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84 |
ご無礼である、お粗末であるというが、 |
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100 |
信心は日々改まりが第一である。 |
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商売人がはかりの目盛りをごまかしたり、 |
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毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、 |
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人の目をくらましたり、 |
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夜が明けたら元日と思って、 |
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農業する人が山や田畑の境目を勝手にうごかしたり、 |
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日々うれしく暮らせば家庭に不和はない。 |
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水や食べ物を粗末にしたり、 |
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自分の勤めをおろそかにしたりするほど無礼はない。 |
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101 |
生きている間は修行中である。 |
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人の目をくらまして得をしようとするから、 |
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損をしてたおれる。 |
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102 |
的なしの信心を授けておく。 |
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境目を欲張るから、 |
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一心を定めて、いただくがよい。 |
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その田畑を放さなければならないようになる。 |
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おかげは受け勝ち、 |
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食べ物を粗末にするから食べられんいようになる。 |
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守りは受け得。 |
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勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、 |
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おかげを受けたら、 |
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働けないようになる。 |
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ご恩を忘れてはならない。 |
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みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである。 |
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103 |
信心するという心におかげはない、 |
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信心させていただくという心におかげがある。 |
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104 |
神を信じる者は、 |
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第三節 めぐり |
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何をするにしても遊ばせていただくのである。 |
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広前の奉仕で遊ばせていただき、 |
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85 |
信心する人は、 |
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商売でも農業でも遊ばせていただいているのである。 |
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めぐりを取り払ってもらっているのであるが、 |
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みな天地の間にうれしく、 |
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信心しないで、うかうかと暮らす人は、 |
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ありがたく遊ばせていただいているのである。 |
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めぐりを積んでいるのである。 |
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86 |
どのような大きなめぐりがあっても、 |
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2 わが心 |
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信心によって取り払ってもらえる、 |
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先祖からのめぐり、祟りは、 |
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105 |
信心は本心の玉を磨くものである。 |
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神が道のつくようにしてくださる。 |
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106 |
玉磨かざれば光なし、 |
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87 |
神に、めぐりを取り払ってくれと頼むから、 |
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光なければ石かわらのごとし、 |
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取り払ってやろうとすると、 |
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と言われているが、 |
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人間はあまりに痛いから、 |
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信心する者は本心の玉を磨かなければならない。 |
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よろしいと逃げる。 |
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鉄でも磨けば銀のように見える。 |
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神も、せっかく出した手を引っこめてしまう。 |
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金銀も磨かなければ光らない、 |
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人間は万物の霊長であるから、 |
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88 |
病気で死んだというが、 |
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本心の玉を磨いて、 |
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体は死んでも病気は後々の者へ残ることがある。 |
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何事にも心がけをよくしなければ、 |
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信心すれば、悪い種を切ってやる。 |
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自分は信心していると思っていても、 |
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人はそう見て敬ってはくれない。 |
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89 |
父母に孝行が第一である。 |
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それは、身勝手な信心というほかない。 |
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孝行すれば末で幸せになる。 |
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不幸をすれば末で巡ってくる。 |
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107 |
真の道をいく人は、肉眼をおいて心眼を開けよ。 |
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108 |
わが心でわが身を生かすこともあり、殺すこともある。 |
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109 |
おかげを受けられるか受けられないかは、 |
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わが心にある。 |
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わが心さえ改めれば、 |
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いくらでもおかげは受けられる。 |
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110 |
信心は大きい信心がよい。 |
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111 |
心は広く持っておれ。 |
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世界は広く考えておれ。 |
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世界はわが心ある。 |
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第三章 信心とおかげ |
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112 |
信心する者が、喜ばない、 |
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第一節 信心 |
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つらい顔をして日を過ごしてはならない。 |
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天地の親神を信心するのであるから、 |
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1 信心 |
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天地のような広い心にならなければならない。 |
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90 |
今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。 |
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113 |
「今月今日で一心に頼めて おかげは和賀心にあり」 |
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という見識を落としたら世が乱れる。 |
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91 |
日に日に生きることが信心である。 |
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神のひれいもない。 |
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親のひれいもない。 |
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92 |
しんじんとは、信の心ではない。 |
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金光大神は、しんじんを神人と書く。 |
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114 |
父も私も気性が荒く、いつも意見が合わなかった。 |
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その時も何かのことで争い、参拝したところ、 |
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93 |
信心せよ。 |
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金光様は天地書附をくださり、 |
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信心とは、しんはわが心、じんは神である。 |
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「おかげは和賀心にあり」について、 |
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わが心が神に向かうのを信心という。 |
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「和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である」 |
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恩徳の中にいても、 |
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とご理解をしてくださった。 |
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人間に信がなければ、おかげはない。 |
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115 |
信心する人は何事にも真心になれよ。 |
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94 |
信心して神になることを金光大神が教えてやる。 |
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116 |
手や口は手水鉢で洗っても、性根は何で洗うのか。 |
95 |
天地金乃神は天地を人目に見とおし、守っておられる。 |
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実意丁寧の真でなければ洗えまい。 |
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人間は神の氏子、神のおかげを身いっぱいに受けるように、 |
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この身この心を神に向けて信心せよ。 |
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117 |
拝めとも何をせよとも言わない。 |
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何事も無礼と思わないで一心に取りすがっていけば、 |
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ただ一つ真の信心をせよと言うのに、 |
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おかげがうけられる。 |
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その一つができないのか。 |
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枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。 |
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わが身におかげを受けて、 |
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118 |
心配りする心で信心せよ。 |
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難儀な人を助けてあげよ。 |
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96 |
人間が神と仲よくする信心である。 |
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神を恐れるようにすると信心にならない。 |
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3 信心の成長 |
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神に近寄るようにせよ。 |
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119 |
信心も手習いも同じこと、 |
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97 |
信心はたやすいものであるが、 |
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一段一段進んでいくのである。 |
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みな人間からむずかしくする。 |
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にわかに先生になれない。 |
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三年、五年の信心では、まだ迷いやすい。 |
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十年の信心が続いたら、われながら喜んで、 |
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120 |
何事でも、千日の辛抱をしなければ |
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わが心をまつれ。 |
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一とおりの修行は積めない。 |
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日は年月のはじまりであるから、 |
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信心も、千日の信心が続けば、 |
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その日その日のおかげを受けていけば立ち行くことができる。 |
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だいぶありがたくなる。 |
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たやすく信心せよ。 |
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しかし、おかげを落とす者ができだすのも、 |
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このころからである。 |
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98 |
何事もくぎづけではない、 |
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信心は、 |
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信心もめいめいにしていなければ長く続かない。 |
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一年一年ありがたくなってくるのでなければ本当でない。 |
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99 |
信心に連れはいらない。 |
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121 |
信心は、年をとるほど位がつくものである。 |
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ひとり信心せよ。 |
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信心をすれば一年一年ありがたくなってくる。 |
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信心に連れがいれば、 |
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死ぬにも連れがいるであろう。 |
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122 |
神を信じる者は多いが、神に信じられる者が少ない。 |
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123 |
神を使って、神に使われることを知らない。 |
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