからね、成行きを大事にするということは、何でもかんでも頂く、無茶苦茶なことまでも、例えば人が貸してくれというなら、ハイというて貸してやるのが自然だ、というて貸してやる、そげなことじゃない。貸してやるのもそれを見極めて、貸してやることがこの人が生きることだ、プラスになることだと見極めたらです。そこに自分を空しうして貸してやろう、そこにやってもよいというわけです。何でも頂けというのでなく、自分の滋養になるものだけを頂く、それが私の4年半、そういう修行を頂いた後から今日まで続いておる。
私は信者時代から小倉の桂先生の御伝記やら、福岡の吉木先生やら、久留米の石橋先生、または私の親教会の荒巻弓次郎先生の御修行時代のお話やら聞いておりましたら、とても金光教の先生ちゃ大した事じゃあると思うとりましたが、いよいよ自分が今までの信心から脱皮して、今までの、例えて云うならばおかげを追うてきた信心、ただ生活の為に信心があったという時代から、真っ裸で引き揚げて帰って来なければならない事になり、今までの信心ではいけない事を悟らせて頂いたところからです、百八十度の転換が出来てきました。信心の為の生活という事になってきた。
いわゆる生活だけではない。すべてが、生活のすべてが、いわゆる信心のためである。いわゆるその信心の根肥やしをさせて頂く事の為に、総てがあるという事が段々分かって来た。
初めからそう分かっておった訳ではないけれども、桂先生がなさったという修行の真似をさしてもらった。福岡の吉木先生がなさったという修行も真似させてもらった。久留米の石橋先生がなさったという修行もさせてもらった。もう、三井教会の初代である先生の箇条書きも。これは道の教師だからそういう修行せんならんというのではなくて、信者でもおかげを頂く為には、やはり修行せんならんと思うた。
ところが、おかげは益々頂かんようになった。右と願えば左、左と願えば右というような事になってきた。(中略)
これが心行と思われるいろいろな修行をさせて頂きましたけれども、思うようには一つもなるどころか、返って反対になってまいりましたから、こういう事を思い立ちました。
親先生の御取次を頂いて、これから先私の上に起きて来る一切の事柄、これをそれがどういう事であろうとも、これを受け抜かせて頂くという事を、御取次を願いました。それが今合楽で言っておる「御事柄」というような大変な事になろうとは、夢知らなかった。ただ、あの修行もした、この修行もしたけれども、どの修行しても成就という事にならなかったところから、そういう修行に入らせて頂いた。
その頃から椛目に帰る事になりまして、椛目で本当に門外不出でございました。親教会にも御無礼を致しました。
もう座り切り、もうそれこそ朝の五時から晩の十時まで引っ切り無しお話のし続けでございました。お弁当持って皆が参って来る、というようなおかげになってまいりました。
ところが、今も申しますように、どのような事にも受けて立とうというのですから、それは今から考えますと、もう大変な事でした。
金を貰いに来る人がある。貸してくれというて来る人がある。もう都度都度に私はお賽銭箱を引っ繰り返して上げたり、貸したりしました。今にまだ一銭でも返ったのはありません。
もうそれこそ、親も見捨てておるような病人が導かれて親子でやってまいりました。そしてその十二才になる子でしたが、小児結核でした。が、十二才にもなるのにこうして抱ける位でした。それを二、三日は一緒に居りました。けれども、何処かに出て行ったきり親は帰って来ませんでした。段々おかげは頂きましたけれども、父親が帰って来ませんから、毎日寂しがっておりましたが、それから一ヶ月位後に亡くなった。ですからあの当時、私の方の隣は柿畑でしたが、「椛目の金光様には幽霊の出るげな」という評判でした。
その頃は本当に、医者では助からんというような病人が、常時十人ぐらい居りました。もうおっせ、かっせ。ああいう中に皆がどうして参って来たろうかと思うです。気色の悪うしてこたえん。もうそれこそ近所からいろんな苦情が出ましたです。
横に小川がありましてね、毎朝起きてからそこに顔を洗いに行く訳です。だから近所から文句が出る筈ですよ。投書が行って警察から調べに来る。また、警察に呼ばれる、検事局に呼ばれる。まあ、その時分はいろんな事がございました。
その中にですね、もう今から考えてみますと、もう本当にどげな事でも受けようという気になっとりましたので受けられましたが、あれに家族の者がよう文句も言わずについて来てくれたと思います。もう受けて受け抜いたですよ。
くれという者にはやる。貸せという者には貸す。世話をしてくれという者には本気で世話をさして頂く。盲のお婆さんが来ておりました。もうその盲のお婆さんの為に、家内はもう掛かっとりました。そういう事が丁度四年半続きました。
そういうある日にですね、三十才ぐらいの若い青年を導いて来ました。預かってくれと云う訳です。よく見ると、東千代之助のような顔しとる良か男です。ところが話を聞いてみるとですね、この人が色気違いです。女を見れば、若くても年寄りでも良かというふうです。それを後ろから家内が聞いとりましたけんね、「先生、先生、今あなたが引き受けよんなさったが、大丈夫ですか。ここにこがしこ女の方達が参ってみえるのに、もしもの事があったらどうするですか」と云うて、家内が申しました。これだけは家内が申しましたです。他の事ならそれこそ、家内は一口も申しませんでついて来ましたがね。「神様にお願いしてこの人もおかげ頂かんならんとじゃから、良か、良か」で置きましたけれども、その人は夕方までおりましたが、行方不明になりました。やはり神様の最後の御試しだったでしょうね。
それが四年半目でした。そして四年半目のその当時の椛目の五年祭ですね。あと半年を控えた春の大祭に私が御知らせを頂いたのが、今まで、例えば何もかにも黙って頂く、黙って受けて行くという修行をしたけれども、これからはこういう修行になれというて、御心眼にホーレン草を頂いた。
ホーレン草というとマンガでやるですね。ポパイがホーレン草を食べると元気が出ると云うやつですよ。それをですね、私はそのホーレン草を引っこ抜いて、まだ土がちっとだん付いとる、ヒゲも付いとる、赤い枯葉も付いとる、それをそのまま頂いて来たというのです。もう一切合切を頂いて来たというのです。ですから神様はこれからはね、そのホーレン草の根も取れ、ヒゲもむしっていけ、枯葉があるならもちろん、きれいに洗い上げて食するようにという意味の事を頂きました。
それ以来、私の方では病人を預かる事はしませんでしたけれども、また訪ねて来る者もございませんでした。如何に四年半というのが神様の御試しであったか、神様の私に対する戯れであったかと思います。
「これでもか、これでもか」という四年半であった。けれども、一つも「これでもか」と感じなかったです。実際、だから有難さいっぱいでいくのですからね。それこそ、叩かれたっちゃ神様なればこそ、というような気持ちで受けてまいりますからね。 けれどもそれは「あまりもの信心じゃ」という事になったのではないでしょうか。四年半目からは、ただ正常に本気で修行したいという人が修行生として入って来た。
もちろんお金を貸せという人もなくなった。与える人ももちろんなくなった。
そういうおかげを頂かせて頂いて行くうちに、私が成行きを尊ぶという事が如何に素晴らしい事かと感じるようになりました。四年半過ぎてから、それまではただそれを一生懸命受けて行くという事でしたけど、そしてその成行きそのものがです、神様の御働きである事が分からせて頂きました。今までは神様を大事にする、尊ぶというけれども、その尊ぶとか、神様を大事にするというても、神様の御働きそのものを御粗末にするような事では、神様を半分は大事にしとるけれども、半分御粗末にしている事になる、という考えがつくようになった。そして初めてです、真の信心とは、という事になりました。
そして初めて気付かせて頂いたのが、真の信心とか真の生き方というけれども、真実の道ここにありという感じがした。
何故かというと、天地の親神様が一人一人に求め給うというか、起きてくる問題は、神様が求め給うのだよね。その求め給う修行を、さして貰うから、成程有難くなる筈だ、力がつく筈だ、成程当時の椛目では、どんどん人が助かった筈だ、ということになってきた。いうなら、各自の上に起きてくる様々な問題こそ神様の心の現れなのです。いうなら、天地の親神様と私共の関わり合いというのは、天地自然の働きと私共の日常茶飯事の中に起きてくる、その関わり合いをです、それを神様の御働きと見、またそれを神愛と見るという、徹底した頂き方。そういう頂き方こそ本当に大事にする修行なのです。
そしてこれは、絶対間違いないということになってきた時にね、もうキリスト教も仏教もあらゆる宗教が、ここんところが、お釈迦様も頂き得ていなかったのだな、キリストも天地の親神様から可愛がられなさった方に違いないけれども、天地の親神様がここまでは、キリストに打ち明けられていなかったなあという事が、原罪であったり、因縁であることになるのです。
だから金光教の信心をさせて頂くうちにどういう難儀の中にあっても一切神愛と分かってくる。ところが、それを仏教では因縁だから仕方がないと言いよるじゃろう。原罪だから自分達では一生かかったって払うことの出来ない罪だという風に思いこませる。それが仏教でありキリスト教なのです。そこのところを金光教では、原罪、罪でもなからなければ、またそれは因縁でもない、本当いうたら神愛なんだと……。
合楽では「蛇」のお知らせを頂くと身のめぐり、「牛」のお知らせは家のめぐりと説きます。教祖は、このめぐりということは、全部の教えの中に、一言説いちゃるだけですよね。御理解第三節に「前々のめぐり合わせで難を受けおる」と。けれども教祖が仰るめぐりとは、因縁じゃないのです。また罪のために罰かぶっているとでもないのです。
教祖様が仰るところのめぐりというのは、人間の思い違い考え違い、ここんところが金光教の偉大性というか、普遍性に富むところです。御理解第三節に、『天地金乃神と申すことは天地の間に氏子おっておかげを知らず。神仏の宮寺、氏子の家宅、皆神の地所、その理由知らず、方角日柄ばかり見て、無礼致し前々のめぐり合わせで難を受けおる』とこんなにはっきり言うてあるわけです。
前々のめぐり合わせで難を受けておる、どういうめぐり合わせかというと、天地の間に住む人間は皆神の氏子と仰る、いうならば、神の大恩を知らず、神の働きを働きと知らず、神愛を罪と言うたり、神愛を因縁と言うて来たりした事の間違い、ここをいわば正しておられる。
そして次には氏子の家宅、皆神の地所とおっしゃる、例えば自分のものでもないものを、自分のものの様に思うてきたこと、この考え違いなんです。
次には方角日柄ばかり見てという、もうそ天地の間に指一本おすだけでも神愛のこもっていないところはない、大徳に洩れるところはない、穢いところであろうが、清いところであろうが、天地の親神様の御守護の中に在るんだ、と喝破しておられる教祖様は、ね。
それを例えば、こっちの方角はいかんとか、日柄でもお照らしのことでも、よいのわるいのと陰陽説などをわざわざ人間が創ったりして、または、方角とか日柄とか、系統立てた学問にまで仕上げて、わざわざ広い天地のふところに在りながら、自分で小さくしてしまったということが、神様の気感にそぐわぬ。そういうことがです、前々のめぐりで、今日の難儀という様相がここにあるんだと喝破しとられる。
そこで、私が成行きを大事にするとか、今日では一切の事柄に「御」の字をつけて御事柄として頂いて行けと申しております。
甘木の初代親先生が、一切のものに御ものとして、御の字を付けられた。そこには、押し頂く謙虚な信心姿勢というものが生まれて来る。何を飲むにも食うにも、もう拝まにゃおられん、御物として頂かんわけにはおられないというのと同様に、私共が如何に神様を大事にするというても、如何に神様を尊ぶというても、神様の御働きそのものを尊ばずして、大事にせずして、神様を尊ぶことにはならない。神様を大事にすることにもならない。神棚の神様だけを大事にするのではなくて、神様の働きそのものを御の字を付けて頂こうというのが、いわゆる、御事柄として大切に頂いていくことなんです。
それを一切自分達が頂いて行かねばならない一つの運命といったようなことではなくて、もう神様があなたに下さる神愛、あなたを助けずにおかん、あなたに力を与えずにはおかんという、働きとそれを悟らせて貰うて、合掌して受けて行く。
そこで、合掌して本当に受けられる稽古の手立てとして、「天地日月の心になること肝要なり」と教祖は仰る。それが、天地日月の心がそのまま神様の心であるということであり、神の心を心とするということになる。これは如何にも難しい事の様であるけれども、合楽では、それをみやすく行じれるように明らかにしたわけです。
いうなら、天の心というのは、無条件、限りなく、与えに与えて止まない美わしい心。たとえば自分の我情我欲にひっかかっとる時にはこの、天の心が欠けとる時であり、いうならば、奉仕、親切、といった様な天の心がないことを気付かねばなりません。
それでも辛抱がしきれない様な事があるけれども、神様から、「忍べ」というて頂くと、忍ばれる、不思議なことだ。だからそういう体験を積みながら、此処はどっこい、大地の心で受けて行かねばならんところだ、と受けて行きよったら、いつの間にか大地に肥やしを与えて、肥沃の大地になって行く様に、いつの間にか自分の心が豊になっていっておることに、また驚くばかり。去年だったらこんなことは、とても辛抱出来んのだけれども、一年経った今は、こんなに自分の心が豊かな心で頂き止めることが出来る様になった。
そして、日月の心日月ほど正確無比はなかろうと思われる程、その日月の心を最近は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは己がなさぬなりけり」と。これは大変難しい問題でも、なそうと思えば、例えば高い山でも登ろうと思えば登る道はあるんだ、という様に難しい頂き方ではなくて、なせばなるということは、「なそうと思えば子供でもなせる業だ」ということ。なそうと思えば子供でもなせるわざ、それを今まで沢山おろそかにして来ておったことを合楽では、もうびっくりする程気付かせて頂いて、びっくりする程その事に取り組んでおるです。
皆さん、お風呂に入ったらお風呂のマナ−がある。それをマナ−をマナ−としないところに、お風呂が乱れて、次に入ったものが気持ちが悪い。それは一切に一つの道がある。タオルを使った後の始末。それをポ−ンと今までは、その辺に投げ散らかしとった。それをキチッとすることだと。そういう例えば、なそうと思えば子供でもなせる事をおろそかにしておった、ということに気付かせて頂いて、いわゆる日月の様な、実意丁寧さをもって本気で取り組む、ために一つ心行せよというわけであります。
しかも、合楽では、表行をもう全廃。例えば水をかぶったり、断食をしたり、様々な逆立ちになってする修行すらがある。豚は食べん牛は食べちゃでけんとね、女はよせつけちゃならん、酒は飲んじゃならんという様な修行まである。私もやっぱり自分で苦しまぎれに、知らんもんじゃけん、そげなことしよったです。私は家内と修行中一年間一緒にならなかった。そんなことがやっぱり修行かと思うとった。それで、光昭と直子の間は三つ違い。ず−っと家は、二つ違い。この人どんだけが三つ違い。私が一緒にならんけん出来るはずはなか。本当、そげな無茶苦茶な修行までしたです、私は。もう断食とか水ごりなんか当たり前のごと思うとった。
ところがね、これでは、他の宗教宗派とひとつも変わらんごとなって来るです。教祖ははっきりとね。「表行より心行をせよ」と仰る、ね。だから「表行より心行をせよ」ということは、「表行をやめて心行一本になれ!」というのと同じこと。そこんところが大変曖昧になりますもんね。曖昧になりますもんね。私どんも今までは思いよった。表行しちゃでけんとは言うちゃない。だから表行もしながら、心行に重きをおかなければならん、と思いよった。また四神様の御教えの中に「表行の出来ん者が心行が出来るか」と仰る様な、み教えすらもある位です。なら、寒中に水垢離を取るということでも、本気でやっぱり勇気を出さなけりゃ出来るこっちゃないです。表行はお道の信心者として当然の行のように思いよったです。
でも、「仏教より金光教をせよ」といわれたら、今までの仏教を外さなければ、「金光教をせよ」ということにはならんでしょうが。表行より心行をせよとおっしゃるから、表行を捨てなければならない。そして、凝り固まった一心をもって、心行に取り組むということ。心行というのはもう寝ても覚めても、便所の中であろうが、寝とっても心の中でする修行だから。
いつも心行に心かげておると、いつどういうことがあっても、それを信心でハッとうけとめることが出来る、心行とはそういう効果がある。また具体的に自分が取り組んで見ると分からないところが出てくる。分からないところが出てくると質問したがよい。分からせて頂いたらよい。
成り行きを大切にするのでも、実際取り組んでみると分からないところがでてくる。だから初めの間は成行きを大事にしていく精進だけで通う。そのために天地のリズムを体得せよ、といっておるのです。このリズムに乗って行ったら、間違いのない生き方が出来るのです。迷うようなこともおきてくる。けれども稽古しよるとだんだんはっきり、リズムに乗ってはっきり分かってくる。と同時に、お道の信心をさせて頂くものは、お取次の働きを確信するのですから、自分がリズムに乗りかねているところは、御神意を伺うていく。そこでリズムが調整されていく。
このように、教祖の御信心を究めてまいりますと、いよいよ過去の宗教では分からなかったことが明らかになって来ました。それは例えば霊界観なんかそうです。
合楽理念では、あの世は暗黒だ。この世で魂を清め、光を受けて、あの世での光明世界に住めと説きます。光明世界に住むということは、あの世で神に祀られるという事と同じ様な意味なんですね。
これもね、私が大きな事をいう様ですけれども、宗教革命の端を発するならば、こういうところから入って行かねばならん。いろんな宗教が、霊界のこと魂の世界のことを、いろいろと申します。たとえば、仏教では地獄、極楽とか、あらゆる宗教宗派が霊界を、段階をつけ出して色別にして表わしたりしておるけれども、霊界というところはそんなところじゃない。
または、霊の働きなどもそうですね。たとえば、忙しい時などはね、仏壇にお願いして、「祖父ちゃん、どうぞ孫ば見よって下さい」というてから、仏壇の前に子供ば置いて行く。そしたら温和しゅう遊んどったり寝とったりする。やっぱりじいちゃまがお守りして下さったという。そういう事実はやっぱりありますよね。けど決してあの世に行っとるじいちゃまが、守りをしてござるとじゃない。そういう、霊に対する、如何にも、さながら生きておる者に物言うごとく接する、その心根が天地の心に適うから、天地が守りをして下さる。
いろんな話がありますね。亡くなった桂松平先生が、久留米の初代の石橋松次郎先生のところに上半身を現わされ、本部御造営のことを頼まれた。そして、それを引き受けることになって、一生懸命神様にお願いなさっておったら、出社であるところの大分教会の総代さんが、その当時の金で、壱万円儲かり久留米の教会にお供えした。石橋先生は、それをそのまま本部に奉納された。その壱万円で御本部のあの楼門が出来たんです。今ならまあ壱億円というところでしょうね。
だから霊様の働きが、そうしてありよるじゃないかと私共も今まで思い込んできとった。ところが、これは天地の親神様が助けずにはおかん、おかげをやらずにはおかん、という働きのトリックだということを私は分からせて貰った。例えば、石橋先生のところへわけのわからない者が出て来て御造営のことを頼んだっちゃ、石橋先生が聞きなさる筈がない。師匠である桂松平先生が現れなさったからこそ、本気になられたわけです。だから天地の親神様が生前の桂松平先生の姿を使ってそういう働きになったということです。
こういうのは、いくらも例をいうと沢山ありますけれどね、いわゆる霊物語というのがありますけど、これは全部人間を幸せにせずにはおかんという、天地の働きが、様々な演出をなさった。トリックをなさって、とにかく人間氏子がより助かって行くための道づけをされるのだと私が言っておるのです。
だから、これは今までのあらゆる宗教家は天地の方便から一歩も抜け出ていないことになりますね。霊様が働くということは死んだ者を舞台の上に上げて「サア踊れ!」というのと同じだと神様は私に教えて下さるのです。でも教祖様は、「神徳を受けよ、御神徳はあの世にも持って行かれ、この世にも残しておける」というてあるではないか。
成程、あの世にも持って行ける、この世にも残しておける。確かにこの世にも残しておけるけれども、だからといってあちらから送ってやることは出来ない。孫が転んどるけん起こしてやろうか、ということは実際は出来ないのだと。
持って行けるということはこの世でお金ならお金が、人間の幸を左右しとる様に、徳を持って行く事によって、自由の霊、安らぎの霊、安心の霊、喜びの霊としての活躍やら活動が霊の世界で出来るだけであって、それを人間世界にまで送ってやる事は出来ない。自分のために、だから徳を持って行け、というのです。自分のために光を持って行けというのです。
そして、信心して、徳を残しておくということは、それは決して露出したものではない。如何に徳を残してあっても、息子が馬鹿のごたるとなら残してあっても、それを頂くことも会うことも出来ずに終わって行く例は、沢山あります。だからもう沢山掘らんでも、親が徳を残してくれておれば、一寸掘れば出てくる。一寸掘らなければならない、それを私は親孝行という風に言っとります。
二十四孝というお芝居に出て来る、竹の子掘りというのがあります。この寒中に親が竹の子が食べたいという。「この寒中にどうして竹の子があるか」と言わずに、親が言われる事だからとして、竹薮に入って、掘ったところが、そこには自分の探し求める刀がそこに埋けてあったというのです。
だから、親の徳を頂くということは、親の言うことに如何に素直で従順で、親孝行の心がなからねば出来ないかが分かります。
もう親孝行は合楽理念の根本とさえ私が言っている位ですから。
ですからその親にこうこうということが教えの親であったり、又は教祖様であったり、それが天地金乃神様であったりという風に、その信心が進むにつれてです、エスカレ−トして行く。親に対するところの情念というのが。そして天地の心を知りたい、天地の心に添いたい、天地の親神様の心に添う行き方をしたい、という様な、願いになって来るところから、いよいよ合楽理念が成就に近付いて行くわけです。
いよいよこのように神様の心を十分に分かる為にも、本心の玉を清めよう、本気で研いていこうということにならなければ、如何に万物の霊長というても、いわば人間の面しとるだけで、それこそ鬼じゃろうか蛇じゃろうか、という風にも変質していくものを人間は、もっとるわけです。だから、心行に本気で取り組めというわけです。
もう表行は全廃しなければならない。全廃しなければ純粋な金光教的なものにならない。金光教の独自というなら、この心行一本の道ではないでしょうか。本気で心行に取り組んだら表行するヒマはないですよね。私共もつい最近まで表行を奨励したり自分もやって来たんだけれども、そりゃその時は力が出来るです。けどそれは丁度、夏の夕立雲の様なもの。もりもりと力が出来たごとあるけども、時期が来るとサ−ッと消えてしまう。
或る霊能者のところでどんどん人が助かった。山に篭って修行をされた。そしていろんなことが判る様になり人が助かったが、その人が一寸色情を起こした。参って来る女の信者に手を付けた。とたんに人が全然助からなくなった。霊力が失せてしもうたというのです。
という様に表行で作ったものはアッという間に消えるという。それを私は或る意味で、桜の花の信心だと思う。
だから桜の花の信心より、梅の花の信心をせよとおっしゃるから、此処のところでも桜の花の信心よりですから、桜の花の信心を全廃していよいよ梅の花の信心をして行かねばならない。そして心行一筋に絞らなければならないということになるわけです。表行をしてはならない理由が分かったでしょう。
表行が如何につまらぬものか分かったでしょう。現在の教団の中でも、御ヒレイの立つ教会は皆やっぱり表行しよる。だからそういう事を打ち破って行かにゃならん、というのですから合楽理念がどうでも金光教の中にはいって行く事のためには、お互いが本気で合楽理念を実験し、実証してそれを行じて表わし、力を頂き、助かりの光を持って、実意丁寧、愛の心を持って、伝えて行かねばならない。まず金光教人の上に、それを表わして行かねばならんということになる。まして信心のない者にそれを伝えて行くということは大変難しいこと。
同時に、お道の信心を頂く私共がまず、教祖の教えがいかに、普遍性・永遠性に富むすばらしい教えであるかを合点せねばなりません。けれども教団人の偉い先生方でも、金光教の教典は、ザッとしたもので、もう大宗教のキリスト教とか仏教の経典とかバイブルとかに比較すると足許にも及ばない、もう大宗教にはかなわんと皆そげん思うとるのではないでしょうか。ところが実際そうじゃないです。この天地の法則を分かろうと追求すれば、それはどんなにでも難しくなる。しかし、生身の人間が助かる為の教えにつながらぬなら、無い方が良いでしょうが。そういう意味で金光教の信心こそ、簡単で明瞭で、しかもおかげが確かな道なのです。
本当いうたら金光教の信心は、“おかげは和賀心にあり”というだけで良いのです。だから、その和賀心になるために、182ヶ条のみ教えはあるというても良いのです。その182ヶ条も只、端的に説くのじゃなくて、合楽では30年間これを説き続けておるのです、ね。毎日教典ををひらいて、しかもあらゆる角度から頂きますから、こういう風にして和賀心は創って行くんだなあ、信心というものは分かって行くんだなあ、ということがわかる。
しかも普遍性に富んどるということは、いつも私が申します様に、どの教えでも普遍性に富んでいるのです。けど一番素晴らしいのは、何というても食物訓(1、食物は人の命の為に天地乃神の造り与へ給ふものぞ。1、何を喰うにも飲むにも難有頂く心を忘れなよ)です。例えばさき程から言う様に、キリスト教では酒は飲んではいかん、とか、また仏教をギリギリ極めて行こうとするためには、精進をせなければならん。その精進とは生臭気を食べちゃならん。女も近付けちゃならないと、いかめしい戒律があるということなんです。
ところが金光教の信心はそうじゃない。家内も子供も擁しながら、そして生臭気も食べながら、又は与えられるならば、お酒もお肉も魚も頂く。それは神様のお喜びだとして頂く。神様はどんなおごちそうでも、私はそげな贅沢なものは食べんということは神様に対してかえってご無礼になる。「本当に神様こんなもの頂いてよいでしょうか」という感動をもって、それを頂かしてもらう時に、その食物は生きて来る。
いうならそれが肉であろうが、魚であろうが、肉や、魚の魂まですくわれるという程しのこと。浄化して行くこと。人間が有難く頂くということは。という様なところはもう本当に、中国の人でもアメリカの人でも、どこにでもこれなら分かるだろう、通用するだろう。それを一寸間違えると、洋食皿でもなめて食べねばならん様にいうわけです。そげなこというならアメリカ人はそれだけで低級視しますよね。お茶をかけて頂かねば勿体なか。そればアメリカ人に教えたっちゃですね。
けれども金光様の信心が段々分かって来るごとなると、実をいうたら、そうしなければおられなくなって来る。余るごたるものは初めから手を付けんで頂かん。お醤油でも溢れる様に注ぐのではなくて、心して使う様になります。それは甘木の親先生ではないが、御物と分かったら大切にしなければおられない。けど余ったけんていうて食べて翌日腹が痛んだのでは、神様はかえって喜びなさらんですよね。美味しかものでもそうです。食べ過ぎたらいかん、そこはちゃんと「大酒大食は絶食のもとになるぞ」と釘一本打ってある。
金光様の書かれた額に「道は孤ならず」とあります。だから道はひとりでにはひらけない。だから合楽理念を基にすりゃ、もうすぐ極楽に行く事じゃない。合楽理念を基にして様々な問題をです。ひとりでには開けんのだから、その問題を通して開いて行こうというのが合楽理念です。だからこれは、私共が一生かかっても、出来ない事が沢山あるだろう。
日田教会の初代・堀尾先生の言葉をお借りしますと「未完成のまま永遠に」と、いうことになるわけです。真の信心とはこうだというてたとえば金光に向かわねばならんのに、反対の鹿児島の方に向いて信心しよる人がやっぱりあるわけですよ。それでもおかげは頂くわけです。けれども時々不安になって来る。あゝこれは本当(金光)の方に向かって行きよるかと思って不安が起こって来る。
そこを合楽では、この道なら絶対だと言っておるんです。間違いなく金光に向かって、行っておる確信をその過程で頂きながら金光に到達する道を合楽理念は説くのです。合楽は、絶対の道を容易く、楽しく、有難く、説き明かしてありますから、具体的に体験して、御神意を伺いながら進めて行く、そこから完璧な合楽世界に向かって進むことになるのです。
だからどうでも、皆さんが奮起一番、本気でその気になって、合楽理念をマスタ−し、そして行の上にあらわしていくという信心修行をして頂きたい。どうぞ。
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