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第三節 神の心 |
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46 |
これまでは懐妊中の事柄を教えた者がないため、 |
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種々のことに迷っている。 |
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28 |
神は、人間を救い助けてやろうと思っておられ、 |
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人間は何のおかげでできるのか。 |
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このほかには何もないのであるから、 |
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母の胎内に宿り、妊娠したというのは、 |
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人の身の上にけっして無駄事はなされない、 |
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神が御霊を授けてくださった時である。 |
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信心しているがよい。 |
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この御霊は、医者が腹を開いて、 |
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みな末のおかげになる。 |
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これが御霊であると言って人に見せることはできない。 |
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人間の目に見えない神から、 |
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29 |
広い世間には、 |
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肉眼で見ることのできない御霊をお授けくださるということは、 |
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鬼のような心を持っている者もないとは言えないが、 |
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ありがたいことである。 |
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人間であったら、気の毒な者を見たり難儀な者の話を聞けば、 |
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人間の肉体は、母親が好きなものを食べ、 |
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かわいそうになあ、 |
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血の増えるのをもとにして、一人の体が造られ、 |
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何とかしてあげたいと思うものである。 |
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十月前後で出産して、男子である、女子であると言う。 |
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神の心は、このかわいいの一心である。 |
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懐妊中、神のお恵みでお造りくださるのである。 |
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「烏をおとりにしてかすみ網で雀を捕っていました。 |
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47 |
夫婦は他人の寄り合いである。 |
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かわいそうなことをすると思いました」 |
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仲よくすれば一代安心に暮らせる。 |
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と申し上げたら、金光様は、 |
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夫婦げんかをしても、後から心が折り合う時、 |
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「かわいいと思う心が、そのまま神である。それが神である」 |
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よく考えてみるとわけがわかる。 |
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と仰せられた。 |
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この事柄を自分でわかるということは、 |
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神からお与えくだされた御霊が、 |
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人間がおかげを受けてくれなければ、 |
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体の司だからである。 |
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神も金光大神もうれしくない。 |
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人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、 |
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神も人も同じこと、 |
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神の役目が立たない。 |
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いくら神を拝んでも、 |
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人間が立ち行かなければ、 |
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人の心にかなわなければ神の心にもかなわない。 |
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神も金光大神も立ち行かない。 |
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神の心にかなわなければ人のこころにもかなわない。 |
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同じように腹を痛めた子であれば、 |
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人が人を助けるのが人間である。 |
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かわいさに違いはないはずであるが、 |
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人間は、子供がころんでいるのを見て、 |
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それなのに、不幸せな子ほどふびんであろう。 |
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すぐに起こしてやり、また水落ちているのを見て、 |
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神もそのとおりで、難の多い、不幸せな者ほど、 |
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すぐ引き上げてやることができる。 |
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おぼしめしが強い。 |
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人間は万物の霊長であるから、 |
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自分の思うように働き、人を助けることができるのは、 |
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33 |
親は心配させる不肖な子ほどふびんに思うであろう。 |
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ありがたいことではないか。 |
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神も、神の心を知らないでいる者ほどかわいいと仰せになる。 |
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牛馬その他の動物は、 |
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親を頼って来る子には、うまい物でもやれるが、 |
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わが子が水に落ちていても引き上げることはできない。 |
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来いと言っても、何かと逆らい親を敵のようにして、 |
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人間が見ると、助けてやれる。 |
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よそへ出てしまうと、どうしているだろうかとふびんに思う。 |
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牛馬や犬猫の痛い時に人間が介抱して助けてやることは、 |
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親かそうして子をかわいがるのも、 |
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だれでもあろう。 |
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神が人間をかわいがってくださるのも、 |
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人間は病苦災難の時、 |
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同じことである。 |
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神や人に助けてもらうのであるから、 |
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人の難儀を助けるのが人間であると心得て信心せよ。 |
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不信信者ほど神はかわいい。 |
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信心しておかげを受けてくれよ。 |
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わが身はわが自由にならないものである。 |
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自分の信心が足りないためにおかげを受けられないのを、 |
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障子一重がままならない人の身である。 |
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神のおかげがないように思っている。 |
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神はこれが情けなくてならない。 |
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人間を軽く見るな、 |
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軽く見たらおかげはない。 |
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よく、神に捨てられた捨てられたと言うが、 |
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神はめったに捨てはしない。 |
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みな、人間の方から神を捨てるのである。 |
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37 |
神を親と思って信心していれば、 |
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どの宗教を信じていてもくさすことはない。 |
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神の方から子と思う。 |
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みな、天地金乃神のいとしい子である。 |
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たとえて言えば、子供のそばに、親がいなければ、 |
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あれこれと宗教が分かれているのは、 |
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悪い者に棒でたたかれることもあるが、 |
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たとえば同じ親が産んでも、 |
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親がついていればたたかれることはない。 |
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大工になる子もおり左官になる子もあり、ばくちを打つ子もあり、 |
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悪事災難は棒を持って来るのではないから、 |
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商売好きな子もあるというようなものでる。 |
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しのごうと思ってもしのげないけれども、 |
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宗教が分かれているといっても、 |
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神を父母と思って信心していれば、 |
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人はみな神の子で、 |
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目に見えない所は神が守ってくださる。 |
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それぞれに分かれているのである。 |
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そばの好きな者や、うどんの好きな者があり、 |
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38 |
神へは何でも願え。 |
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私はこれが好きだ、私はこれが好きだと言って、 |
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神は頼まれるのが役である。 |
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みな好き好きで成り立っているのであるから、 |
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くさすことはない。 |
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第四節 人間 |
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54 |
人のことをそしる者がある。 |
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神道はどう、仏教がこうなどと、そしったりする。 |
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天地金乃神はこの世の親神であるから、 |
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自分の産んだ子供の中で、 |
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天地金乃神に信心しているといっても、 |
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一人は僧侶になり、一人は神父になり、一人は神主になり、 |
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していないといっても、 |
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また、役人になり、職人になり、商人になりというようになった時、 |
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天地の間に生きているからには、 |
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親は、その子供の中でだれかがそしられて、 |
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天地金乃神の子に変わりはない。 |
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うれしいと思うだろうか。 |
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他人をそしるのは、神の心にかなわない。 |
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天が下の者はみな、 |
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釈迦もキリストも宗祖も、 |
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神の氏子である。 |
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みな神のいとし子である。 |
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天の下に他人はない。 |
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人の身が大事か、わが身が大事か。 |
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第五節 生と死 |
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人もわが身もみな人である。 |
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生きている間も死んだ後も天と地はわが住みかである。 |
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42 |
疑いを放して広い真の大道を知れよ。 |
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生きても死んて゜も天地のお世話になることを悟れ。 |
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わが身は神徳の中に生かされている。 |
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お天道様のお照らしなさるのもおかげ、 |
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43 |
牛は人間とは違い、 |
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雨の降られるのもおかげである。 |
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寒い時でも寒さの用意もしないで、 |
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人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。 |
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毛があるだけで、冬の寒中かぜもひかない、 |
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人間は、おかげの中に生まれ、 |
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これは飼っている人間の力におよばない、 |
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おかげの中で生活をし、おかげの中で死んでいくのである。 |
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鶏も山の鳥類、獣も同様である。 |
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みな、神がお守りくださっててることを悟るのが人間である。 |
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生きている時だけ天地金乃神のお世話になるように思っている者もあるが、 |
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死んでもお世話にならなければなせない。 |
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44 |
人間は小天地で、自分の頭をいつも神がお守りくだされているから、 |
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魂は神からお下げくださったものであるから、 |
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自分の体を思うように使えるのである。 |
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天からお暇が出たら、また神のおひざもとに納まり、 |
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体は地から生じたものであるから、 |
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人間はみな天地金乃神から人体を受け、 |
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地に納まってお世話にならなければならない。 |
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御霊を分けていただき、 |
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日々天地の調えてくださる食物をいただいて命をつないでいる。 |
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神のおかげで生まれてきた人間であるから、 |
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昔から、天は父、地は母というであろう。 |
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死ぬのも神のおかげでなくて死ねるものか、 |
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天地金乃神は人間の親である。 |
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そうであるから、 |
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信心をする者は、 |
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生まれたのがめでたいなら、 |
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一生死なない父母に巡り会い、 |
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死んで神になるのは、 |
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おかげを受けていくのである。 |
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なおのことめでたいではないか。 |
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死ぬのがつらいと言うのは、 |
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まだ、死ぬのをいとわないだけの安心ができていないからである。 |
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信心して、早く安心のおかげを受けておかなければなせない。 |
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神のお計らいでは、いついくかも知れないのに、 |
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その際のうろたえ信心では間に合わない。 |
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平生から、 |
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まさかの折にうろたえないだけの信心をしておかなければならない。 |
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