ダイ五章ゴショウ カミミチ 359 カミ金光コンコウダイカミといっても、
イマまではカタチがあったからアツサムさもカンじたが、
ダイ一節イッセツ カミ金光コンコウダイカミ これからはカタチってマコトカミになるから、
一目ヒトメにすべてのモノ見守ミマモることができる。
352 金光コンコウサマ
ワタシカミではない。 360 ツキクモカクれることがあろう。
百姓ヒャクショウである。 カクれてもツキクモウエにある。
天地テンチカネカミタノめばよい。 金光コンコウダイカミ生身ナマミであるから、
ワタシはただ、 やがてはカクトキる。
神様カミサマモウしあげるだけのことである」 カタチがなくなっても、
オオせられ、 どこへくのでもない。
神前シンゼンススまれると、 金光コンコウダイカミエイトオしである。
すぐカミから、 カタチのあるなしにココロマヨわさないで、
金光コンコウダイカミは、 マコト一心イッシン信心シンジンてぬけ。
自分ジブン百姓ヒャクショウであるから ウツクしいハナかせ、
天地テンチカネカミタノめばよい、 よいムスばせてくださる。
うが、
金光コンコウダイカミがあって天地テンチカネカミのおかげが 361 人民ジンミンのため、
うけられるようになった。 大願タイガン氏子ウジコタスけるため、
カミ何千年ナンゼンネンライ カミ金光コンコウダイカミ身代ミガわりにさせる、
アクカミ邪神ジャシンわれてきたが、 金光コンコウダイカミのひれいのため。
金光コンコウダイカミがあってカミたのである。
カミにとっての恩人オンジン金光コンコウダイカミである。
人間ニンゲンも、 ダイ二節ニセツ カミになる
金光コンコウダイカミがあってこそカミのおかげがけられるようになった。
人間ニンゲンにとっても恩人オンジンである。 362 金光(こんこう)(だい)(じん)のことを(いき)(がみ)と言うが、
カミからも人間ニンゲンからも両方リョウホウ恩人オンジン金光コンコウダイカミである。 金光コンコウダイカミばかりではない。
金光コンコウダイカミ この広前ヒロマエマイっている人々ヒトビトがみな、
タノんでおけばよい。 カミである。
金光コンコウダイカミうことをいてそのとおりにすれば、 カミとは、
カミうことをくのとオナじである。 ここにカミまれるということで、
金光コンコウダイカミ言葉コトバにそむかないように、 金光コンコウダイカミがおかげをけはじめである。
よくマモって信心シンジンせよ」 みなもそのとおりにおかげがけられる。
とおらせがあった。
その金光コンコウサマは、 363 ヒト金光コンコウダイジンのことをカミうが、
イマ神様カミサマがあのようにオオせられたが、 金光コンコウダイジンも、
ワタシ神様カミサマ番人バンニンのようなものであるから、 あなたガタオナ生身ナマミ人間ニンゲンである。
ワタシタノんでもおかげはいただけはしない。 信心シンジンしておかげをけているまでのことである。
どうあろうとも、 あなたも、
天地テンチカネカミサマ カミオオせどおりマコト一心イッシン信心シンジンしておかげをけ、
一心イッシンにすがれよ」 ヒトタスけてカミにならせてもらうがよい。
オオせられた。
すると、 364 無学ムガクヒトタスけられないということはない。
金光コンコウダイカミはあのようにうが、 学問ガクモンはあってもマコトがなければ、
金光コンコウダイカミにすがっていればよい。 ヒトタスからない。
まさかのオリには、 学問ガクモンうということがある。
天地テンチカネカミ 学問ガクモンがあっても難儀ナンギをしているモノがある。
うにおよばない。 金光コンコウダイジン無学ムガクでも、
金光コンコウダイカミタスけてくれ、 みなおかげをけている。
えば、
すぐにおかげをサズけてやる」 365 ヒト一人ヒトリタスければ、
とおらせがあった。 一人ヒトリカミである。
十人ジュウニンタスければ、
十人ジュウニンカミである。
353 金光コンコウダイカミ取次トリツで、 366 わが
カミき、 わが一家イッカ練習レンシュウチョウにして、
人間ニンゲンく。 カミのおかげをけてヒトタスけよ。
人間ニンゲンあってのカミ
カミあっての人間ニンゲン 367 カミから金光コンコウダイジンに、
のことはオヤタノみ、 いつまでもきないおかげをハナシにしておく。
オヤのことはタノみ、 金光コンコウダイジンオシえたことをチガわないように
(あめつち)地のようなもので、 ヒトツタえてマコト信心シンジンをさせるのが、
あいよかけよでタノいをせよ。 カミへのおレイである。
これがカミになるのである。
354 金光コンコウダイカミハナシは、 カミになっても、
学者ガクシャハナシ講義コウギチガって、 カミよりウエになるとはオモうな。
ここがツヅき、
ここがということがない。 368 信心シンジンしておかげをけて、
天地テンチのあるアイダは、 難儀ナンギヒトタスけるにならせてもらうがよい。
天地テンチハナシきることはない。 カミココロになって、
金光コンコウダイカミ天地テンチミチくのである。 けたおかげをヒトハナしてマコトミチツタえるのが、
カミへのおレイである。
355 天地テンチカネカミ人間ニンゲンとの間柄アイダガラを、 それがカミのおヨロコびとなる。
マイってモノハナしてかせよ」 信心シンジンするといっても、
と、神様カミサマがおおせられるので、 これまではみなカミ使ツカうばかりで、
金光コンコウダイカミハナシをしているのである。 カミ使ツカわれることをらない。
天地テンチカネカミヒト使ツカいとなさる。
356 金光コンコウダイカミがご神前シンゼンハナれれば、 カミ使ツカわれることをタノしみに信心シンジンせよ。
人々ヒトビトがけがアヤマちをするかもれない。
人々ヒトビトにけがアヤマちのないように、 369 ワタシはこれまで広大コウダイなおかげをいただいていますので、
本当ホントウのおかげがけられるようにとネガっていると、 ナニ神様カミサマにおレイをさせていただきたいとオモいますが、
金光コンコウダイカミはここをウゴヒマがない。 (なに)(たてまつ)ったら、
この神様カミサマ一番イチバンヨロコびくださるでしょうか」
357 金光コンコウサマは、いつも、 とおたずねした。
「たとえ、このきの仕置シオきにあい、 金光コンコウサマは、
村々ムラムラツジにさらしモノにされるようなことがあっても、 カミにおレイをするのにモノタテマツってすむのならば、
ワタシ屋敷ヤシキアト青草アオクサえるようになっても、 これまであなたがカミのおかげをけられたそのおレイには、
スコしもかまいません。 ナニもかもタテマツってもりはしまい。
世界セカイ人々ヒトビトが、 カミはそんなものをおヨロコびになるのでもなく、
カミ金光コンコウダイカミ またノゾんでおられるのでもない。
真心マゴコロ一心イッシンネガえば、 カミのありがたいことをらないナカ人々ヒトビトに、
どのようなネガゴトでもかなえてくださいませ」 あなたがおかげをいただかれたことをオシえてあげよ。
ネガっておられた。 そうすれば、
その人々ヒトビトタスけられスクわれる。
358 金光コンコウサマ、あなたがおカクれになりましたら、 それがカミ一番イチバンヨロコばれるおレイである」
このミチはどうなりましょうか」 オオせになった。
とおウカガいした。
すると、 370 きているトキカミになっておかないで、
心配シンパイすることはない、 んでカミになれるか。
カタチカクすだけである。
肉体ニクタイがあれば、
人々ヒトビト難儀ナンギするのをるのがさらい。
カラダがなくなれば、
ネガトコロって人々ヒトビトタスけてやる」
オオせられた。