◎信心の理想郷
桜の花の信心より梅の花の信心をせよ桜の花は早う散る梅の花は苦労して居るから永う散らぬ《御理解第十二節》
 
 梅の香りを桜にもたせしだれ柳に咲かせたい
 これが合楽教会の信心の理想郷。梅の花のような馥郁とした香りを、目にもあでやかな桜の花にもたせ、姿態も見事なしだれ柳に咲かせてみたいという、何とも欲ばったように見えるが、金光教のおかげを一口で言い表わせばこのようなものであろう。
 誰でも同じおかげを頂くなら、華やかであればある程いいと思うだろうし、また神様も、そのようなおかげを受けて、大きく金光教を表してくれよと願っておられる。そこで求められるのは梅の信心、桜の信心、柳の信心である。
 ここで梅の花は苦労しているから永う散らぬと云われているが、これは、ただ苦労に耐えてじっと辛抱していれば、いつか楽になるだろうといったようなことではない。
 どんな極寒の中にあっても、どんな風雪にさらされながらも、「梅にも春」という花開く春を楽しみに、じっと耐え忍んでいる梅の花に、かえって何とも言えない風情が感じられるように、どんな人生の雨風に直面しても、喜びを静かにたたえながら、受け抜いていく信心辛抱を、梅の花の信心というのである。
 又、柳なよなよ風次第といわれる。柳がどんな風にも逆らわず、風まかせであるから、折れも曲りもしないように、柳の信心は神様まかせの力強い素直心をいうのである。その素直心が養われていく時、「何事も素直心の一つにて雲の上までのぼる道あり」と仰せられるように、天地と通う世界も開けていくことになる。
 さらに、桜の花は昔から散り際の潔さから、潔いものの代名詞のように言われてきた。そのように桜の花の信心は、潔さをもって、問題と取り組み、右になろうが左になろうが、ままよの潔さを作っていくこと。そこに、華やかなおかげも伴ってくる。
 こういう梅の信心、桜の信心、柳の信心が足らうてこそ、自ずとどんな時でも楽しく有難い心が芽ばえ、そこからはじめて、夢にも思わないような、嘘のようなおかげの花が咲き開く。これが合楽教会で説かれる金光教の真のおかげの花である。
 「金光大神は子孫繁昌、家繁昌の道を教えるのじゃ」と云われるように、繁昌に繁昌を重ねて、おかげの花が次々に咲きほこっていくような信心。こういう信心の理想郷を目指していきたい。
(昭五五・一・二六)



◎馬鹿と阿呆で開く道
 生きて居る間は修行中ぢゃ丁度学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むやうなものであらうぞい 《御理解第三十七節》

 日本は不思議な国である。東洋の一小国に過ぎないのに、世界でも比類のない発展を示し、今日、日本の動向が世界のすう勢を決する程の多大な影響を持つようになっている。
 中でも、精神文化の面においては、古代より数多くの土着の宗教を生み出し、それに伝来の宗教が複雑に絡み合って、今日、神々のラッシュアワーと評される宗教的風土を築いてきたのである。
 江戸時代の後期から明治維新期の激しい時代変革期に生まれた金光教。金光教は天地の道理に適った信仰を説き、その教義の持つ開明性は、人間の為の宗教として、面目躍如たるものが溢れ、「日本の風土が培った数少い近代宗教の萌芽といえる」(新宗教−その行動と思想−村上重良著)という。
 教祖金光大神は、決して、はじめから人格的聖者であられたのではない。どこにでもおられるような一介の百姓であられた。ただ、信仰心の手篤さにおいて、人並優れたものをお持ちであられた。世の様々な難儀に出会われ、誰でもと同じように悩まれながらも、実意丁寧神信心を貫かれた。親神である神様が、人間を苦しめたり、不幸にしたりするはずはないと確信され、どんなことに直面しても、実意丁寧神信心を貫いていかれた。その一途な御信心に、人の世にはじめて、神も助かり氏子も立ちゆく、あいよかけよの世界が顕現されていったのである。
 御教えに「清き所も穢き所も隔てなく天地乃神は御守り在るぞ」とあるように、教祖金光大神の世界には、清もなければ濁もない、善もなければ悪もない、天地そのものの御心があられるだけであり、教祖様は御一生をかけて、大地の大道を開きに開いていかれたのである。教祖様が隠れられて百年、教祖様が生神になっていかれた生き様に、生身の人間が人間らしく助かっていける絶対の道を確信された親先生は、ただひたすらに、教祖様の御教えを実践していかれた。その一途な御修行振りは、「私がおかげ頂かんなら、金光様の御教えはみんな嘘だ」と断言される程のものであられた。
 生身の人間としての弱さを自覚された親先生は、その自覚が深ければ深いだけ、馬鹿ほど素直に、教祖様の御教えをひたすらに行じ、神様の仰せに背かない生き方に徹していかれた。「天地の心しりたし道あらば示せ天地己が心に」と、天地のみ心を求めに求めていかれた。そういう御修行の中から天地の御心にふれていかれ、善悪も、自他も、清濁もない、一如の世界を現わされた教祖金光大神様の偉大な御信心が、現代の世に生き生きと甦ることとなっていったのである。
 ここに一生が修行といわれる、信心につきものの修行。その信心修行が教祖様のみ教えに基づくならば、善人であろうと、悪人であろうと、誰でも楽しく有難く愉快に出来、それには必ずお徳が伴い、そのお徳に、夢にも思わない素晴らしいおかげが限りなく広がっていく。
 そこではじめて、これ迄の宗教の、宗教は茨の道であり、苦しいものであるという暗いイメージや清く貧しくといって、清貧に甘んじる貧しいイメージも一掃され、宗教のイメージアップが出来ていくのである。
 書家として名高い観峰は「共存共栄の時代」と題して、次のように述べている。
 「世界歴史の流れは、今、大きく変わろうとしている。人類は、どこからか救世主があらわれて、全世界を新しい時代に導いてくれるのを、ひそかに待ち望んでいる。救世主は、釈迦やキリストのような人格的聖者の姿では現われない、阿呆か馬鹿のような無私無欲の人達か、善悪も自他も超越した実践者たちの大同団結でなければ、世界は治まらない。」と。
 東洋の一角、日本に生まれた金光教、馬鹿と阿呆で道が開かれてきた合楽教会。善悪も自他も清濁すらも超越した金光大神の信心に、今に世界は注目し始めることであろう。
(昭五五・二・五)
 
 
 
 ◎自然との対決
 氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向うへ降りたらそれで安心ぢゃ。気を緩めると直に後へもどるぞ。《御理解第八十一節》
 
 信心になるにつれ、教えの鏡に心を照らされて見えてくることは、これではおかげを受けられまいという自分の汚さ、醜さである。「ここも改まりたい、ここも研きたい」と焦燥にかられて様々に取り組んでみても来た。しかし一朝一夕で改まれるものでなく、ついには、私は助かりようがないと落胆して、お詫びの信心に陥ってしまう人が多数あった。それは、改める手立て、研く手立てが分からなかったからである。
 合楽理念では、そこのところを、成り行きを尊ぶことに精進していれば、自ずと心は研かれ、改まれてくるものである、と説く。
 天地自然界には様々な法則がある。それを、色々な角度から、科学者が、あるいはまた宗教家が明らかにしてきているが、人間の日常生活に密着して、根源的な利益をもたらすような法則というには、決定打に欠けていた。
 合楽教会に御神縁を頂き、信心をはじめると、私の上に起きてくる様々な出来事が、私を中心にしての神様のお働きであることがまもなく分かってくる。天地には私を改まらせよう、研かせよう、そして真の幸福に至らせようという働きが法則として遍満していることに気づくのである。
 合楽教会で言われる「自然との対決」。
 むろん、それは争いをもって対峙することではない。自然の成り行きの中に起きて来る事柄を、神様の働きと信じ、「それによって改まり、これによって研く」という、神様に向かう精神を言うのである。
 「氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ・・・・気を緩めると直に後へもどるぞ」とお説き下さってあるように、信心に油断が出た時は、自然との対決の姿勢が、はやすでに崩れたと言っていい。
 信心は日々の改まりが第一。そこをはっきりと心得て、自然との対決において、成り行きそのものを一つ一つ大切にしていくところに、改まらせたい研かせたいとの天地の働きに便乗して、有り難くみやすく巧まずして十里の坂を登り切った本当の安心の世界に到達できるのである。
 自然との対決!その真剣勝負において敗れをとってはならない。
(昭五五・二・九)
 
 
 
 ◎救世の光
 信心せよ信心とはわが心が神に向ふのを信心と云ふのぢゃ。神徳の中に居っても氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油一杯あってもシンがなければ火が點らず。火が點らねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり《御理解第二十一節》
 
 天地金乃神様は、闇の夜にも等しい人間の住む世界を、真の信心の光で照らしだそうと切に願われ、その為の御用に立つ大願の氏子を求めておられる。その御神願を真正面から受けて立たせて頂こうとしている現在の合楽教会である。
 昨日、親先生は「いよいよ金光大神の教えをもって、この世界中に救世の光を」とたぎるような熱情で御祈念されている時、神様は「大原麗子」とおしらせ下さり、「そう願う心は腹が大きく麗しいからだ」と御理解下さった。
 信心とは、我が心が神に向かって進んでいくことである。その向かっていることの証は、心がより大きく、より麗しくなっていることだ、と仰せられているのである。
 なる程、心がより大きくより麗しくなってくるから、自分の利害、得失を放れて、大きな願いもできてくるのである。それこそこの身は犠牲になろうとも、自分の周囲が助かっていくことならと、大きく願えるようになってくるのである。それでいて、神様は少しも犠牲にされるどころか、前にも増しておかげを下さるのである。
 教祖金光大神は最晩年の頃、「人民の為、大願の氏子助ける為、身代りに神がさする、金光大神ヒレイの為、書きとめ」とのおしらせを書きとめられた。
 このおしらせの御内容を伺えば、神様が求めておられるのは大願を立てた氏子、世界人民の為に金光大神の救世の光を照らさんとの大願に燃え立つ氏子。その氏子の為には、神が金光大神を身代わりに立てて、金光大神のヒレイを輝かせてやると御宣言下されているよう思われる。
 何の為に金光大神が御出現され、天地金乃神様のおかげが受けられるようになったのか。その原点に立つ合楽教会は、生神金光大神、天地金乃神様の御悲願達成の為だけに誕生した。
 親先生のお取次の下、合楽教会には、金光大神の手にも足にもならせて下さい、と願う修行生が現在、五十人余り。その中には宗教宗派を、また手続きを越えて飛び込んで来ているものもいる。それら修行生は、御神命いっか、日本国中はもとより世界万国に金光大神のヒレイを輝かさんとの大願に燃えて只今修行中である。又、そのことの為に総代幹部はじめ信奉者一同は、一致団結して、この事の一日も早い実現を日夜祈願し、その為の教会運営、教会施設の拡充を願って教会一丸となって、勇み立つ心で御用に励んでいる。
 そういう命を賭けた御用こそ、金光教信奉者として大願を立てた姿である。そこにまた、神様は金光大神のヒレイを輝かすと仰せられるのである。
(昭五五・二・一八)
 
 
 
 ◎あなたとつり合うものは?
 人間は勝手なものである。如何なる智者も徳者も生れる時には日柄も何も云はずに出て来て居りながら、途中ばかり日柄が吉いの凶いのと云うて死ぬる時には日柄も何も云はずに馳けって去ぬる。《御理解第六十六節》
 
 同じ一つの壷。花を入れれば床の間に飾られ、塩や味噌が入れば炊事場に、汚いものなら人目のつかない所に置かれる。壷そのものは同じでも、中味が違えば置かれる場所まで変わってくる。
 人間も又、同様、その人の徳分に応じて運命が変わり、中味に従っておかれる立場、環境も定まる。だから、大事にされたいなら、いい場所に置いてもらいたいと望むなら、中味作りに専念しなければならない。
 難儀苦労は嫌だというけれど、その難儀と今のあなたとはつり合っているのである。だから難儀が嫌なら、いよいよ私の中味を高めることである。そこに、神様の、この人と難儀は不つり合いとして、難儀を取り除いて下さる働きとなってくる。
 この御理解第六十六節には、神ながらに生まれ神ながらに死んでいく、言い換えれば、土よりいでて土に還っていく人間の実相が説かれている。更に、そういう実相を無視して、その道中を自分勝手な生き方をしている人間の身勝手さを痛烈に指摘されている。
 人間は勝手なもので自分の中味を知らず、自分の都合の悪いことには不平不足をいう。そういう自分勝手な生き方が、知らず知らずに天地の御心に背くことになり、そこにいよいよ難儀が寄り添うような境遇をつくることになる。
 智者であれ、徳者であれ、何人も、神ながらに生まれ神ながらに死んでいく。ならば、その道中を自分勝手に生きるのでなく、成り行きを大切に尊んでいく神ながらな生き方を目指していきたい。どんなことも心の根肥やしとしていく土の心に徹していきたい。
 そこに、自ずと中味は高められ、天地の道理が身につき、道理に合った自由無碍な信心生活が生まれてくる。
 「私は豊かな心の世界にすんでいます。だから私は豊かな物質の世界にすんでいるのです。冷やかな性質の人は、やはり冷やかな境遇をこしらえて、そこに生き、そこに死んでゆく」−親先生手控え覚集より−
(昭五五・三・四)
 
 
 
 ◎「はい」の一言は吾死するも同じこと
 氏子が真から用ヘるのは神もヒレイぢゃが、寄進勧化をさせて氏子を痛めては神は喜ばぬぞ《御理解第十五節》
 
 丁度三十年前、親先生は、門外不出の行をされていた頃があった。歩く足がありながら、門から外へは一歩も出ることを許されずに、終日、ただ御結界に端座されていた。
 黙々として、その行に従われていた六月のある日、小雨の中を二人の子供たちが幼稚園から帰って来た。そして、きょう習ったばかりだという童謡を、親先生に歌ってきかせた。
  雨ガ降リマス雨ガ降ル
 遊ビニ行キタシ傘ハナシ
 紅緒ノカッコノ緒ガキレタ
  親先生が、じっと耳を澄まして聞かれていると、思わず知らず涙がこぼれて来て、しきりと雨の中を歩いてみたい衝動が、悲しいまでに込み上げて来るのを感じられた。
 しばらく、その心を押さえ兼ねておられると、神様から、「それほど外に出たいなら出てもよい」と御声があった。思いがけない御言葉に、親光生は喜び勇んで、すぐに外へ出てみられた。
 家を出たすぐ前に小川かある。その土手にたたずんで久しぶりの外の景色を楽しんでおられると、突然、それまでは何ともなかった足元の地面が崩れ落ち、親先生は、アッという間に水の中に落とされてしまった。
 びしょぬれになって、ほうほうの体で家に戻られ、着物を着替えて御神前に座られると、神様から「濡れたいと言うから神がぬらせてやった」とのお諭しであった。
 親先生は、そこから、また改めて門外不出の行に従われ続けられたと言われる。
 親先生を御教導される神様も一心なら、その神様に「はい」と従っていかれる親先生もまた一生懸命であられた。その「はい」と言い続けられた中には、人知れぬ辛抱も忍耐もあったのであろう。
 「はい」ということは、こうしたい、ああしたいという自分の思いや我情我欲を捨ててしまわねば言えることではない。
 今日の合楽教会があるのも、親先生のこの「はい」の一言から生まれたと言われる。
 昨日、修行生の高松和子先生は、「はい、の一言は、吾、死するも同じこと」と神様からお知らせを頂いた。
 人間氏子を幸せに導かんとされる天地の親神様の願いは、人間の想像もつかないほど大きい。ひとたび信心に打ち込むと、一喜一憂する目先のおかげのことよりも、より真実のことへ、より幸福な世界へ、是が非でも導かんとされる親情を働きに現わしてこられる。それが人間の眼には、時に理不尽な働きに見えたりするものだが、ここにどうでも「はい」という馬鹿ほどに、素直な心が求められるのである。
 「はい」と神様の仰せに従い、その働きに身を任せていくことは、そのまま天地の氏子を幸せにせずにはおかぬ時流に乗ることになるのである。
 むろん、人間が人間らしく、生身の人間として切実な願いもまた時には聞いて頂いて、おかげを頂きながら・・・・。
 そこに、我情を出しては馬鹿らしい、我欲をしてはもったいないということになる。そういう生き方こそ、氏子が神様を真から用えることになり、天地金乃神様の偉大なヒレイに真実浴していくことになるのである。
 「何事も素直心のひとつにて雲の上までのぼる道あり(御神歌)」
(昭五五・三・六)
 
 
 ◎難儀は神のウインク
 腹は借物と云ふが借物ではない。万代の宝ぢゃ。懐妊の時は神の氏子が我胎内に居ると思うて大切にせよ《御理解第八十七節》
 
 懐妊というのは、女性にとって尊い仕事であると同時に、苦労でもあろう。悪阻に悩まされながら、お腹が段々大きくなって、身体も自由がきかなくなってくる。けれども、その姿を見て「おめでとうございます」とは言っても、「難儀なことですね」という人はいない。大変な苦労だけれども、やがてそこから新しい生命が生まれてくることを思えば、まぶしい程に尊いものに感じられて「おめでとうございます」と言わずにはおれないのである。
 この御理解第八十七節に「懐妊の時は神の氏子が我が胎内におると思うて大切にせよ」とあるが、それは婦人の懐妊中に限ったことではない。私たちの上に起きてくる辛い苦しい、それこそ血の涙の出るような問題に当面しても、今こそ何ものにも変え難い御神徳の元が宿っているのであり、やがてそれが、無事に出産ということになるまで大切にせよ、という御神意が込められている。
 親先生は、先日神様から「難儀は神のウインク」とお知らせを頂かれた。難儀を感じる時には、神様がいわばモーションをかけてある時であり、難儀の真最中という時は、御神徳の元を懐妊しているようなものである。
 だから、そのことが分れば、もうこの苦労が苦労でない、難儀が難儀ではない、いやむしろおめでたい、喜ばしいこととして、神様に御礼を申しあげずにおれないのである。そこに初めて御神徳という「万代までの宝」を生みなすことになるのである。それをきつい、苦しい、この難儀から逃れたいとばかり思うなら、たとえ難儀から逃れられるおかげになっても、ついに流産となってしまって、この世にも残しておけ、あの世にも持っていける御神徳は受けられないことになる。
 そういう例は多い。過去の様々な苦労話を涙ながらに語り、聞くものも又、思わず同情の涙をこぼすといった信心の苦労話をする人は多い。けれども、それは苦労を苦労と終わらせただけであって、しかも、そういう人たちに限って「今の若い者は、自分たちに比べて苦労が足りない」と、苦労を次代の者に強要してしまう事にもなりかねない。
 ここで、どうでも苦労に対するイメージアップがいる。難儀は苦労ではない、御神徳を産み出すおめでたい事であり、神様に御礼を申し上げる事なのだということである。
 「尊い御徳を受け、有り難いおかげを生みなし現わした人たちは、皆この懐妊とも言うべき苦難を大切にされ、真心一杯でうけ切り、大事にした人達です」−親先生教典感話よリ−
(昭五五・三・八)
 
 
 ◎道は教えを踏む他なし
 日柄方位は観るに及ばぬ。普請作事は使ひ勝手のよいのが吉い家相ぢゃ。吉い日柄と云ふは空に雲のないほんぞら温い自分に都合のよい日が吉い日柄ぢゃ。如何に暦を見て天赦日ぢゃと云うても雨風が強うては今日は不祥のお天気ぢゃと云ふではないか。日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思ヘ《御理解第六十五節》
 
 迷信打破の宗教を看板に、「使い勝手のよいのが吉い家相ぢゃ・・・・日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思へ」などの教祖の御教えに基づいて、日柄方位なる迷信を打ち破った金光教。教祖金光大神様は、この広い大天地に墨金をあてるような窮屈な世界から、自由な世界に住みかえさせて頂ける程の手立てをお説き下さったのである。
 ところが、教祖様が神上られて百年、迷信打破の宗教であるはずの金光教の中に、次第々々に様々な、金光教独自の迷信を作り出し、自らの首を締めるような窮屈な生き方を生み出してきた。
 例えば、その一つに手続きがある。
 もし、ここに二軒の八百屋があったとして、一軒は新鮮な野菜がいつでも安く手に入る。もう一軒は、高くてしなびた野菜しか置いていないとするならば、お客は自ずと前者の方へ集まるだろう。
 そのように、助かりたい一心の信者が「守々の力によって神のヒレイが違うのぞ」と教祖様がいわれるような生き生きとして人の助かる働きのある教会に集まるのはごく自然の事ではなかろうか。それを取次者自身の小さな了見で、信者を取ったの取られたの、またそういう信者に対して「道を間違えてはおらぬか」というような言葉で縛ってしまう傾向に現在の金光教があるとするならば、残念なことである。
 この事について親先生は神様より「道という言葉に迷う事なかれ道は教えを踏む他はなし」と頂いておられる。そして、「人が助かりさえすれば」との教祖の御精神に基づいて、「流れきたって流れ去らせる」ことを信条にされ、教えを求めて来る者は拒まず、また去って行く者は追わずの生きられ方で、日夜お取次の御用をして下さっている。
 また、教会間の手続きということについても、それは、親が子に強要するものとして手続きがあってはならない。どこまでも、子が親を思う情念から自ずと生まれて来るものでなければならぬ。
 例えば親先生は、いざ親教会に何かという時には、出来る限りの真を尽される。そういう親先生へ、以前ある先生が「大坪先生、あなたは親教会へ大変な御用が出来ていますが、どういう心からですか」と聞かれた事があったが、その時、親先生は答えに困ったと言われる。それ程に、親先生の心の中には、せねばならんからとか、おかげを受けねばならんからというような条件がさらさらあられなかった。
 それどころか、したいと思うても出来なかった信者時代の事を思うて、当然の御用が、こうしてあたり前の事として出来ている事が有り難いと言われる。そして、私と親教会との関係だけは、合楽教会のある限り、子々孫々までも伝えて行かねばならないし、どれ程つくしえたとしても利払いにしかすぎないとも仰せられているのである。
 親孝行の念あつくあられた親先生が、親教会を親以上の親と気づかれ、大切に思われた時代を経て、最高の親として天地の親神様に出会われ、一にも神さま、二にも神さま、三にも神さまと、どこまでも神様中心の御姿勢を貫いていかれた。そこから神様もまた、親先生を中心に働いて下さってあるかのような生き生きとした働きが、現在の合楽教会の御広前に現われているのである。
 道という言葉に迷うことなく、迷信打破の宗教、金光教の真価を世に大きく現わして行かねばならない。
(昭五五・三・二)
 
 
 
 ◎神の仰せ通り
 無学で人が助けられぬと云ふ事はない。学問はあっても真が無ければ人は助からぬ。学問が身を食ふといふ事がある。学問があっても難儀をして居る者がある。此方は無学でも皆おかげを受けて居る《御理解第九十九節》
 
 人が助かる真とは、神様の仰せ通りに仕える生き方。「神様の仰せには背かれません」、この生き方一筋に三十年間貫いたからこそ、現在の合楽教会があると言われる親先生。
 しかし、それゆえに、そこを理解できない周囲の人達からの批判を受ける時もある。
 親先生あてに、ある教会から手紙が来たことがあった。もと、そこの教会に参拝していた信者さんが、今は合楽教会に参っていることを批難された質問状であった。それを読まれた親先生は、「神様は、『流れ来たって流れ去らせる−来る者は拒まず、去る者は追はず』と仰せられる。けれども、他教会から信者さんがお参りして来ることを受け入れることによって、こういう波風が立つのは残念なこと」と心を痛められ、質問状への返事を丁寧に書かせて頂こうと、そのお許しを神様に願われた。しかし、神様は許すとは仰せられず、「お茶の点前をしているところ」をお知らせに下さり、『お抹茶は茶せんでかきまぜればかきまぜるほど、その味わいも香りも高まるのだから、かきまぜておけ』との御理解を頂かれた。もとより、神様の仰せには背かれない。丁度そこの教会はかきまぜられているのだから、いつか分って頂けて、そのことがかえっておかげになると思われて、返事を書くのを断念されたのである。
 教祖金光大神様の御事跡を伺う時、神様の仰せ通りに仕えられる教祖に、やはり白い眼で見る者があったことが多々記してある。例えば大霜の降った日であっても、神様の仰せ通りに、裸足になって農へ出て行かれる教祖様に、奥様は世間の人の眼を気にして「人が笑う。ざま(体裁)が悪い。信心ばかりしてわらんず(わらじ)も作らんと、人が言うけに(言うから)」と言われた。教祖は「妻はおかげ知って知らず、人のわまい(世間体)を構う。私は人のわまいを構わず、神の仰せ通り、なにかによらず、そむかず」とある。
 振り返って、今日の本教を見ると、教祖のそういう根本精神が失われてきているのではなかろうか。人から笑われることを恐れ、信心のない常識の世界に取り入り、神様の仰せ通りに仕えるという精神は形式だけとなり、内実は常識の世界の信心が闊歩している。
 上手に振舞えば、笑われずにすむ方法もあろう。しかし、どこまでも人に認められることではなく、神様に認められることが信心の眼目であり、合楽教会の今日が、ひとえに神様の仰せ通りに仕った真から生まれたことを思えば、そこに『かきまぜよ』と仰せられるなら、求めてかきまぜるわけではないが、損に見えても、非難を受けても、そうすることはやむを得ない。いや神様が必要とあらば、世界中をもかきまぜていって、金光大神の信心に基づく、常識を超えた助かりの世界を広げていくことであろう。
(昭五五・六・三)


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