249 大厄タイヤクショウヤクにおまつりかえを、 260 堪忍カンニンはよくできても、
また、ショウヤクはおハラいをおネガいせよ。 ハラつことをおさえこんでいるのでは気分キブンをいためる。
モノにたとえれば、 それでは、
たらいにいっぱいためたミズ屋根ヤネムネからしこしずつナガしてみよ。 まだいけない。
これがショウヤクのたとえである。 もうヒトススんで、
それをどっとナガすのが、 ハラつということをらないようになれ。
大厄タイヤクのたとえである。 そうすれば、
信心シンジンして、 クスリである。
大厄タイヤクショウヤクにしてもらい、
ショウヤクはおハラいいただけば、 261 信心シンジンするヒトは、
アト繁栄ハンエイをいただける。 十人ジュウニンマタはくぐっても、
一人ヒトリカタすな。
250 信心シンジンしながらも、
次々ツギツギ不幸フコウせがカサなると、 262 けてこらえておれ。
ナニかのしわざではないでしょうか。 ければソンをするからばからしいとオモうかもれないが、
ナニかのバチではないでしょうか」 カミがまた、
ってマイモノがあるが、 くりわせてやる。
どうして、 そして、
カミがかわいいバチをおてなさろうか。 ヒトからもよいヒトわれるようになり、
心得ココロエチガっている。 トクがついてくる。
をつけよ、
とおづけがあるのであるから、 263 理屈リクツがあっても、
イマまでとはココロアラタめて信心シンジンをすれば、 みなまでうな。
不幸フシアワせがおかげになってくる。 理屈リクツとくさびは八分ハチブめ。
ぎると紙袋カミブクロける。
251 信心シンジンアツくなるほどおタメしがある。 あいよかけよでオサまるのである。
タメしがあるのはおかげである。
264 信心シンジンアサトキには、
ヒトからしざまにそしられるとすぐハラって、
5 サキタノしみ こらえきりないで、
しっぺガエしのようなことをする。
252 ワルいことをってつなよ。 しかし、
サキタノしめ。 信心シンジンスコススんでくれば、
ヒトからそしられると、
253 ワルいことをオモしてにするな。 ハラつけれども、
今日コンニチ大切タイセツである。 信心シンジンしているからとオモってこらえられるようになってくる。
サキタノしめ。 信心シンジンがずっとススんでくると、
ヒトからそしられてもハラたない。
254 ワカトキ信心シンジンは、 ハラつどころか、
いてのタノしみである。 かえってそのヒトドクになる。
265 堪忍カンニンすることをよく心得ココロエておれ。
堪忍カンニンさえツヨかったらヒト仲違ナカタガいをすることはない。
「ああ、ふびんなものだ。
ワタシはこうしてこらえているが、
信心シンジンするココロのないモノは、
ああいうことをいてはアオカオをするであろう。
そういうヒトは、
カミネガって、
ナオしてもらってあげたいものだ」
というになっておれ。
6 辛抱シンボウ堪忍カンニン 7 我欲ガヨク油断ユダン慢心マンシン
255 何事ナニゴト辛抱シンボウ大切タイセツである。 266 ジョウヨクハナしてマコトミチれよ。
信心シンジンにおいてはなおさらのこと、
辛抱シンボウヨワくてはおかげがけられない。 267 目先メサキヨクハナして、
ナカには、やけをこして信心シンジンをやめるヒトがある。 先々サキザキトクをいただけ。
ドクなことである。
クルマでも心棒シンボウヨワったりれたりしたら、 268 サルからちる、
クルママワらない。 弘法コウボウにもフデアヤマりという。
辛抱シンボウをしないでシアワせをモノは、 ノボっても、
あまりない。 アブないアブないとオモっていると、
漁師リョウシでも農民ノウミンでも商人ショウニンでも、 用心ヨウジンするからけがはないが、
辛抱シンボウのないモノ出世シュッセができない。 スコ上手ジョウズになると、
漁師リョウシ農民ノウミンには風雨フウウ天災テンサイがあり、 大胆ダイタンになってオオけがをしたりイノチとしたりする。
商人ショウニンソンをしたりして、 慢心マンシンオオけがのもと、
不幸フシアワせなことがある。 健康ケンコウであっても信心シンジン油断ユダンをしてはならない。
それを辛抱シンボウしていかなければ、
シアワせにはなれない。 269 坂道サカミチ九分クブどおりノボって、
信心シンジンするにも辛抱シンボウ大切タイセツである。 それで安心アンシンしてはいけない。
その証拠ショウコには、 そのサカノボってこうへおりたら、
神殿シンデンのおトビラヒラいてみよ。 それで安心アンシンせよ。
ヘイか、みカガミのほかはナニもない。 途中トチュウユルめると、
ただただ、信心シンジン辛抱シンボウでおかげがるのである。 すぐにアトへもどる。
カミからおかげがるとオモわないで、
信心シンジンからおかげがるとオモって、 270 人間ニンゲンは、
信心シンジン辛抱シンボウツヨくせよ。 財産ザイサンができたり、
先生センセイわれるようになると、
256 サクラハナ信心シンジンより、 アタマをさげることをワスれる。
ウメハナ信心シンジンをせよ。 信心シンジンしてトクがつくほど、
サクラハナハヤる。 かがんでトオれ。
ウメハナ苦労クロウしているからすぐにはらない。 とかく、るくぎはたれる。
よく、アタマつというが、
257 信心シンジンをしていても、 テンアタマつのが一番イチバンオソろしい。
なぜおかげがないのであろうかとオモってはならない。 テンタカいからアタマつことはないとオモうであろうが、
たとえば、 油断ユダンをするな。
ムギをまいて肥料ヒリョウをやっておいても、 慢心マンシンるとおかげをりはずす。
正月ショウガツごろには、
肥料ヒリョウをやらないのとまったくわらないが、 271 おごりがましいことをするな。
春先ハルサキになると、 ものは、
肥料ヒリョウをやったのはずっとびてくる。 ホソくてもナガツヅかなければ繁盛ハンジョウでない。
信心シンジンもそのとおりであるから、 ホソミチでも、
オコタらないで、一筋ヒトスジココロでせよ。 しだいにヒロげてトオるのは繁盛ハンジョウである。
ミチクサやすようなことをするな。
258 信心シンジンをして、
おかげがあるとかないとかうけれど、 272 ナラったことをワスれてしまっても、
十年ジュウネン辛抱シンボウすればどんなモノにでもおかげをくださる。 それで師匠シショウトクをすることはない。
オボえていて、あのヒトのおかげで
259 信心シンジンするヒトは、 ここまで出世シュッセができたとえば、
ハラつことがあってもハラてないようにせよ。 それでオンカエすことになる。
ハラててはイエナカ不和フワこすし、 信心シンジンをしても、
ヒトとも仲違ナカタガいをする。 おかげをとしてしまっては、
世間セケンよ。 カミヨロコばない。
アトにはわがホロぼすモノがある。 おかげをけてくれればカミヨロコぶ。
これは堪忍カンニンらないのである。 金光コンコウダイカミハナシいて、
堪忍カンニンは、 それでおかげになれば、
ごく大切タイセツなものと心得ココロエよ。 金光コンコウダイカミヨロコぶ。
ヒトがおかげをければ、
カミヨロコもよろこび、
金光コンコウダイカミヨロコび、
ヒトもよろこぶ。