昭和四十七年元旦祭御教話

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元日の心
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 正月をいよいよめでたいものに、同時にありがたいものに、それを演出してからでもいよいよめでたい気分を味わいたい。これが、日本人のお正月を迎える気持ちであろうか、と思わせていただきます。
 前の年から、例えば、すす払いをいたしましたり、また、表に門松を立てたり、掛け軸もめでたいものなら、やはりお花も松竹梅というように、何から何まで、めでたいづくめの中で、元旦を迎えたい。そしてその元旦のめでたい気持ちで、今年もいよいよ幸せになりたい、そういう願いがこめられてのことでございましょうが、ところが、どうにもできないことがあるんでございますね。それこそ縁起でもないというような事が起きてくるのですから、しかたがありません。

 私は、昨夜の除夜祭にも、この事を聞いていただいたのですけれども、ここ二、三年、私の心の中に、大晦日もなければ元日もないといったような気持ちが、非常に強くなってきた。全然そんな事は問題ではない。若水を汲んで、そして新しいタオルを使わせてもらうといったようなこともない。
 それはどういう事かと言うと、やはり、「日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて」と、信心の要点になるところを、そのように教祖は教えておられます。私どもは、日々がそこのところに取り組まれているのでございますから、いわゆる「日に日に新」というのは、元日の心である。一日を締めくくって、「今日も広大なおかげの中におかげをうけたなあ」と、思う心が、お礼を申してもお礼を申してもつきないほどの、ありがたい思いでやすませていただく。いつもが元日であり、日が暮れたらいつもが大晦日であるといったような精進がだんだん、身について来たからであると思うのです。

 私は、その事を非常にありがたいと思います。もうそれこそ、元日は元日らしい着物をきたり、めでたいものを見たり、聞いたり、そして、日ごろは食べないような物を頂いたり、いわゆる長生きの薬といわれるお屠蘇を頂いたり、そして、わざわざ元日の心というものをつくりたい。ところが、そういう心が、まだ松の香も消えない内に消えてしまうといったようなことになってくる。先ほども、若先生が言っていましたが、元日早々でも、やはり腹の立つような事が起きてくる、というわけなんです。けれども、そういう腹の立つといったような事柄が、腹が立つという事ではなくて、それがありがたいという事に頂けたらよいのです。

 甘木の初代がご晩年のころ、元旦のご挨拶にね、「今年は私は不平不足を思わんですむ修行をしたい」とおっしゃったが、大変なことだなと思いました。不平不足を言わんというだけでも、大変なことなのに、それを思わんということは、もう大変なことだと思う。大変な修行だと思うのです。大変なお徳を受けなければできることではないと思うのです。
 だから、例えて言うならば、不平不足が起きてくるような、その問題がです、その問題が、私にとっては不平不足どころか、お礼を申し上げることばっかりなんだということになるのです。

 信心とはありがたいですよ。私も始めからこうじゃなかったです。いや、ついこのごろまでは元日といえば、それこそ縁起をかつぐわけじゃないけれども、元日の気分を満喫したいというので、さまざまな演出をしてでも、元日のめでたい気分を味わいたい、と思うておった私がです、だんだん教祖様のみ教えのいわば信心の要点であると思われる、「日が暮れたら大晦日と思い夜が明けたら元日と思うて、日々嬉しゅう暮せば家内に不和はない」というおかげを頂いておるということです。これは、また、ここまでということではありません。限りのないことなのです。素晴らしい、何といっても信心とは素晴らしいと思うのです。
 私自身が、おかげを頂いてきてそう思うのです。だから、そういう信心を目指させていただくということ。また、願いとさせていただくということ。これは、合楽にご縁を頂いている全部の人が、そこに思いをかけ、願いを持たせていただいての信心のけいこでなければいけないと私は思うのです。

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お気づけを下さることがありがたい
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 例えて申しますと、今日の元旦祭が、もうそれこそありがたい、めでたい雰囲気の中に、まさに幕を切って落とされた。ご祭典がだんだん、進んでまいりまして、献饌になりました。私は実をいうと昨夜から休んでおりません。今朝方からちょっと休んだだけです。座らせて頂いたとたんから、眠気を催す。まあ、うとうとしておるというわけではないけれども、ビックリして、オイサミじゃろうかと思うたら、目の前にお米がいっぱいこぼれていた。
 以前の私だったら、どうだろうかと思いますね。いや皆さんも「アラッ」と思われたでしょう。本当にヒヤッとするほどのことですけれども、ヒヤッとするということはです、ヒヤッとするほど、ありがたいということだったんです、私の場合は。

 皆さんはどうだったでしょうか。一番最初に、一番大事な洗い米。正月の洗い米は毎年、皆さんにお下げいたします御神米の中に入れさせてもらうあのお米なのです。もうそれこそ、教会にとって命なのです。それで無い命が助かったり、もうおかげで、薬も、医者もといわんですむおかげを頂いているのも、あの御神米あればこそです。
 そういう大事な御神米が、元日早々、先生方の手から手へ移ってゆくその瞬間に、しかも御神前で「パチーッ」という大きな音と共にお米が散乱した。ただごとではない。まあ見苦しい事は見苦しい。ほうきで掃いたり、ちり取りもってきたりせねばならんから。
 神様はもう間違いありません。どんなに大徳な先生といおうが、大先生といわれようが、生身をもっておることですから、どこにお粗末、ご無礼があるやら分からん。そのお粗末、ご無礼があればあるでね、お気づけを下さるという事がありがたいじゃない。神様が生きてござる印なんだ。だから、「アラッ」というよりも、ありがたい、ヒヤッとするほど、ありがたかったというのがそのことです。そのありがたかったというのが、ありがたいことにつながってゆくのです。

 お正月に縁起がよい事を思う。その思いは確かに、おかげを頂く心ですけれども、それが逆さに出たときに、「今年は縁起が悪い」と思うたら、やはり今年は縁起が悪いことになるような、そういう天地の中には一つのシステムといったようなものがあるのです。
 ありがたいと思えばありがたい事が起こってき、ああ、これは困った事、難儀な事だと思ったら、難儀な事が起こってくるような、天地の中にはそういう働きがあることを、私どもが分からせていただけばいただくほど、いつでも、どんな場合でも、どんな事に直面いたしましても、それをありがたいと受けれる心を、日ごろ頂いておかなければいけないかということが分かります。どんなに素晴らしい、めでたい正月を演出いたしましても、それこそ思いもかけないことが起きてくるのですから。

 お鏡の上にお供えしてあるお米袋、あれを、お鏡の上に載せるのではなくて、三方の上に直接載せておけば大丈夫だった。ところがお鏡の丸くしているところに、ちょっと載せている。それがコロコロしとったにちがいない。誰も確かめてなかった。それで落ちたと言えば落ちたのだけれども、やはりそこにはそれこそ、ヒヤッとするようなものを感じた。生きた神様の働きをそこに見る信心が必要なのです。
 そして次にね、「神様とはありがたいなあ」と私はしみじみ思いました。とたんに、おかげでシャンとした元旦祭を仕えさせていただいた。昨夜眠ってはおらんけども、眠いどころではない、それからありがたいありがたい元旦祭に入ってまいりました。

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日に日に新たな心を頂くために
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 一昨日でした、久富先生が、「親先生、今度の洗い米をさせていただきますが、御神米に使わなければなりませんから」というお届けがございました。そしたら神様が、「今度の元旦祭の洗い米は使わぬ。」とおっしゃった。今度の御神米はね、六日からですか、「寒修行が始まるその前夜に洗え」ということでした。そして一ヵ月間、みんなの総祈念を、そこに集中して、その寒修行を終えた、そのお米をもって、今年の御神米のお米にするというお知らせを頂きました。
 そして、これですから、私はありがたいと思わねばおられんのです。なるほど、その事はヒヤッとするほど、お気づけであり、また、ヒヤッとするほどありがたいのですけれども、神様がね、「元旦祭の洗い米は御神米には使わん」とおっしゃった。皆さん、悪い意味でヒヤッとなさった方は、心の内でありがたいと思い直さねばいけません。まあ合楽というところは何とありがたいところだろうかと、思わねばいけません、どうでも。みんなも、張り切って寒修行させていただく一生懸命の御祈念をその洗い米に注がしていただく。一ヶ月間、御祈念させていただいて、そのお米を御神米に使う。ありがたい、ありがたい、今日、あれがこぼれてないなら、こんなありがたい御神米はできない。ありがたかでしょうが。
 そこで、どんなに元日の心にならせていただこうと思うても、めでたい心にならせていただこうと思うても、めでたいと思われないような、かえって縁起の悪いような事が、突発的に起きてくるのでございますから、その時点でね、それをどう受けるかという信心が、けいこなんです。それをありがたい、ありがたいで受けさせていただける心のけいこですから、たゆまざる信心修行が必要になってくるわけであります。
 日に日に新な心、その新な心を頂かせていただくために、今日もひとつ新しい心になろうと思うただけではなれない。そこに教えに準ずるというか、教えに忠実な生活が始められる。いわゆる家業の行が始まる。そういう信心が繰りかえし、繰りかえしなされて始めて自分の心に自分でも不思議なくらい心が頂けてくるのです。

 私はここ二、三年、元日というものをわざわざめでたいというふうに、演出しようとは思わない。それでもまあ、皆さんが一生懸命、元日らしい、例えば今日のお供え物ひとつでも、久富先生がほとんど担当でなさったんですけれども、やはり元日らしい盛り付けになったいた。なるほど、元日らしいお祭である。そういうふうに、東玄関には竹内先生の奥様が、お花をあんなふうにきれいに生けてあって、本当に、入ったとたんに、何かこう引きしまるような、元日だなと思わせて頂けるような、ありがたい雰囲気が正面脇殿の入口のところで感じられる。日ごろではないことをするわけです。
 ですから、人間が努力をするということはそのくらいのことなんです。だからそれとは反対のときに、それをめでたい、ありがたいで受けてゆくというところに信心のけいこがあるわけです。神様がね、そこのところを分からせようとなさるために、さまざまな演出をなさる。

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本当のことをさせようとされる神様の働き
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 今日も今朝から吉井の熊谷さんが、参拝して見えられまして、「先生、本当に神様のご都合には恐れ入ります。昨日という日は大変に忙しく、しかも私がおらなければどうにもできない、それも逃げ隠れして来なければ出てこれない状態でございました。あれが普通でございましたら、口実はつくのですから御無礼しとったでしょうけれども、昨日、二度目のお参りにお供えをもって参りましたときに、親先生が御結界奉仕されておられて、『熊谷さん、今晩は、玉串奉奠があるよ』と言われた。あら、いつでも婦人総代はないけれど今度はあるのだろうかと思うて帰った。親先生から「今日は玉串奉奠があるよ」と言われておった事が、引っかかて引っかかって、しようがないから、抜けつくぐりつしてから、参られんところを、昨日はちょうど、除夜祭におかげ頂いた」とこう言うのである。
 そしたら玉串は、いつものように男の総代さん方で上げられて、「玉串は上げられなかったけれども、例えばうそにでも玉串奉奠がある、と神様が言うてくださって、間違わないように、私を導いてくださった」と言うておられます。

 ですから、どんなに忙しかっても、抜けつくぐりつしてからでも、一年中の締めくくりの除夜祭だから、お礼に参らなければならない。お礼に参ることが本当だということになる。そういうことになるでしょう。だから、神様はうそを言うてでも、熊谷さんに本当のことをさせようとなさっておられる。昨夜は、そんなわけで娘と二人で話して、休ませてもらったのは、二時半ぐらいでした。「あら、そんなら私と同じことじゃったね」と言うたことでした。

 それこそ、さすが熊谷さん、もう七十いくつになられる方が、それこそ、朝の御祈念に参って、夜の御祈念に参って、もうそれこそ、いそいそとしてお参りになる。だけど、昨日という昨日ばかりは疲れ果てておった。また、事情もあった。今朝という今朝は、もうそれこそ、もう本当に、いつも神様が起こしてくださるのに、今日ばっかりは起こしてくださらなかったところをみると、今日はもう参らんでもよいぞという感じだった。ところが、また思い出した。
 若先生が、「熊谷さん、明日の朝から青年会でご本部参拝するから、お初穂を早う持ってきてください」とおっしゃった。元日祭にどうせお参りをするのだから、三里も四里もの道を行ったり来たりするよりも、もう朝の御祈念はご無礼をして、昼からの元日祭にお参りをするのでもよかったんだけれども、自分が聞き違いしておった。青年会が朝からご本部参拝をすると思いこんでおった。だから、「これはお初穂を、遅らしてはいかん」と思うて、今朝はお参りさせていただきましたら、聞かせていただいたら、今日は夕方からだったそうです。まあ、それを思い、これを思い、本当のことをさせようとなさる神様の働きを、熊谷さんは感じておられる。私どももそこからです。本当の事とはということを分からねばいけません。

 私は、今朝から、後から参って来た方たちに申しました。合楽というところは、おもしろいというところ以上に、ありがたいところだと私は思います。今朝から、ちゃんと朝の御祈念に、いつも朝の御祈念に参ってくる人たちが参って来ておる。福岡からは秋永信徒会長夫妻、古屋さんたち親子、高橋さん、昨夜、遅くまで除夜祭を頂いて、そうして、また帰って、正月の準備をさせてもろうて、そして、また朝の御祈念に参って来て、十何里の道を帰って、また、このお祭りに、また皆、参って来ておる。それがありがたいと分からせていただくほどの信心。

 結局、信心というのは信心修行なんですから、しかも信心で、これをひとつもらおうというのではなく、人間の本当の幸せを頂くことのためなのですから、あの世にも持ってゆけれる、この世にも残しておけれるという大変なものを頂くためなのですから。それをね、平気でというよりも、ありがたくできておられる方たちがありがたい。それでも生身をもっておることですから、熊谷さんじゃないですけれども、昨日も今日も、そのようにして、もう一歩で御無礼になるところを、お参りができられた。熊谷さんの、せっかくの素晴らしい信心を、素晴らしい信心たらしめようとなさる神様の働きが、思いちがいをさせたり、または、うそを言うてからまでも熊谷さんをお参りさせた。私が昨夜、うそを言うたわけじゃないですよ、私もそう思いこんどっておったんです、実をいうたら。女の方も上げねばならんと思うておった。そしたら、久富先生に聞いたら、「いいえ玉串は六本しか用意しておりません、いつも男の方たちばっかりですから」という。「ああそうじゃったの」ということでしたが、熊谷さんは、その事によって、昨日の除夜祭も、ご無礼せずにお参りができたということ。もうそれこそ、これで済んだとは思いません。もう一にも押しながら二にも押し、三にも押しで、信心のけいこというものは、させていただくべきだと思います。

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信心の造営にかける熱意
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 いよいよ今年は、合楽教会が開設されまして満五周年の年柄を迎えました。十月二十日には、いよいよ、ありがたい記念祭が奉仕されるのです。その時になって仕えられるというのではない。祈りに祈りがこめられて、お互いが精進に精進させていただいて、そこに真心いっぱいが結集されて、捧げられて、初めて喜ばしい、ありがたい記念祭が迎えられるわけでございます。それには今度はその記念事業として、その一環としての御用がです、ここに始めは、少年少女会館といっておりましたけれども、西脇殿ということになり、ご造営になることになりました。

 先日から、起工式がありました。あそこに現場事務所が建っておりますのは、そのために建てられたもので、着々と準備が進められて、この春、早々から着手されることでございましょう。ところが、私は今日の、あのお米が御神前でパチッと音を立ててこぼれた時に、ヒヤッとするほどのありがたさと同時に、本当にお粗末、ご無礼というところを、おわびをさせていただかなければならない、また改めさせて頂かなければならないと思わせていただいとりましたら、今日は鰤のお供えが二匹、こう腹を合わせて盛り付けしてございます。それが、お三方二台です。

 私が今日、御心眼に頂いたのは、たいして大きくない鯛が二匹合わせて、頭のほうをお三方の外へこう出しますとね、小さい鯛でも大きく見えるのです。そういう御心眼を頂いた。
 ここに、合楽のいわば、私を始め、みんなが改めなければならないことがあるなあ、と思いました。小さいものを大きく見せようとする信心、ピシャリやられた感じがしました。いわゆる、できてもいないのに、できたように見せようとする信心、まさしく合楽の信心はそういうものがある。ここのところを改まらなければならないなと。
 同時に私は思いました。例えばここのご造営がです、二千万が三千万になって、とうとう五千万ということになった。お金は全然、そのためのお金はないところから出発である。ところが不思議といえば不思議、一般に銀行は宗教関係に金を貸したがらないはずなのに、二軒からもの銀行が、私のほうの金を使うてくれ、私のほうの金を使うてくれというて、もちろん、それまでには大変な、いろんな事がございましたけれども、結果においては金を貸してくれようと言うことになった。けれども、五千万というと、例えば利子の事を考えても、人間心で考えると、私たちのような小さい力しかないものは、本当にボーッとするくらいにある。毎日、五千万円の銀行金利を計算してみてごらんなさい。

 こういうところも、例えば、ありもしないのに、あるようにしてというわけでもなかろうけれども、ご造営が始められた。そこに願いが立てられたというところに、良く言えば、合楽的ですね。ある意味では素晴らしいことです。それは、私が一人でもおかげ頂こうという実力を持っている人は一人もいないのに、それが神様にお願いをし、神様にお取次ぎ頂いて、それを決心ができるということは、ある意味では見上げたもんだと思う。
 ありもせんのに、あるように、ここにもそういうものを感じなければならないと思うです。そこなんです、そこで、現在はそういう力は私どもにはないのだけれども、もうここに建てることになったのだから、契約も済んだのだから、業者はもう着々と始めておるのだから、それなら、半年なら半年かかるうちに、それだけの実力を私どもも頂こうと願う信心。いうなら、ご造営に対するところの信心の造営が、いよいよ本気でなされなければならないということなんです。

 そこで、ご造営を通して、私どもは信心のご造営をなさなければならない。それだけの裏付けはないけれども、その裏付けを今から、遅まきながらつくらせていただこう。中味はないけれども、その中味をこれから、半年の間につくらせていただこうという熱意。そういうものが、今朝あたりの御祈念に感じられるのです。その幹部の方たちばっかりなのです、朝の御祈念に参って来ておるのは。
 大変な事を親先生にお取次を頂いてお願いしておるが、果たしてどういう事になるだろう、と思うたら、じっとしていられないのが、例えば信徒会長はじめ、今度のご造営の建設委員長でもある正義さんたちです、まあそれだけのことでもなかろうけれども、今申しますように、昨夜も遅うまで、今朝も早うから、そして、一ぺん帰って、またこのお祭りに参らせていただけるという。そういう例えば、ご造営を前にして、そのご造営を通して、本当なことを、神様が教えておってくださる事を実行しておるんだ。例えば総代の熊谷さんには、そこのところを神様がうそを言うても、または思いちがいをさせてでも、本当のことをさせようとなさる信心修行を、私はそこに感ずるのでございます。五年、十年の信心でできることではありません。

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和賀心時代運動の展開
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 先日、高松和子さんが、お知らせを頂いておられますように、今度のご造営にはそういう本気で、命をかけてのご信者が五十名はできなければいけないと。合楽には、これだけの信者がおられるから、五十名はおろうと思う。確かに、ご造営のお供えをするくらいの人なら、たくさんおりましょう。けれども、それを命がけで、いうならば一生懸命で、神様の願いが成就する事のために、自分の体を張っての信心修行というものがなされる、その中心になる五十人ができなければならない。以来、和子さんが参って来て「親先生、どうぞ、及ばずながら何にもできない私ではございますけれども、どうぞ五十人の中の一人にお取立てください」というような願いを立てておられます。
 私は合楽の信奉者のすべてが、願いをそこに結集して、おかげを頂いていかなければならんと思う。今年はそういうお年柄なのだと思う。七十年代に入って、私が元旦の時、ここで『和賀心時代』ということを申し出しました。そして去年も今年も、また「和賀心時代、和賀心時代」と言い続けてまいりました。しかも、あの門塔に『和賀心時代を創る』とあります。あれは私どもが創ろうとして創れることではない、これは神様の悲願なのですから。それは神様の世界総氏子に対するところの願いなのですから。世界総氏子が真実助かることのために、人間の幸福というものは、和らぎ賀ぶ心を目指さなければ、そういう心になってしまわなければならないではないですよ、そういう心を目指さなければ、人間の幸福はありえないんだと、世界中の人々に分からしめるところの働きが、合楽からそういう願いが立てられた。
 そこに神様の働きと、私の祈り願いと、皆さんの信心修行、または祈りとが一つになって、創り出されてゆくところの世界が、和賀心時代であると。そのために、私の心の中に、私の家庭の中に、自分の関係のある限りの周辺の人たちに、和賀心時代運動が展開されなければならない。今までのような事ではできない。その運動の展開が、いわゆる迫力をもった展開でなからなければならない。

 例えば市会議員が立候補するといっても運動員ができるでしょう。しかもその運動員が一生懸命運動をして回るでしょう。和賀心時代の運動というものの展開が、めいめいそういう運動員にならせていただいたつもりで、まず私が頂いて、そしてそれを人に伝えてゆくところの働きがなされなければならない。私は、それこそが信心の造営であると確信いたします。
 その信心のご造営ができてまいりますならば、それこそ、例えば五千万円くらいのご造営なんかは、神様の御働きが始まれば、みんなの願いがそこに結集されて、それを神様がお受けくださることになればです、それこそありがたい、ありがたいという事の中に、神様の願いが成就する、合楽の願いが成就する、私どもの願いが成就するということになってくると思うのでございます。

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一徳を受ける時
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 先程、若先生が申しておりましたように、それぞれの信心の抱負というものは、めいめいであっていいのです。けれども、今年は、そのように願いというところは、ひとつに結集する。それを教祖の御理解を借りますと、「勢をそろえた信心」と、または「ひとりひそかに信心せよ」という御理解がいかにも不合理のような感じがする。けれども、そのように頂いてまいりますと、私が昨夜から言っております様に、私は今年は、「赤不動で行こう」と言うております。
 それこそ紅蓮の炎の中に不動様が、じっとこうやって座っておいでになるような修行に取り組みたい、と私は思うておる。これは皆さんじゃない、これは私の事。しかも神様はそれを私に求めてござると、私は昨夜ばかりは実感した。朝の御祈念にその事を頂いたのです。そして、朝の御祈念を終わってから、テレビ室にまいりましたら、誰も見よらんのにテレビが映っておる。そして、そこの画面に映しだされたのが、尾上松禄演ずるところの何ていう舞か知りませんけれども、紅蓮の炎の中に松禄がお坊さんの姿で合掌して座っておる、という画面が出てきたのです。

 私は驚きました。と同時に、これは、みんなに求めたもうものではない、大坪総一郎、私にこういう修行を今年は求めたもうな、と思わせてもらった。だから、私はこういう抱負で、今年の信心は行こうと思うんですけれども、願いということ。合楽にご神縁を頂いておる全部の人が、五年祭という記念の年柄を、また、その記念事業としてのご造営の事に、思いを結集し、いわゆる打って一丸となって、勢をそろえた信心をさせていただくということは、同じでなければならない。バラバラでは持ち上がらないということです。
 ご造営の委員長、信徒会長、総代、幹部、そういう人たちを中心にして、みんなが、あれは幹部の方たちに任せておくといったようなことではなくて、その事を通して、自分自身の信心の造営を願わなければならん。
 昔の方がよく言いました。教会に何かがある時には、「さあ、これで一徳を受けるぞ」というような事を言うておられます。というのは、例えばそこに大きな金要りがあるときに、金のお供えをさせてもらう、そして、力を受けるというように思っておりますけれども、そうじゃない、その事を通して信心の造営ができるから、一徳受けることになるのです。そこに、私は大きな願いを立てさせていただくところから、いわば生き生きとした、それこそ、いそいそとした信心がなされてくる。そのいそいそとした信心こそが、私は新な信心だと思う。
 それが、私は、とりもなおさず元日の心であり、または、人間生身のことでございますから、一日を振り返らせていただいて、「あれもお粗末であったろう、ご無礼であったなあ」と思うところを、神様が許された、と思われるところまで、わびぬかせていただいての日々であってこそ、あくる日の新な目覚まし、新な生き方ができると思うのです。

 信心生活に、このいそいそとしたものがないならば、それは、もう本当に値打ちのないものです。それは、果物とか野菜がしおれているようなもの、もう値段は半額か、三分の一、悪くするとゴミ箱行きです。いわゆる、魚でもおなじこと、鮮度の落ちた魚は値打ちがない。

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どんなときにも、ありがたいと感じれる心
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 合楽の信心の素晴らしいことは、今朝あたりの、朝の御記念にお参りした方たちを誰かが見たならば、「合楽の信心は鮮度がいいなあ、生きているなあ」と言われたにちがいはないです。しかも、昨夜遅くまでおかげ頂いておった方たち、しかも、十何里の道をかけてお参りして来ておる人たち。とても普通のときにできることではない、そういうチャンスに恵まれておる年柄であります。どうぞ、ひとつ皆さんの勢信心によって、信心の造営が願われる。そして、合楽一丸としての願いをそこに結集させていただいて、今年をいよいよありがたいお年柄にしていきたいと私は念願する次第でございます。
 人間が演出して、ある意味でめでたい雰囲気とか、物を見たり聞いたりできますけれども、突発的な事が起こってくるのですから、仕方がないでしょう、どんな縁起の悪い事が起こってくるか分からんのですもの。昨日除夜祭を仕えるために、冠を出させてもらおうと思って箱を開けたら、祝詞のようなものが出てきた。開けて見たら、火葬場での祝詞でした。「ちょっとこんな物を、こんなところに入れてから」と、昔の私ならどんなに怒ったか知れません。
 ところが、そういうようなことが起こっても、もうその時の事を思い出させていただいて、その事を祈らせていただく心が生まれた。もういやがうえにもありがとうなってくる。
 だから、どのようなことであっても、それこそ「元日の 見るものにせん 富士の山」である。そんなに富士の山ばかりを眺めておくわけにはいかんのです。それとは反対のものを見せていただきましても、元気が出る。反対のものを見せていただいても、ありがたいと感じれる心こそ、和賀心。その和賀心を目指させていただいておかげをこうむりたいと思うのでございます。最後になりましたけれども、皆さん明けましておめでとうございます。

              昭和四十七年(一九七二年)一月一日 元旦祭