168 カミ本気ホンキオガむには、 178 商売ショウバイジョウのことをネガったところ、
拍手カシワデって神前シンゼンかったら、 金光コンコウサマは、
たとえヤリサキかれてもウシろをいてはならない、 「あなたのイエには病人ビョウニンがあるのに、
物音モノオトモノゴエくようでは、 それをほっておいてネガいもしないで、
カミ一心イッシントドかない。 不孝フコウモノである」
われ、
169 いかにありがたそうにオガみことばをトナえても、 「よくカンガえてみるとチュウフウウゴけない老人ロウジンがいます」
ココロマコトがなければカミにうそをうのと同様ドウヨウである。 モウしたら、
拍手カシワデも、 「それをそのままにしておいてもよいか」
無理ムリオオきなオトをさせるにはおよばない、 オオせられ、
チイさいオトでもカミにはこえる。 ナオるでありましょうか」
オガむにも、 モウしたら、
大声オオゴエしたりフシをつけたりしなくても、 老人ロウジンだからといってナオらないことはない」
ヒトにものをうとおりにオガめ。 とおおせられ、
信心シンジンして全快ゼンカイした。
170 はじめは、
ハラいを一週間イッシュウカン一万回イチマンカイトナえていたが、 179 んだからといって、
そのことを金光コンコウサマにおハナシモウしあげたところ、 カミのおかげをけないではいられまい。
オガ信心シンジンをするな。 ギワにもおネガいせよ。
マコトでなければいけない」
われた。 また、 180 容赦ヨウシャをするな。
カミオガむのにクチアラっても、 カネココロでつけ。
ココロアラわなければナニもならない。 太鼓タイコはたたきヤブでたたけ。
ココロミズではアラえない。 れもヤブれもしない。
マコト一心イッシンココロアラって信心シンジンせよ」 ただ、そのヒトちよう、
ともオシえてくださった。 たたきようしだい。
天地テンチワタってみせよう。
171 アラったりクチをすすいだりしなければ
信心シンジンはできないことはにい。
農作業ノウサギョウをしていて、 5 おレイ
肥料ヒリョウをあつかっているアイダコトこったトキ
アラったりクチをすすいだりしていてはわない。 181 きているモノにはみな、
そうしたトキはには、 おかげをやっている。
すぐそのままハイレイしておタノモウせばよい。 オンワスれるなよ。
そのナカにも、
まことのおかげをけるモノが、
4 おネガ 千人センニン一人ヒトリもない。
172 天地テンチアイダ人間ニンゲンカミ氏子ウジコである。 182 あなたガタチイさいトコロをつけて、
ウエイタみや病気ビョウキがあっては、 夜分ヤブン提灯チョウチンりても、
家業カギョウができがたい。 みやげをつけて、
ウエ安全アンゼンネガい、 ありがとうとレイってカエす。
家業カギョウ出精シュッセイ それならば、
五穀ゴコクセイシュウ カミ(太陽タイヨウ)にはどのくらいオオきなおレイモウしても、
ウシウマにいたるまで、 ぎることはあるまい。
ウエのこと何事ナニゴトも、
実意ジツイをもってネガえ。 183 信心シンジンするモノは、ヤマってカブコシをおろしてヤスんでも、
トキにはレイ心持ココロモチになれ。
173 オオきなことはおネガいし、 184 ミチ夕立ユウダチうと、
このくらいはカマわないということはない。 世話セワになりますとって軒下ノキシタりて、
カミには、 アメがもうやむかも うやむすとソラばかりているが、
オオきいことチイさいことの区別クベツはない。 やみになると、
何事ナニゴトにもカミのおかげをいただかなければならない。 やんだやんだとって、
ろくろくレイわないでく、
174 病気ビョウキでもなると、 そのような信心シンジンでは、
だれでもヒトハナすが、 おかげにならない。
カミモウしあげることはしない。
ヒトにはわなくてもカミモウげておネガいすれば、 185 九死キュウシ一生イッショウのおネガいでどうでもおかげをいただこうと、
おかげがけられる。 一心イッシンになっているトキのように、
オガカタらなくても、 レイ本気ホンキえたらよい。
一心イッシンにすがればおかげをくださる。 ネガうことはすぐにできても、
レイはなかなかえない。
175 ネガゴトがあると、 ネガ一度イチドに おレイ十度ジュウドというように、
遠方エンポウからわざわざマイってタノヒトオオい。 レイココロアツいほど信心シンジンアツい。
ヒトタノむにはおよばない。 信心シンジンアツいほどおかげがアツい。
マコト信心シンジンをして、
自分ジブンネガっておかげをいただけ。 186 金光コンコウサマ、なにぶん、突然トツゼンにおマイりをしましたので、
ヒトタノまなければ、 ナニもおレイってておりませんが、
おかげをいただけないとすれば、 ナニをおソナえすればおヨロコびくださるでしょうか」
取次トリツをするモノのそばにつききりでいなければなるまい。 とおウカガいすると、
カミはそういうものではない。 ナニもおレイすことはいらない。
自分ジブンネガって、 自分ジブンけたおかげを手本テホンにして
自分ジブンでおかげをいただけ。 ナカヒトスクってあげれば、
レイになる」
176 自分ジブンからキリりをしてネガえ、 オオせになった。
一週間イッシュウカンとか一日イチニチとか、 そこで、
イマのことをイマとおネガモウして、 ワタシのような学問ガクモンナニもないモノには、
おかげをけよ。 それはむずかしいことです」
一度イチドキリりをしておネガいし、 とおコタえすると、
おかげのしるしがなければ、 学問ガクモンのあるモノしかカミ使ツカわないというわけではない。
カサねてネガえ。 学問ガクモンはなくてもマコトトクをいただけば、
それでもしるしがなければ、 さしつかえはない。
なおもう一度イチドと、 自分ジブンけたおかげを手本テホンにしていくのであるから、
三度サンドまではしてネガえ、 むずかしいことはない。
ネガヌシがあきらめてはいけない。 ヨウをさせていただけ」
してネガっておかげをけよ。 オオせられた。
177 みな、おかげをけるためにマイってるはずであるが、
ナカには、
カミが「おかげをやろうやろう」とわれるのに、
「いや、結構ケッコウです」とってカエモノもある。
おかげをぜひいただかなければ
カエらないというでいるモノこそ、
おかげがいただけるのである。