9 マツ
216 ヒトタノむにも、
206 イエてるとき、 日常ニチジョウ心安ココロヤスくしておかないとわない。
まずカミをどこにまつるかをカンガえてノチ カミも、
トコ座敷ザシキカンガえるようにすれば、 ツネごろの信心シンジンがなければ、
子孫シソンイエ繁盛ハンジョウする。 いざというトキわない。
207 マツは、 217 ナカには強欲ゴウヨク非道ヒドウ人間ニンゲンでも
信心シンジンワスれないための大切タイセツである。 不思議フシギにおかげをいただくことがありますが、
このマツワスれさえしなければおかげがある。 あれはどういうわけでございましょうか」
ワスれたらおかげはない。 とおウカガいすると、
オヤオンワスれないための法事ホウジのようなものである。 「いかに性根ショウネワル人間ニンゲンでも、
何事ナニゴトにもオンワスれてはならない。 一心イッシンにそのトキだけアラタまって信心シンジンすれば、
一時イチジはおかげをけるものである。
208 御霊ミタママツりは大切タイセツにせよ。 ちょうど、
やせ肥料ヒリョウをやれば一時イチジはできるようなもので、
209 のもとへ肥料ヒリョウをやれば、 長続ナガツヅきはしない。
枝振エダブりまでサカえる。 おかげをけたトキココロワスれないように、
先祖センゾオヤ大切タイセツにすれば繁盛ハンジョウさせてくださる。 ココロアラタめて信心シンジンしなければならない」
オオせられた。
210 分家ブンケをすると、
うちにはまつる御霊ミタマがないと十人ジュウニンのうち九人キュウニンまでうが、 218 病気ビョウキ災難サイナンがあったからといって、
それはオオきな間違マチガいである。 にわかに信心シンジンハジめるよりは、
ヒトにはみな先祖センゾというものがある。 ふだんから手厚テアツ信心シンジンしておれ。
れのはしにでも、 手厚テアツ信者シンジャであれば、
先祖様センゾサマってまつらなければならない。 カミから心配シンパイしてやる。
いかに大病タイビョウとか九死キュウシとかいうビョウナンでも、
トウゲえさせて全快ゼンカイさせてやる。
とかく信心シンジンやしておけよ。
219 手厚テアツ信心シンジンをするモノユメでもうかつにるな。
カミは、
ユメにでもしをオシえてくださる。
220 めでためでたの若松様ワカマツサマよ、
エダサカえるシゲる、
とめでたいトキウタうが、
エダサカえるシゲるのは、
ミキフトるからである。
ミキフトるのは、
ナカにはえないが、
オオきくっているからである。
もとになるれると、
フトミキシゲった枝葉エダハれてしまう。
日々ヒビ信心シンジンりをよくしていると、
無常ムジョウカゼいても、
たおれることがない、
おかげで枝葉エダハシゲって繁盛ハンジョウする。
これがめでたいのである。
ダイ二節ニセツ 信心シンジン心得ココロエ
1 日常ニチジョウ信心シンジン 2 一心イッシン
211 何事ナニゴトにも、 221 カミがあっての人間ニンゲン
自分ジブンでしようとすると無理ムリができる。 人間ニンゲンがあってのカミであるから、
カミにさせていただくココロですれば、 病気ビョウキ災難サイナンをはじめ何事ナニゴトでも、
カミがさせてくださる。 非常ヒジョウ平常ヘイジョウとにかかわりなくカミネガいをかけよ。
信心シンジンとは、
212 信心シンジンをしても、 ツネごろ、
ナニもかもててとびこんでしまうような信心シンジンをするな。 カミココロのようになるのが信心シンジンである。
チャづけでもべているような心持ココロモチちで信心シンジンせよ。 わせてオガむばかりが信心シンジンではない。
フシのあるところで、 一心イッシンとは、
あわててのこぎりをひくと、 ヒトつのココロく。
のこぎりのれる。 二心フタゴコロのうろたえココロさないで、
天地テンチカネカミ一筋ヒトスジりすがるのが一心イッシンである。
213 ふだんから、 十分ジュウブンなおかげをけるには、
カミりすがっていれば、 一心イッシンでなければならない。
カミココロアンくならせてもらっているのと同様ドウヨウである。
無理ムリいていただける。 222 これまで、
ダイナンショウナンにまつりかえてくださり、 カミがものをってかせることはあるまい。
ショウナン無難ブナンにおハラいくださる。 どこへマイっても、
カタ便ビンネガてであろう。
214 信心シンジンするモノは、 それでも一心イッシンてれば、
いつも、 わがココロカミがおられるからおかげになるのである。
ココロに みき をソナえてイノれ。 きたカミ信心シンジンせよ。
いっさいのネガゴト成就ジョウジュさせてやる」 テンムカシからんだことはない。
金光コンコウサマオシえてくださった。 金光コンコウダイカミイノるところは、
信心シンジンするモノは、 天地テンチカネカミ一心イッシンである。
これをワスれてはならない。
みき というのは、  223 オモ念力ネンリキイワをもとおすというが、
ありがたき、 信心シンジンするモノ一心イッシンしてネガえば、
オソオオき、 どんなことでもかなえてくださる。
もったいなき
ミッつの き である。 224 うろたえ信心シンジンをするな。
信心シンジンするモノココロからこのミッつのきがけたら、 ハヤくおかげをけたいとオモってうろたえるのは、
おかげはけられない。 近道チカミチをしようとオモってらないミチでうろたえるのとオナじである。
金光コンコウダイカミ信心シンジン大道ダイドウくようなものである。
215 ふだんはふだんでおかげをけなければならないが、 一心イッシンになって信心シンジンせよ。
いざというトキにはなおのことおかげをけなければならない。
どのようなトキにでもワスれてサガマワることのないように、 225 一心イッシン信心シンジンすれば、おかげはけられる。
信心シンジンココロ肌身ハダミハナさずっていないと、 たとえてえば、オンナヒトでも、
用心ヨウジンワルい。 いよいよ一心イッシンオトコ一人ヒトリしかない。
いざというトキにはハダカでも、 このヒトオモったら、ココロソコから一心イッシンして、
んぼのナカでもよい、 ココロんでしまうのでなければ、
金光コンコウサマ、おネガいします」 まことのコイではない。
タノめば、 オトコ見下ミサげるのでもキラうのでもないけれど、
すぐおかげをくださる。 ココロちこんでいきたいのはこのヒトであるというのでなければならない。
ヒトにも、このヒト親切シンセツであるとか、
あのヒトタノみがいがあるということがあろう。
何事ナニゴトタノむにも、一人ヒトリマカすと、
そのヒト自分ジブンのおよぶカギりのチカラくして世話セワをしてくれる。
二人フタリ三人サンニンタノむと、
相談ソウダンれて物事モノゴトがはかどらない。
信心シンジンもこの一心イッシンすと、
すぐにおかげがいただける。