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226 |
「一心になることは、 |
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239 |
人間はみな、 |
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はなはだむずかしいものと思います。 |
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生まれる時に約束をしてきているのである。 |
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いろいろのことが思われたりして、 |
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だから、 |
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心の内が定まりませんが、 |
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家族が一人よりは二人、 |
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どういうものでありましょうか」 |
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二人よりは三人、 |
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と申しあげると、 |
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三人よりは五人と大勢いるほど、 |
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「一心になる心は、 |
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家庭の中にさまざまな難儀がある。 |
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子供をこしらえる時のようなぐあいに思い知れよ」 |
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幸いに信心をしていると、 |
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と仰せられた。 |
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それを除いていただけるが、 |
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生まれた時の約束であるから、 |
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またこういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。 |
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3 お任せ |
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その時に、 |
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これほど信心するのに、 |
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227 |
天に任せよ、地にすがれよ。 |
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なぜこういうことが出てくるのだろうすと思えば、 |
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もう信心はとまっている。 |
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228 |
四季の変わりは人の力におよばないことである。 |
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これはまだ私の信心が足らないのだと思い、 |
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物事は時節に任せよ。 |
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これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、 |
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信心をしていかなければならない。 |
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229 |
一生死なない父母に巡り会ったと思って、 |
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そこからおかげがいただける。 |
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何事でも無理と思わないで天地金乃神にすがればよい。 |
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240 |
生まれた者には死ぬということがあり、 |
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230 |
金の杖をつけば曲がる。 |
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死に方にもいろいろある。 |
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竹や木の杖をつけば折れる。 |
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稲や麦にたとえて話せば、 |
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神の杖につけばよい。 |
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春、もみを苗代にまき、 |
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神は曲がりも折れも死にもなさらない。 |
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本田に植えつけ耕作しても、 |
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稲は白穂、麦は黒穂になることがある。 |
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231 |
建てた柱はたおれることがある。 |
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子供が成長し、結婚し、 |
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吊ったのれんにもたれる心になっておかげを受けよ。 |
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その本人に子供のできないうちに死んだのは、 |
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白穂黒穂のようなものとあきらめるほかない。 |
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232 |
金光大神は、 |
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また、早稲、中手、 |
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どうにもならない時には、 |
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晩稲などの種類に分けてあるが、 |
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じっと寝入るような心持になるのである。 |
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人間にも短命長命の別があり、 |
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あなた方もそういう心になるがよい。 |
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途中死にという難儀なこともある。 |
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どうにもならないと思う時でも、 |
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その時、子供が後におれば、 |
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わめき回るようなことをするな。 |
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相続する人があるので早稲のようなものであると悟りを開いて、 |
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じっと眠たくなるような心持ちになれ。 |
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あきらめるほかない。 |
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万事におくり合わせをこうむるよう神に頼み、 |
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233 |
何事にも無理をするな。 |
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先を楽しむ信心をせよ。 |
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我を出すな。 |
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わが計らいを去って神任せにせよ。 |
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241 |
子供が死んでも、 |
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天地の心になっておかげを受けよ。 |
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おかげがなくて死んだというような不足を神へ向けてはならない。 |
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先祖代々私どものめぐりでこういうことになりましたと、 |
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234 |
天地金乃神は天地を一目に見ている。 |
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お断りを申すようにらよ。 |
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神は平等におかげを授けるけれども、 |
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受け物が悪ければおかげが漏れる。 |
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242 |
信心する者は驚いてはならない。 |
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神の徳を十分に受けようと思えば、 |
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これから後、 |
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ままよという心を出さなければおかげは受けられない。 |
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どのような大きな事ができてきても、 |
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ままよとは、 |
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少しも驚くことはない。 |
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死んでもままよのことである。 |
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243 |
心配する心で信心せよ。 |
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235 |
わが子の病気でも、 |
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244 |
心配が増したり、 |
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かわいい、かわいいと思ってうろたえてはいけない。 |
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物事を苦に病むようになるのは、 |
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言うことを聞かない時にも、 |
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信心が落ちた証拠である。 |
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ままよと思ってほうっておくような気になって信心をしてやれ、 |
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その時、 |
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おかげが受けられる。 |
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これをありがたく思って信心すると、 |
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これが修行になって、 |
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236 |
いかなる大しけの時でも、 |
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また一段と信心が進んでいく。 |
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金光大神を頼んで、 |
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そうでないと信心が落ちてしまって、 |
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助けてくださいと言って、 |
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心配や苦難に負けて、 |
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船の向く方へ行かせるようにせよ。 |
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どうにもならないようになってしまう。 |
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船の行かない方へわが力で進めようとするから、 |
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命を失うこともある。 |
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245 |
人間であるから、 |
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生きている間は先々のことを考えもしようし、 |
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心配の尽きる時はあるまいが、 |
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4 難儀の受けとめ方 |
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それがみなおかげになれば、 |
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心配はあるまい。 |
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237 |
信心していても、 |
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心配は、信心すればみなおかげになる。 |
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よいことばかりはない。 |
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心配は体に毒、 |
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悪いこともある。 |
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神に無礼である。 |
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手にでも、 |
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心配する心を神に預けて、 |
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表と裏とがあるようなもので、 |
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信心する心になれよ。 |
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裏の出た時には、 |
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おかげになる。 |
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早く表の出るようにおかげを受けよ。 |
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246 |
明日塩辛を食べるからといって、 |
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238 |
信心しているからといっても、 |
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今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。 |
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みなの身の上のことが何もかも同じになるとはいかない。 |
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取り越し苦労をするな。 |
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山の木が三十年たっている、 |
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五十年たっているといっても、 |
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247 |
信心をしていれば神と心安いのと同じであるから、 |
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同じような木ばかりはない。 |
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大難は小難に、 |
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ある人は信心しないのに金持ちになることもあるし、 |
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小難は取り払いのおかげをやる。 |
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信心してもなれないこともある。 |
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これほど信心しても、 |
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米麦を作っても、 |
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まだこのような難を受けると言うのは、 |
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実のない白穂もできるし病気の黒穂もできる。 |
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真の新徳を知らない者の言うことである。 |
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そのように、 |
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難は人間には計り知れないものである。 |
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全部同じようにとはいかないので、 |
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熱心に信心している者でも、 |
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心を広く持って信心しなければならない。 |
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難が強く信心をやめる者がある。 |
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信心をして難の根の切れるおかげを受けなければならないのに、 |
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難の根より先に信心の根を切るのは、 |
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やはり真の神徳を知らない者のすることである。 |
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信心する者は、 |
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真の神徳を知らなければならない。 |
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人間は、 |
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生まれる時に証文を書いてきているようなものである。 |
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生まれた時に、 |
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悔やみを言いに行ってもよいくらいのものである。 |
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どういう災難があるとか、 |
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こういう不幸があるとかいうことは、 |
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決まっているのである。 |
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神はよくご承知なのである。 |
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信心を強くすれば、 |
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大厄は小厄にしてくださり、 |
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小厄はお取り払いくださる。 |
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それが、 |
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おくり合わせをいただくということである。 |
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