◎人が助かるための宗教
 信心は大きな信心がよい。迷ひ信心ではいかぬ。一心と定めい。《御理解第二十五節》
 
 ここにいわれている大きな信心とは、生きた天地と生きた心で交流し、天地が自由自在にバックになって下さる、生きた神様の働きの受けられる信心のことである。
 ところが一般では、大宗教でありさえすれば、大きな信心内容をもっていると見られがちである。しかし事実そうであろうか。
 例えばキリスト教。キリスト自身が十字架の上で殉教し、それを人類の罪を一身に背負ってのことと美化したからでもあろう。それ以来、キリスト教は殉教を美化し、無数の人々の血ぬられた陰惨な歴史の上に開けてきたし、魔女裁判や宗教戦争さえ繰り返しながら、今日の大教団を形成してきた。
 近世の宗教学者クルト・ロッサは、その著作の中で「われわれキリスト教徒について、さらにもっと知りたいと思う者は、死刑の歴史を読むべきだ」と、キリスト者自身でさえそのことを認めている。かの宗教改革者として有名なマルチン・ルターでさえ繰り返し魔女狩りを呼びかけ、大量処刑を支持した。
 キリスト教の歴史の一コマ一コマを正視するならば、キリスト教は、一方では愛や平和を唱えながら、実は血を流しながら広がった宗教といえるのではなかろうか。そうとわかれば、誰もが背筋の寒くなるようなものを感じるであろう。
 日本の歴史上、初めてのローマ法王の訪日が、雨と近年まれにみる大雪に見舞われ、昨日の長崎での野外ミサでは、異常寒波のために倒れる人が多数であった。
 このことをみても、キリスト教は、もはや天地がバックとなって下さらない宗教ということがわかる。しかも生きた天地を信仰の対象とした宗教であるなら、神様にお詫びし抜かねばならないこの事態も「キリストの受難を分ち合えた」と、愚かにも美化してしまったのである。ここにいたっては、キリスト教は人が助かるための宗教というよりは、人に茨の道を強いる宗教としかいいようがない。
 もし、これがお道の信心による集会であるなら、寒波の合間をぬって、小春日和の穏やかな晴天に恵まれ、あたかも天地が祝福して下さるかのような働きを受けていたであろうに・・・・・・。
 金光大神の信心は、人間が人間らしゅう生きながら、しかも天地と交流でき、人間を幸福にせずにおかない天地の十全の働きを受けることのできる信心。
 天地書附に「おかげは和賀心にあり」とある。金光大神の信心は、ひとえにこの和賀心をめざす信心であり、そこには、あらゆる罪・因縁も霜に煮え湯を注ぐが如く消えてなくなり、限りないおかげの世界のみが広がっていくのである。
 その和賀心になる為の手立てを合楽では、誰でもがみやすく行じられるように、天地日月の心をもって具体的に説き明かして下さるのである。
 「和賀心時代を創る運動」は、血であがなう運動ではさらさらない。一人一人の心の中に偉大な和賀心が生まれてくる運動である。それは、幾億年かかっても丸くせずにはおかん働きだけしかない天地の御働きに便乗する運動であるから、天地と交流し、天地と共に限りなく大きくなっていけるのである。これなら、いちばん間違いなく大きくなっていけるし、世界万国どこへもっていっても広がらないはずはない。
 今、合楽教会では、神様が求め給う人が育っている。神様の手にも足にもならせて頂いて、世界万国津々浦々を金光大神の道で包み回すことを熱願する取次者が次々と育っている。この人達が、神様の間違いないお育てを頂いて、金光大神の御信心を血肉にし、手がかりを頂いて、世界の各国へと布教に旅立つ日が、近い将来、必ず訪れることであろう。
 人が助かるための宗教。その歴史がこれまで血ぬられて来た。今こそ、人間が人間らしく助かり、正しく大きくなっていけるお道の信心で、世界の宗教史が塗り変えられていかねばならない。
(昭五六・二・二七)
 
 
 
 ◎人問らしく生きる
 人間は万物の霊長であるから万物を観て道理に合ふ信心をせねばならぬ《御即解第七十節》
 
 万物の霊長たる人間。その人間が、「人間らしく生きる」ということが合楽教会では説かれている。
 むろん人間が人間らしく生きるといっても、ただ、人間の欲望のおもむくままに振舞うことが、人間らしいということではないし、人間が人間らしく助かるといっても、ただ、御利益を頂きさえすれば、それでよいということではない。
 万物の霊長たる人間にふさわしい道理に合った信心をし、霊長としての真価を発揮することをいうのである。即ち、人間だからこそ出来る、霊長としての精進がなされていってこそ、人間が人間らしく生きるということである。
 先日から、ある信徒の子息が、神様からおしらせに、「神徳の恵みの中に神ありて氏子あっての信心神徳」と頂いた。
 まずは「神徳の恵みの中に神ありて」を分かること。それは、お水ひとすくいでも、空気でも神様の御恩徳であるといった、教内一般で説かれる神徳を言うのみにとどまらず、むしろ、これこそが神様のお働きであろうという、不思議な霊験が頂ける御神徳によってしか、神様は本当に分かるものではない、ということを教えてあるのである。
 また、氏子あっての信心神徳とあるように、信心も神徳も人間氏子にのみ頂けるものであり、牛や馬に御神徳を渡すわけにも、信心してくれよと頼むわけにもいかぬ。そこに、人間が万物の霊長として、真価を現さなければならない責任がある。
 天地金乃神様は、人間氏子におかげを授けたいばかりの神様であり、そこに、幸福の条件が足らうような御神徳が受けられる真の信心を氏子一人一人の上に求めておられる。
 信心を頂いても、そこに目ざめないなら、たとえ物に恵まれても、不平不足の絶えない心貧しい人間となって、万物の霊長たる人間というより、人面獣心と神様から思われることにもなりかねない。
 人間が人間らしく生きる。それは、神の氏子たる自覚に立って、万物の霊長として、生神への道を歩むことである。
(昭五六・四・四)
 
 
 
 ◎百発百中!
 何事も釘着ではない信心を各自にして居らねば永う続かぬ《御理解第六十七節》
 
 祈りの大きさで信心の段階がわかる。いつまでも自分のことばかり、自分一家のことばかり、店の繁昌のことばかりが祈りの内容で終始しているのでは、あなたの信心は釘着けであるといってよい。
 学校も幼稚園から小学校、中学校、高校・・・・とあるように、お互いの信心も、自分の祈りの内容を見極めて限りなく育っていかねばならない。信心が育ってくるから祈りも大きくなる。おかげも育ってくる。だから、信心の楽しさ、有り難さも増してくるのである。
 「和賀心時代を全世界に、十三日会の精神を全世界に、その為に日々御理念の実験実証をさせて下さい。そして合楽示現活動に参画させて下さい」
 これは合楽の全信奉者の願いであり、切実な祈りでなければならない。中でも終生道の御用に立たしめたまわん事を願い、一生を神様に捧げ奉った修行生は、いよいよ自分を空しくして、神様が受けとって下さり喜んで下さるような、全身全霊にのしをつけて、その大願に向かって邁進させて頂かねばならない。
 先日から沢山の修行生が北米・南米・アフリカ・ヨーロッパへと布教の願いを立てているのを聞かれて、大変喜ばれた親先生は、その事の成就をお願いされていたところ、神様からお知らせを頂かれた。それは「立派な弓を満月のように引き絞っている、ところが矢が短くて、これでは的に届く前に落ちてしまう」といったところであった。
 願い(弓)は確かに立派だが、それに釣り合った精進(矢)が足りないのである。矢というのは、矢も楯もたまらんと身も心も捧げての信心が射貫くような勢いでなされねばならないということ。そこから、標的に向かって繰り返し繰り返しの稽古がなされるところに、段々と的中するようになり、「百発百中」というおかげにもなってくる。そこに信心の育つ手応えがあるから、精進することの喜びも楽しみも頂けるのである。
 世界の平和を願わぬものはあるまい。お道の信奉者ならば、日々その為の祈りもなされている事であろう。けれども、その願いがより切実なものでなければならないと同時に、「その為には自分の信心のお育てを頂きたい」と願い、その精進に一生懸命取り組まずにおれない内容がなければならない。
 大きな願いを立てさせて頂くと共に、その願いにふさわしい行動力の伴ったお育てを頂いて、いよいよ釘着けでない限りなく広く大きな信心を頂いていかねばならない。
(昭五六・四・一二)



◎貫く
 何事も釘着ではない信心を各自にして居らねば永う続かぬ《御理解第六十七節》
 
 「終生お道の御用に立たしめ給わんことを願い奉る」
 神様に身も心も捧げ、お道の教師にお取り立て頂くことは大変尊いことである。特に、春秋に富む若い者が、青春の夢を信心修行にかけ、将来は御神命のままに世界の隅々までも、布教の御用に立たせて頂きたいと情熱を燃やす程すばらしいことはない。
 親先生は、そういう合楽教会修行生のことをお願いされていたら、金の帯のついていないのしを頂かれた。のしは奉るものだから、生涯を神様に捧げ奉った修行生のことであり、金の帯とは信心の帯をしっかりするということ。
 せっかく一生を神様に捧げますといって修行しているのだから、信心の帯がしっかりなされ、信心が一歩一歩育っていかなければ、いつまでたってもおかげは釘着けであり、人が助かる程の徳も力も受けられない。
 かつて、ある修行生が、荷物整理を口実に自宅に一日帰ったことがある。その時、親先生はお知らせに「ラムネの飲み口にはってある封の紙(神)を破るところ」を頂かれた。
 それは確かに実家に帰って手足を伸ばせば、少しは気は楽になるかもしれない。しかし、それは丁度ラムネを飲めば「べスッ」といって胸がスーッとする位のもの。ラムネを飲んだからといって栄養にもならないし血肉にもならないように、このような修行では、せっかく積み上げたものまで崩し、たとえ十年二十年そのような修行が続けられたとしても、超えた世界には住むことはできない。そこで、親先生は「何事もぬけるまでが信心辛抱」と仰せられるのである。
 せっかく大願を抱いての信心修行に一心発起したのであるから、只今修行中の看板をあげている時には、自分から求めては楽はせんぞというくらいの決心がいる。そこには神様が楽をさせて下さろうとする働きも体験でき、そこには修行そのものが楽しく有り難くなってくる。又、自分の心にグイグイ力がついて、心が育っていっていることがわかってくる。そのために、いよいよしっかり信心の帯をしめ、貫けるまでの信心辛抱をさせて頂かなければならない。
 神様は、心が育ち、喜びに喜んで、人の為、世の為、神様の願いの成就する為に、手と足と口と心が、その御用につかえる氏子を待ち望んでおられる。神の御用とは、神の目になり口になり耳になり心になること。
(昭五六・五・二九)



 ◎この世あの世を通しての一心
 日本国中のあらゆる神を皆信心すると云ふがそれは余りの信心ぢゃ。人に物を頼むにも一人に任すと其人が力を入れて世話をして呉れるが多くの人に頼めば相談にくれて物事捗らず。大工を傭うても棟梁が無ければならぬ。草木でも芯と云うたら一つぢゃ。神信心もこの一心を出すと直ぐにおかげが受けられる《御理解第三十六節》
 
 「合楽の金光様は天地が自由になって下さる」ということを聞かれて、お参りされた人の中に、久留米市の近見市長がある。それというのも、当時インターハイが久留米で開催されることになったのだが、開会前日になっても長雨がやまず、しかも台風まで近づいてきている。そこで「せめて皇太子殿下御夫妻が見えられる開会式だけでも、天気のおかげを頂きたい」という必死の願いをもたれての初参拝であった。応接間で応対された親先生はしばし御祈念、開口一番「開会式の日だけと言わず、全期間のことを願われたらどうですか」と。「そこまでお願いしてもいいでしようか」と近見市長。すると、そういう会話中に、それまで耳納山に立ち込めていた雨雲が、みるみる上がっていったのである。あまりのことに近見市長は驚いて、改めてインターハイ後の久留米祭まで含め一週間のお天気のお繰り合わせをお願いされた。果せるかな、インターハイが始まると、晴天が続き、たまに市内が雨模様の天気であっても、会場付近だけは雨が降らず、一日の日程が終り、後片付けも済んでから降り出し、翌日の朝には又、雨が上がるという具合に、誰もが神様のすさまじい働きと感じずにおれない働きを一週間受けつづけられたのである。
 これが、近見市長と合楽教会との御縁の始まりで、以後、月の初めの参拝をはじめ、事ある度に、市政の上に家庭の上に、お取次を頂かれるようになった。
 今度の市長選にも特別のお願いをもって参拝された。「大変苦戦してますから、どうぞよろしくお願いします」とのお届けに、親先生は「一つの舟に船頭が二人乗ってるため、舟がグルグル回るだけで、前に少しも進まない」ところをお知らせに頂かれ、そこで、「シンを一人にしなさい」とお取次された。近見市長は早速、責任者を一人にされ、それから大変順調になって、当選のおかげを受けられたということであった。
 この御理解第三十六節は、実に情理を尽した教えである。だから、誰でもが合点がいく。
 ここに「草木でも芯というたら一つぢゃ」とあるが、「私は合楽一心です。金光様一心です」と言いながら、では、改式してまでこの神様に一心を出すということになると、それが出来ている人がどれくらいあるだろうか。この世では金光様であっても、あの世では仏様という事では、本当にこの神様へ一心とはいえない。どうでも改式のおかげを頂いて、生死を通して一家をあげて、金光様一心、合楽一心と定めたいものである。だが、又、改式をしたから本当に一心になったということでもない。
 一心になるなら、まずは本気で御教えに一心になること。苦しいこと、悲しいこと、どういう問題でも金光大神の御教えに基づいて生きていくことに一心になること。そこに、おかげは絶対であるから、これ程の間違いない神様、これ程の有り難い神様と分かってくる。
 そこから、どうでもこの世のことだけでなく、あの世もこの神様におすがりせずにはおれなくなり、改式ともなり、本当の意味で一家をあげて、金光様一心、合楽一心ということになる。
 先日からも、S家の改式祭が執り行なわれたが、その改式祭の時親先生は、その家の霊様達のことをおしらせに頂かれた。「こぎれいな女の人が手鏡をもって自分の姿を見ようとしている。ところが鏡に映しだされたのは身の毛もよだつ夜叉の姿、ハッとおどろいたその女の人は、しばし茫然としていたが、やがて、これこそ真実の自分の心の姿」と得心している様子であった。
 改式するということは、霊様にとって、このように自分の、心の姿を映しだす鏡を手渡されたようなもの。だから改式してない霊と違って、即、汚ない心は研かずにおれない、改まらずにおれないことになり、霊の精進がぐんぐんなされて喜びの霊神、安心の霊としてのおかげも頂けてくるのである。
 どうでも、心の上にも、形の上にも、お道は金光教、教えは合楽理念、そして頼むは此方御一人という一心を打ちたてていきたいものである。
(昭五六・六・二四)
 
 
 
 ◎鈍な人
 習うた事を忘れて戻しても師匠がどれ丈け得をしたと云ふ事はない。覚えて居って出世をしあの人のおかげでこれ丈け出世したと云ヘばそれで師匠も喜ぶおかげを落しては神は喜ばぬおかげを受けて呉れれば神も喜び金光大神も喜び氏子も喜びぢゃ《御理解第五十九節》

 親先生に御神意をお伺いして、大工職に弟子入りしたA少年。ところが三年たっても、人の半分も仕事が覚えられない。両親も心配であり、不憫でならないから、「今のうちなら、まだやり直しが出来ますが、どうでしょうか」とお届けがあった。
 それを聞かれた親先生は、御自身の若い頃のことを思われて、身につまされるような思いをされた。
 悲しいまでに鈍な人。人の半分も覚えられない要領の悪い不器用な人。親先生御自身もかつて、あまりに鈍な性格の為、「こんなことでは商売はやっても、もうけることは出来まい」と悩まれた時代があった、そのことを思い出されたのである。
 けれども、その少年が「だから自分はもうだめだ、何をやっても出来まい」と大工の弟子をやめても、師匠は喜んでくれない。鈍なら鈍で、人が五年かかるところは十年かけてでも辛抱し、貫いていかねばならない。その辛抱が人の倍かかったとしても「おかげで人の真似の出来ないような技術も覚え、家の一軒も建てられるようになりました」ということになったなら、ことさら師匠は喜んでくれるであろう。
 親先生は十三才の時、酒の卸屋をする願いを立てて、酒の調合では当時、久留米一番の酒屋に修行に入られた。主人が厳しくて、奉公する人が永続きしないという店であったが、親先生は、人が寝静まってから、酒の調合を覚えられたという。人が一時間かけるなら、私は一時問半かけてでもと、いつもその三十分は「まけときましょ(おまけしておこう)」の構えでの修行であったから、人の覚えられないところも覚えられたのである。
 信心も同じ事。一を聞いて十を知るというような人は、往々にして早く覚えても、信心が粗雑であったり、すぐ忘れてしまうことが多い。かと思うと、日参り夜参りして一生懸命信心しても、なかなか信心が分からない人が、人の倍かけても稽古する気になった時、人の真似の出来ないような信心も体得できるようになる。人より短い時間で早く覚えようとするよりは、「まけときましょ」の精神で、人の倍の稽古をする構えが貫かれることが、信心にはとりわけ大切である。そういう修行が貫かれて、人より年月はかかったけれども、おかげでこういう有り難い信心が身についた、こういうおかげにもなって来たということになった時、神も喜び金光大神も喜び師匠も喜び氏子もの喜びとなるのである。
 「神様、まけて下さい、というような信心修行は死んだ修行。こちらからまけときます、という様な修行は、生きた修行」(親先生手控え覚集より)
(昭五六・七・二)
 
 

 ◎天地人一如の世界
 これまで神がものを言うて聞かせる事はあるま意。何処ヘ参っても片便で願ひ捨てであらうがそれでも一心を立てれば我心に神が御座るからおかげになるのぢゃ。生きた神を信心せよ。天も地も昔から死んだ事なし。此方が祈る所は天地金乃神と一心なり。《御理解第五節》
 
 これまで、様々な宗教が人間の幸せを求めて出現しながら、天地の心を具体的に説いた宗教はなかった。これまで神がものを言うて聞かせる事もなかった。
 これでは、例えば、天地が水なら、私共は、油のようなもので、いつまでたっても天地と一つに溶け合うことができない。
 一しずくの水でも谷川に落ちれば谷川の水となり、大海に注げば大海の水となる。そのように、一人の人間でも、天の心を心とし、地の心を心とし、天地の働きそのものを、有り難く勿体なく頂いていこうと精進していくなら、天地と同質になっていくことができる。
 「此方が祈る所は天地金乃神と一心なり」と仰せられるように、教祖様のみ教えの総てが、天地と一体となるためのお話ばかりである。その教祖様のみ教え一筋に歩む合楽では、人間が人間らしく生きて、天と地と、そして人とが、一つになって溶け合う天地人一如の世界への手立てを説かれるのである。
 親先生のみ教えに「天地の気息にあわせ、宇宙の呼吸にあわせる。大生命の流れの中に、神秘な体験を積むことを修行とする」とある。
 合楽理念の実験実証、即ち、日常茶飯事に直面する出来事の中で、ここは天の心で、ここは地の心で、ここは日月の心で、と取り組んでいく生き方。成り行きこそ神の働きとして、成り行きそのものを大切に尊んでいく、そういう生き方が、天地の気息にあわせ、宇宙の呼吸にあわせることになり、そこに天地の御守護をいつも実感しながら、神様がものをいうて下さり、姿をみせて下さる神秘な体験を、積んでいくことができるのである。
 そこに、天地がいつもバックになって下さるばかりでなく、天地との交流ともなり、天と地と、そして人とが一つに溶け合った、天地人一如の世界が開けてくるのである。
 人類総氏子が、天地人一如の合楽世界に住まわせて頂くことになっていくことこそ、天地の親神様の切なる願いである。
(昭五六・九・二一)



 ◎その責任においての御用
 神の綱が切れたと云ふが神は切らぬ。氏子から切るな。《御理解第十七節》
 
 教内でよく耳にする言葉に「御用すれば助かる、御用すればおかげを頂く」という言葉がある。しかし、合楽教会では、今日まで「御用しなさい」ということは一言も言われなかった。というのも、御用はおかげを頂く為とかの条件をもってすべきものではなく、御用はさせて頂かずにはおれない、真心からの無条件のもの。信心がわかってくれば、せずにはおれない当然なものと思われてきたからである。しかし、今日を境に合楽教会では「その責任においての御用」と、御用が大きくイメージアップされようとしている。
 故隅田武彦先生は、もう十年も前、合楽教会に講師で来られた時、「信心は御用なり」と大書された。今朝、その時のことを親先生はおしらせに頂かれたのである。
 信奉者の一人一人がそれぞれの責任において御用に打ち込む。そこにその御用を通して信心が一回りも二回りも大きくなっていく。そういう意味において、隅田先生の書された「信心は御用なり」とは、まさに信心の核心を突いた言葉ではなかろうか。
 先日、九月六日、筑水地区青年会の二十五周年記念大会が、合楽教会を会場に催されることになった。その筑水青年会委員長である合楽のY青年は、現状ではとても記念大会委員長としての御用は荷が重すぎると思い、そこで親先生にお届けしたところ、「筑水青年会委員長としての、責任においての御用と思ってさせて頂きなさい」とお言葉を頂いた。
 そこに、これは神様の御用と心機一転し、陣頭に立って大会に身も心も打ち込むうちに、思いもよらぬ神様のお働きを次々と頂き、日が近づくにしたがって大会スタッフ一同ふるい立ち、大会当日は満場あふれる青年で埋まり、かつてない程盛りあがった大会となったのである。
 そして、その大任を果したY青年は、その後、確かに信心が一回りも二回りも大きくなった。なる程、「信心は御用なり」と云われる、その責任においての御用に打ち込んだからである。
 ある月次祭の日、いつも斎員を仕えている秋水友良氏、文男氏を見ながら、親先生は、合楽でこの兄弟の信心が今まで続き、他の人に抜きんでて、年々歳々おかげを頂いてきたのは何故であろうかと思われたところ、「スパナでネジを締めあげる」ところをおしらせに頂かれた。
 秋永氏兄弟は、今まで欠かすことなく月次祭の斎員の御用をされてきた。時には信心がゆるみそうになったこともあったろう。しかし、月次祭のその都度々々の御用をすることによって、信心が一層ひきしめられて来、それが三十年間貫かれるうちに、ゆるぐことのない盤石の信心となってきたからである。
 親先生は、御信者時代より親教会の月次祭ともなれば、当時は一信者として、その責任において、お参りの下駄の数が三十から四十、五十と増えていくのを何よりも楽しみにお導きを一生懸命されていた。そして今日、合楽教会長として、その責任において、少々身体の具合が悪くても、一日として欠かされることなく、朝三時からの奉仕をキチンと貫いていかれているのである。
 そこに、いよいよ信心がひきしめられ、現在の合楽教会のおかげが展開してきたのである。
 合楽教会信奉者として、責任を感じられる信心。例えば、朝参りに自分一人が一日でも欠けたら、もうそれだけ合楽教会の御ヒレイにかかわる、というくらいの、合楽教会信奉者としての自覚をもった責任ある信心。また、一人でも多くの人々に、金光大神の道を伝えずにはおかんというお導きの御用。大祭ともなれば、いよいよもって責任においての御用は、身近に沢山あるものである。
 そういう「その責任においての御用」を貫かせて頂くところに、神の綱を握っているだけでなく、たぐり寄せていくことになって、神様への憧憬の念もいよいよ深まっていくのである。
 ここに、大きく御用の内容がイメージアップされた今、各自の責任ある御用が、神様の偉大な働きを、どれほど呼び起こしていくことになるか計り知れない。
(昭五六・十・七)
 
 
 
 ◎合楽世界への御案内
 兎角信心は地を肥せ。常平生からの信心が肝要ぢゃ。地が肥えて居れば肥をせいでもひとりでに物が出来るやうなものぞ《御理解第五十節》
 
「身にあまるおかげの世界に住みながら何ゆえにおこるこのさみしさは
 報恩の心をおこせ喜びは願わずとても自ずから湧く
 この喜びはあの世まで持ってゆかれてこの世にも残るものぞと悟れかし」
 
 これは、今年米寿を迎えたあるお年寄りに、「合楽世界への御案内」として贈られた、親先生のお歌である。
 そのお年寄りは、財産もどれだけあるかわからない、お城のような家に住まい、優雅な生活をしておられるにもかかわらず、年を取るに従って、毎日が寂しくて寂しくてならないようになったというのである。
 喜ぼうとして喜べない、楽しくなろうとして楽しくなれない、神様から許されなければ、喜びも楽しみも感じることが出来ないのが人間の心の実相である。
 このお年寄りの例をみても、人間の幸せはお金や健康や財があればよいということではないことがわかる。
 それどころか、信心の徳の裏付けのない財産を子孫に残すのは、「毒まんじゅうを残すようなもの」と仰せられるほどである。親が財産を残したばかりに、争いになったり、子孫が堕落してしまう例は数多い。
 教祖は、信心すれば年が寄るほど位がつくものぞとも、一年一年有り難うなってくるとも仰せられている。果してお互いは、そういう信心をさせて頂いているだろうか。そうでないなら、寂しい晩年が待ち受けている。
 まずは真の信心によって、心が豊かになり、美しくなり、大きくなること。そういう肥えた心に、ひとりでにものが出来るように伴ってくる財なら財のおかげであってこそ、正しく残っていくのであり、栄枯盛衰は世の理という世界を超えた天地保証のおかげとなるのである。前述のお歌を頂かれて、大変なおかげの中にいることを気付かれたそのお年寄りは、信徒会館建設の願いが神様の願いであり、そのことに奉賛さして頂こうと報恩の心をおこされ、お供えの御用に打ち込まれた。
 すると、そこから自ずと喜びの心が湧いてきて、毎日が不思議と心にぎやかになってきたのである。
 お互いは恩に報いるという、その恩そのものが実感できていないから、「願わずとても湧く」といわれる喜びが頂けないのである。
 一切が神様の御物であり、御事柄であることを思い、神様のおかげをおかげと実感していくところに、一切が御礼の対象となってくる。
 そこから神恩報謝の心をおこし、信心の真を形にあらわしていく時、そこに喜びは自ずと湧いてくる。その喜びこそが、この世にも残しておけ、あの世にも持っていける御神徳であり、財なら財の、健康なら健康の裏付けとなって、子孫にも間違いなく伝わっていくのである。そこにまた、神様と交流しあえる世界がひらけてきて、哀しい寂しい哀楽世界に住んでいたのが、有難くもったいない合楽世界への道づけがついてくる。
 こういう信心に、ひとりでにものが出来ていく世界はいよいよ広く大きく豊かになってくるのである。
 哀楽の心も老いぬ冬ごもり
 合楽の心もうれし冬仕たく
(昭五六・十一・二三)
 
 

 ◎生神の境地
 一、蔭と日なたの心を持つなよ《信心乃心得》
 
 人類の歴史を顧みる時、その時代その時代に数多くの人々の生きる手本となり、支えとなった生神様や生仏様といわれるような人達が、出現しては消えていった。だが、私達が、そういう生神とか生仏を目指し求めようとした時、それは人間業では到底出来難い難業、苦業をよぎなくさせられるのである。
 そこで大半の人があきらめたり途方にくれる。人間が人間らしく生きながら、しかも生神という境地にまで至れることは出来ないものだろうか。
 金光教の信心は正に、そういう願いに応える事が出来、生神に至る事が出来る道である。又親先生御自身がそれを実験し、実証していかれているのである。
 今朝、親先生はお夢の中でカンカンに腹を立てているところで目を覚まされた。久しく忘れていた腹立ちというものを夢によって味わわれた親先生は、改めて腹立ちがいつの間にか無くなってしまっていた事を、神様が教えて下さった思いがしたと言われる。いや腹立ちだけでなく、人間の持っている喜怒哀楽というものや、惜しい、欲しい、憎い、可愛いという心が殆どなくなってしまった親先生。
 かつて、幹三郎先生(三男)の肉腫の病気の時、医者からは九十九パーセント助からないと死の宣告をされても、親先生は少しも驚いたり、助かって欲しいという心が起こらなかった。
 又、両親のお国替えの時も、別れの悲しさなど少しもない淡々としたものであった。それらを思う時、いよいよ人間らしさがなくなっていく、しかし「これが生神になっていることだ」と感じられた。
 三代金光様の御述懐に「初めの内は辛うて辛うてよう泣きましたがなあ。親様の教えを守らして貰うて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、ほしいものも考えることも、いつの間にか無くなりましてなあ、有り難うて有り難うてならぬようになり・・・・」とある。
 生神様と仰がれた三代金光様の御内容は「ほしいものも考えることもいつの間にかなくなり」と、人間のもつ喜怒哀楽というものがなくなった姿ではなかろうか。
 人間としての喜怒哀楽がなくなっていくということは、一面考えてみると無味乾燥であり、味けないとも人間らしくないとも思える。けれどもこれが、人間が人間らしく生きる信心を頂き喜怒哀楽を超えた生神の境地である。そこにあるのはただ信心の喜びと驚き、そして日々が恐れ入った生活。しかもそこには、人間幸福の総ての条件が足ろうてくるのである。
 人間が人間らしく生きていく中には、蔭もあれば日なたもある。それをいつも日なたでなければならないというのでなく、日なたには日なたの生き方があり、蔭には蔭の生き方があるのである。問題はその中に、「何事にも真心になれよ」と仰せられる生き方が合楽理念に基づいて出来てこなければならないということである。
(昭五六・十一・二九)
 
 
 
 ◎心は大きく気は小さく
 一、清き所も汚い所も隔なく天地乃神は御守り在るぞ。我心に不浄を犯すな。《道教乃大綱》

 親先生は、今朝の御祈念中、神様からのお知らせに勧進帳の安宅の関の場面を頂かれた。このお芝居は、関守の富樫が弁慶の忠義な心に打たれ、義経のいる事を承知で見て見ぬふりをして通すお芝居であるが、「その義経に謙虚さがなく、笠を取って大威張りで通っている場面」を頂かれたのである。いかに弁慶の忠義に富樫が見て見ぬふりをしようとしても、当の義経自身が、通るのが当り前とばかりに大手を振って通るなら、いかに富樫とても通すわけにはいかなくなる。
 合楽にあらわれているおかげは、どこまでも神様の第一の忠義者にお取り立て下さいと、願われる親先生の御修行によって、出来なくても出来たかのようにして通れないところも通して下さっているようなおかげである。
 しかし、これはお粗末だ、これは御無礼だと気付いたところも、神ながらなこと生身の人間だから当然だと、信心も出来ないのに出来たかのようにして、大威張りで通るようなことでは神様も通すことはできないことになる。だからこそ、親先生は、神様のおかげを頂かねば立ち行かん私と、願う所は願い、お詫びする所は詫びるという神様への繊細な心を使っていかれる。
 いかに合楽理念は素晴らしいといっても、有り難い勿体ないの心で頂けず、どこか心にひっかかるなら、義経が謙虚な心で関所を通るような慎みの心がいる。
 親先生の場合、たとえそれが心にひっかからなくても、神様へ敬虔な姿勢で向かわれるのである。
 例えば、外出されたら必ず手を洗い、口をゆすがれる、又どんなに簡単な用事であっても、御神前に行かれるとなったら必ず羽織・袴をつけなければ出て来られないというように、神様の前にはビックリする位に神経を使われる。そこのところを親先生は、心は大きく、気は小さく使えと言われるのである。
 合楽では人間が人間らしく生きる事を教えられ、清も濁も超えた清濁一如の世界を教えられる一方、親先生御自身は、このような繊細なまでの心づかいをされるのである。
 合楽で信心を頂いている我々は、普通では通れない所を通らして頂いていることを心得て、神様に敬虔な心をもっての信心でなければならない。
(昭五六・十二・一七)


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