4 信心シンジン道徳ドウトク 134 無常ムジョウカゼトキキラわないというが、
金光コンコウダイカミは、
124 ムカシから、あのヒト神様カミサマのようなヒトである、 その無常ムジョウカゼトキキラわせてやる。
仏様ホトケサマのようなヒトである、 病気ビョウキ程度テイドわせてきるかぬかの見立ミタてをするのは、
ヒトワルいことをしない正直者ショウジキモノであるとわれるモノでも、 医者イシャである。
だんだん不幸フコウなことがカサなったりして、 これではきられないと、
どういうわけであろうかというが、 医者イシャったら、
みな、カミ無礼ブレイ粗末ソマツがあるからである。 ぬのである。
いくらヒトワルいことをしない正直者ショウジキモノでも、 そのように医者イシャったモノでも、
信心シンジンしなければカミには無礼ブレイ粗末ソマツになる。 天地テンチカネカミのおかげをいただいてタスかったら、
ヒトがよいのとカミへの無礼ブレイとは、 無常ムジョウカゼトキキラったことになるであろう。
またベツものである。
信心シンジンしなければ、いくら善人ゼンニンでもおかげにはならない。 135 カミココロにかなったモノスクない。
財産ザイサン人間ニンゲン健康ケンコウとがそろって三代サンダイツヅいたら、
125 どんないよい料理屋リョウリヤトナリにあっても、 これがカミココロにかなったのである。
その料理屋リョウリヤのごちそうをべたことのないヒトアジらない。 カミココロにかなわないと、
料理屋リョウリヤのごちそうはべなくてもよいが、 財産ザイサンもありチカラもあるが、
金光コンコウダイカミハナシをしている天地テンチカネカミのおかげは、 健康ケンコウでない。
けないわけにはいかない。 健康ケンコウカシコくても財産ザイサンをなくすことがあり、
また、オオくのヒトナカには、 また大切タイセツモノんで、
ワタシ天地テンチカネカミオガまないがそれでもさしつかえはない、 財産ザイサンノコして子孫シソンやしてしまう。
ヒトもある。 カミのおかげをらないから、
これはオンけて恩知オンシらずというものである。 タガチガいになってくる。
信心シンジンしてカミ大恩ダイオンれば、
126 物事モノゴトのわんらない無茶ムチャモノでも、 無事ブジ健康ケンコウ子孫シソンツヅ財産ザイサンもでき、
信心シンジンしていると、ってわってよくなってくる。 一年イチネンまさりダイまさりのおかげをけることができる。
それというのは、
信心シンジンすればモノ道理ドウリかされ、 136 めでためでたの若松様ワカマツサマよ、
道理ドウリをわきまえてくるからである。 エダサカえるシゲる、
カミミチれば、ひとりでにヒトミチむようになるが、 というではないか、
ヒトミチをわきまえているとモノナカには、 金光コンコウ大神ダイジン子孫シソン繁盛ハンジョウ
カミミチをわきまえないモノがいる。 イエ繁盛ハンジョウミチオシえるのである。
127 ダイ正直ショウジキヒトアクシンヒトは、
よくおかげをいただく、
チュウくらいのヒト熱心ネッシンさがうすく、
おかげがスクない。
ダイ二節ニセツ おかげ ダイ三節サンセツ トク
128 シンにありがたいとオモココロは、 137 サキまでっていかれ、
おかげのはじめである。 子孫シソンまでもノコるのはジントクである。
ジントクは、
129 だれでも、 信心シンジンすればだれでもけることができる。
不幸フコウ災難サイナンってコマりきっているトキタスけてもらったのは、 ジントクきることがない。
このオン
このおかげを一生イッショウワスれられるものかとうが、 138 ジントクけよ、
サズかっているおかげは、 人徳ジントクよ。
案外アンガイらないでいる。
カミのおかげは、 139 ジントクは、
きているからんだからからではない、 人間ニンゲンゴコロクライオモわず、
いつもトオしである。 理屈リクツわず、
学問ガクモンのうぬぼれココロもなく、
130 信心シンジンしていれば、 キヨ一心イッシンさえあれば、
えるおかげよりえないおかげがオオい。 けられる。
ったおかげよりらないおかげがオオい。
アトカンガえてみてはじめて、 140 金光コンコウダイカミマイってたずねるトコロがなかった、
あれもおかげであった、 あなたガタはおかげをけて遠路エンロのところをマイってるが、
これもおかげであったということがわかるようになる。 信心シンジンしてトクけて、
そうなれば本当ホントウ信者シンジャである。 しのぎをするようになれ。
131 みな、おかげをくださいとうが、 141 トクのないうちは心配シンパイする。
たして本当ホントウののおかげをっているのか、 カミトクければ心配シンパイはない。
自分ジブンオモうとおりをいてくださるのがおかげとはカギらない。
んでおかげのモノもあり、 142 ワタシビョウで、長生ナガイきはできないようながしてなりません」
イノチをつないでもらっておかげのモノもある。 モウげると、
すべてこののことは天地テンチカネカミのご支配シハイであるから、 金光コンコウサマは、
カミマカすよりほかはない。 ヒトイノチ人間ニンゲンカンガえではわからない。
信心シンジンしていれば、 カミこうあけハナしであるから、
そのトキ都合ツゴウワルいようでも、 信心シンジンしてカミトクんで、
カミオオせにそむかないでいると、 長生ナガイきをするがよい」
アトになってから、 とみオシえくださった。
あれもおかげて゜あった。
これもおかげであったということがわかってくる。 143 信心シンジンしてトクみ、
これがわかるくらいの信心シンジンをしなければ、 カミからトクけたヒトは、
信心シンジンするかいがない。 ツツシみが第一ダイイチである。
ツネツツシみをしても、
132 広大コウダイなおかげというが、 ギワ不足フソクココロては、
おかげとはめいめいのマコトウツカゲのことであるから、 せっかくけたトクウシナうことになる。
カミオオきなマコトけてみよ。 信心シンジンしてトクけたモノは、
オオきなおかげがわがにいただける。 平素ヘイソツツシみも大切タイセツであるが、
チイさなマコトオオきなおかげはもらえない、 ギワツツシみも、
カゲカタチうとまったものである。 大切タイセツである。
カナラずそのトキトクとさないようにせよ。
133 おかげはたらいのミズである。
こうへやろうとすれば、こちらへる。
こちらへろうとすれば、こうへく。