9 習慣シュウカン ダイ四節ヨンセツ 信心シンジン社会シャカイ
336 フダをくださいとネガったところ、 346 ヒラけるというけれども、
「おフダはない、 ヒラけるのではない。
フダ人間ニンゲン目当メアてにするもので、 こわれるのである。
フダからおかげがるのではない。 そこで、
カミにはえないが、 天地テンチカネカミ世界セカイタスけにたのである。
そこらアタりいっぱいにおられるので、
カミナカけてトオっているようなものである。 347 イマ知恵チエ
ネガうのはカベ目当メアてにタノんでもよい」 人間ニンゲンが さかしい ばかりで、
オオせられた。 わがトクウシナっている。
337 信心シンジンしてカミりすがっていたら、 348 イマヒトナンでも時勢ジセイ時勢ジセイというけれど、
縁起エンギにすることはない。 たとえ時勢ジセイったとしても、
ツウじるとうが、 カミトクをいただかなければおかげにはならない。
それはワルホウるからである。
ならシアワせの し にれ、 349 カミがあっておカミができたのに、
よいのよにれ、 カミができたら、
みな、よいホウって信心シンジンすれば、 カミがおカミ支配シハイけることになっている。
いっさいおかげにしてくださる。
350 クニのため、
338 ヒトぬと、 ヒトのため、
四十九日シジュウクニチアイダ神棚カミダナガミをして閉門ヘイモンをし、 わがのためもオモい、
カミにはわさないモノがある。 すべてを粗末ソマツにしないように、
それでも、 マコト信心シンジンをせよ。
天地テンチカネカミのお土地トチまないではいられまい。
いろいろとカミへの無礼ブレイをしている。 351 のため、
ヒトのため、
339 あるヒトが、 わがのためをオモって、
モンまでてはカエり、 家業カギョウをありがたくツトめることができれば、
何度ナンドたりカエったりしているのを、 それがおかげである。
アツまっててた信者シンジャて、 それがカミココロにかなうのである。
金光コンコウサマ
あのヒトはどうしたのでしょうか、
マイりそうでマイりませんが」
ウカガったら、
「あのヒトは、
(おや)()んで()みの(うち)であるからと(おも)い、
遠慮エンリョしてマイれないのである。
この(みち)には()(けが)れはないから
マイってもよいとってあげなさい」
オオせられた。
340 だれでも、
まれるとは自由ジユウにならないのに、
きているアイダだけ、
日柄ヒガラとかナニとかう。
どのようなトコロ方角ホウガクも、
人間ニンゲン都合ツゴウのよいのが、
よいトコロ、よい、よい方角ホウガクである。
日柄ヒガラ方角ホウガクなどで、
カミ人間ニンゲンクルしめることはない。
341 イエてるトキ
日柄(ひがら)方角(ほうがく)()必要(ひつよう)はない。
コヨミでは吉日キチジツであっても、
アメれば、
棟木(むなぎ)などの大木(たいぼく)()げにくく、
アヤマちがなければよいが、
心配シンパイをすることになる。
カミにすがって、
いつでも吉日キチジツにしてもらうホウ安心アンシンであろう。
342 ウタガうならば、
鬼門(きもん)方角(ほうがく)(いえ)()ててみよ。
(かみ)(しか)らないと()ったら、
シカりはしない。
臆病(おくびょう)()れ。
おかげをやる。
343 縁談エンダンには、
相性アイショウ調シラ見合ミアわせるより、
マコトココロ見合ミアわせよ。
344 建築ケンチク縁組エングミなどをするのは勝手カッテであるとオモい、
ネガいしないでするヒトは、
シカりをける。
天地テンチカネカミにおネガいしなければならない。
345 このミチでは、
やくとは世間セケンでいうヤクではなく、
役目ヤクメヤクというく。
やくトシとは、
ヤクトシ
ということである。
おおやくのトシとは、
一段イチダンオオきなヤクトシ心得ココロエて、
ヨロコイサんで元気ゲンキココロ信心シンジンせよ。
草木クサキでもフシからて、
枝葉エダハシゲらせているであろう。
しかし、
フシカタくてれやすい。
人間ニンゲンのやくトシオナじことである。
信心シンジン辛抱シンボウしていけば、
フシトシサカイトシまさりダイまさりの
繁盛ハンジョウのおかげをけることができる。