◎詫びれば許してやりたい親心
 人を殺すと云ふが心で殺すのが重い罪ぢゃ。それが神の気感にかなはぬ。眼に見えて殺すのはお上があって夫々のお仕置にあふが心で殺すのは神が覧て居るぞ《御理解第七十五節》
 
 腹にすえかねることや皮肉に聞こえることを言われると、それに対して一言で相手が二の句がつげられなくなるような切り返しの言葉を探していることがある。
 知らなかった。気付かなかった我が心。信心を頂いて初めて自分の心が見えてくる。自分のように汚いものがあるだろうか。自分のような恐ろしい浅ましい心の持ち主があるだろうか。このように、自分の心の姿に気付くのも、お道の信心の真の教えに心を照らされたからであり、正しく今、真の信心の人口に立った証拠だからでもある。
 ところが、ここに大きな信心の落とし穴がある。自分のように浅ましいものはいないと詫びていくうちに、いつの間にか、こんな心ではとてもおかげは頂けまいと、自分で自分の心を傷つけ、果ては殺してしまうことである。こういう詫びの信心は、いかにも謙虚なようだが、その事を神様は『お不動様の手に持っている剣を自分の腹につきつけるようなもの』とおしらせ下さる。その剣は、本来、我が心の鬼を退治する為のものである。ところが、それが、只、我身を責めるだけのことになっては、自殺行為にも等しいと仰せられているのである。
 過去の宗教の教えは、実にこのようにして人を助からない泥沼に陥らせる例が多かった。教えが人を助けるどころか、かえって改まれない我が心を責めさいなませ、墓穴を掘らせる道具になっていたのである。むろん、そこにはおかげの頂けようはずもない。
 金光教の神様は人間氏子の親である。だから人間の持つ、どんな汚い、浅ましい心でも、詫びて、一分ずつでも一厘ずつでも、本気で改まっていこうとするけなげな心には、たとえ失敗しても、それを責められる親神様ではない。むしろ、その本気で改まろうと取組む姿勢に、出来なくても出来たかのようにして、おかげを下さろうといわれる神様である。
 そこのところを、親先生は、「詫びれば許してやりたいのが親心ぢゃ」とお知らせ頂かれた。
 詫びれば許してやりたい親心にすがって、そこから少しでも改まっていこうとする精進。そこに自ずと次第次第に心が改め清められ、いつの間にか我が心を拝みたい程の心が開けてくる。
 天地の親神様は、人間氏子を助けたい御一念の神様とわかったのだから、これからは、お詫びに徹して助かり難い泥沼へとおちこんでいく愚を繰り返してはならない。
 詫びれば許してやりたい親心にすがって、凡夫の人間がその身そのまま、人間らしく助かっていく道をひたすら歩んでいきたいものである。(昭五五・八・十)
 
 
 
 ◎いつもがお徳のチャンス
 痛いのが治ったので難有いのではない。何時も壮健なが難有いのぞ《御理解第四十六節》
 
 日本人の宗教観念の中には、「ただ苦しい時の神頼み」といって、頼むときだけの神様でよいという観念がある。お道の信奉者の中にも「今は難儀がないから」といって、足が遠のく人をよくみかける。
 果して、難儀問題がなければ信心は進まないのであろうか。信心を苦しい時の神頼みにとどめてしまっていいのであろうか。
 四神様のみ教えに「時の信心より常の信心。時の追肥より常の堆肥。時のお百度参りよりはその日参りにおかげを受けるがよいぞ。とかく氏子は反対のことをするから、真のおかげが受けられぬわい」とあるように、何か特別のことをしなければお徳を受ける修行にならないというのではない。まずは、一日を締めくくって、「痛いなら痛い中に今日も結構な修行をさせて頂きました。壮健なら壮健な中に今日は楽しい修行をさせて頂きました」という金光教の信心ぶりがスッキリと身について来なければならない。そこから、いつもお徳を頂く(四十六・始終禄)チャンスに恵まれていることが翻然と分かってくる。
 「痛いです、苦しいです、けれども有り難いです。神様がこんなにしてまで育てて下さろうとする働きだからと思ったら、涙がこぼれるほど有り難いです」という頂き方はもちろん大切である。けれども、これだけでとどまるなら、「たたかれて喜ぶ変質的な信心」とみられても仕方がない。だから、痛い時も有り難いなら、常平生の時はなおさら有り難いと分かり、そこから限りなくお徳を受けていく手立てとして、日参・聴教・心行・信行・家業の行に取り組んで、普段の信心(不断の信心)を進めていかねばならない。親先生は、そこのところを「楽な時、姿勢をくずさねば大きくなる」と言われるのである。そういう信心に難儀な時がお徳のチャンスというばかりでなく、平穏無事な時でも、限りなく御神徳を頂いていくことができるのである。お道の信心は「日に日に生きるが信心なり」とみ教え下さっているように、平穏無事な時ほど神様を身近に感じることのできる一日一日とするところに、お道の信心の修行がある。そこに常平生も、その生き具合いをみて、正すところは正さずにおれなくなり、いよいよ実意にならなければおられなくなるのである。
 苦しい時の神頼みといった貧しい宗教観念を打ち破り、平穏無事な中に神様を身近に感じ、日に日に信心の喜びと驚きを感じて、自ずと信心にならざるを得ない金光教の正しい宗教観念を各々の心の中に確立せねばならない。
 
 【注】日参・聴教・心行・信行・家業の行
 日参とは、一日のうち一度は教会に足を運ぶこと。とはいっても遠隔地の人は、そういうわけにはいかない。そこで、日参したつもりでお初穂を奉るといった、日参的信心に取り組むとき、神様は日参したものとして受けて下さる。この神様は、一足も無駄にされない神様であることを日参的信心によって体験することができる。
 聴教とは、み教えを拝聴すること。み教えを拝聴して、その日一日の心の糧を頂いていくこと。遠隔地の人なら、御理解をテープで拝聴したり、「おかげの泉」の一ページでも読ませて頂いて、一日一日の心の糧にしていくことが、聴教的信心となるのである。
 心行とは、いつも信心の目で見、信心の耳で聞き、信心の心で行うという、いつも神様を心に懸け続けておく行。
 信行とは、お道の信奉者として当然なされねばならない朝夕の御祈念などの神様への奉仕。
 家業の行とは、家業の中にみ教えの実験実証をしていくことを行とすること。生活の為に信心があるのでなく、信心の為に生活があるというところからの家業をもって家業の行という。
(昭五五・十・二四)
 
 
 
 ◎君は居候ではないぞ
 徳の無い間は心配する。神徳を受ければ心配はない。《御理解第五十四節》
 
 子は親に遠慮がない。親もまた子には遠慮がない。お互い、親身だから遠慮なしで心が通う。
 人間を我が氏子と仰せられる親神様を、私どもも我が親として親身に頂き現していくなら、神様もまた親身に思って下さり、信じて下さる。親先生は、毎朝三時には目覚められ、そして四時丁度に一分を切ることなく控の間から御神前へ御祈念に出て来られる。御神前に座られるやいなや、拍手を打つ間もなくすぐに神様との交流が始まる。天地の親神様が心配されることを心配され、神様が願われることを願いとされての神様と親先生が一体となった心中祈念は、真冬でも汗が流れると言われる程である。このように、神様への情念を燃やされる親先生だから、神様を親身に頂く神様第一の信心生活が自ずと出来ていかれる。
 親身とは「慕わしくて慕わしくてたまらぬ」という情念そのもの。そういう情念を燃やすところに、自分のことは放っておいても、神様のことが、親先生のことが、教会のことが、第一という真心も表われて来て、自ずと教えも行じずにおれないことになり、理屈なしに親子のように信じあう、交流の世界が生まれてくる。
 「真実の親ではないか、何が気兼ねがいるものか、君は居候うではないぞ、真実愛を知れ、神の願いを知れ」(親先生手控え覚集より)
(昭五五・一二・一)
 


 ◎合楽示現活動参画
 子供の中に屑の子があればそれが可愛いのが親の心ぢゃ。無信心者ほど神は可愛い。信心しておかげを受けて呉れよ《御理解第八節》
 信心させて頂いて「自分こそが屑の子だ」との信仰的自覚に立った人達はまだよい。いつか改まることが出来るだろう。けれども、改まる術も知らない、信心のないすべての人間氏子を、神様は悲しいまでに可愛そうだと言われるのである。
 そういう神様を知らない屑の子に信心を伝え、神様の安心される人に育てさせて頂くことが、お道の信奉者の使命である。又それが出来るのはお道の信心を頂く者しかいない。
 だから、お道の信奉者は、どうでも、その神様の悲願を感じ、神様と一体となる手立てを行じながら、神様の手にも足にもならして下さい、という願いに立っての信心を、すすめさせて頂きたいものである。
 神様のお知らせのままにはじめられた、合楽示現活動参画とは、正にその願いに応えることが出来る運動といえる。
 「合楽」とは神様と人間氏子が拝みあい楽しみあう世界をいう。
 「示現」とは神仏が不思議な働きを示し現わすこと。
 「参画」とはその計画にあずかること。(広辞苑)
 
 神様が「合楽示現活動参画」とお知らせ下さるまで、親先生は一言もお導きをせよと言われなかった。それは、親先生がどこまでも自分自身に謙虚に、自分の力を見極めておられたからである。
 人が助けを求めて集まるといっても、それは丁度、蟻が甘いものに集まるようなもので、自分自身に甘い内容、人を助けられる力がなければ、人が集まってくる働きにはなってこない。千名の力しかないのに、鳴りもの入りで宣伝して、千百名集まったとしても、必ず百名はどこかで漏れていくことになる道理である。
 それ故に親先生は、「限りなく美しくなりましょう。限りなく豊かになりましょう」との合言葉の下に、三十数年間ひたすら、自分自身の心作りに専念されていかれたのである。
 そして、時節到来、神様が全世界に合楽理念が顕現されるために乗り出され、合楽示現活動参画の神の願いとなったのである。
 だから、合楽示現活動参画とは一般でいうお手引き運動とは違い、神様が先頭に立って示現して下さる働きにあずからして頂く運動をいうのである。
 その為には、神様のお役に立ちたい立ちたい、の一念を燃やしての信心にお育て頂かねばならない。
 しかし、例えば、ここに給仕をさせて下さいとお客の接待を願いでても、その人が顔も汚れ、手も洗わず、みすぼらしい身なりで給仕をしようとしたなら、その願いは聞き届けられないだろう。
 だから神様の給仕人となってお役に立ちたいお役に立ちたいの一念を燃やすなら、まずは教祖様が「信心は日々の改まりが第一」とも「本心の玉を研くものぞ」とも仰せられるように、心を改まり研くという身支度がいる。
 その手立てを金光大神のみ教えに求め、合楽理念に求めるなら、誰でもが楽しく、有り難く、愉快に、いつのまにか改まり研くことができていくのである。
 たとえ千年万年かかってもこの運動が続けられ、世界万国津々浦々に、和賀心時代が顕現されることを、神様は願われている。この大事業に本気で取り組み、私もこのお役に立たして下さいという大願を立て、神様が求め給う人となり、合楽示現活動に参画させて頂きたい。
(昭五六・一・三)
 
 
 
 ◎変身の妙
 此所へ参っても神の言ふ通にする者は少い。皆帰ってから自分の好いやうにするのでおかげはなし。神のいふ事は道に落して了ひ、わが勝手にして神を恨むやうなものがある。神の一言は千両の金にも代られぬ。難有受けて帰れば土産は船にも車にも積めぬ程の神徳がある。心の内を改める事が第一なり。神に一心とは迷いのない事ぞ《御理解第三十四節》
 
「朝顔はバカな花だよ根もない竹に命までもとからみつく」
 この度、従来の大祓詞にかわる神徳賛詞・神前拝詞・霊前拝詞が本部より発表されたが、それを耳にされた途端、親先生はこの都々逸の文句をおしらせに頂かれた。
 神様は、新しく金光教的な祈念詞ができた以上、今日よりはそれに切り換えるのが真実。大祓詞にいつまでも固執するのは、根もない竹にからみつくようなもの、と教えられたのである。もちろん、即日、大祓詞は廃止され、新しい祈念詞に切り換えられた。
 振り返って、親先生の過去三十数年間の信心は、いつもこのように本当からより真実の信心を求めて、これが真実の事とわかるとただちに改められ、そこには一片の未練やためらいもなかった。
 ある時は「表行よりは心行をせよ」ということの御神意をおしらせに頂かれ、心行一本でいくのが金光大神の真の道とわかられるや否や、過去数十年間続けられてきた表行は全廃され、心行一筋となり、以後、表行をする者は破門とさえ言われた。そこには打てば響くかのように、参拝者が倍増したのである。
 又ある時、桂松平師の霊神様にお願いされていると、神様より「霊神様にお働き下さいと願うことは、死人を舞台にひっぱり出して、さあ踊れというようなもの」と頂かれた。以後、霊神様への願い事は一切やめ、お礼一筋になられた。
 そこから、神様が次々と霊の世界の実相を明らかに示し教えて下さるようになり、従来より霊の働きと思われて来たことの総てが、実は神様の大いなる御演出の中での出来事であったということがわかって来たのである。
 このように、神の一言を千両も万両もの重みをもって頂くからこそできる変身の妙。これが、神様が示される真実の事とわかったなら、本当からより真実を求めて、過去の信心をサラリと捨て、神様の示される新しい信心へと飛躍展開していくことこそが、教祖金光大神の信心である。
(昭五一・一・二一)



 ◎黙って治める
 昔から親が鏡を持たして嫁入をさせるのは顔をきれいにするばかりではない。心に辛い悲しいと思ふ時、鏡を立て悪い顔を人に見せぬやうにして家を治めよと云ふ事である《御理解第八十八節》
 
 人を教育し、導いていくのに「言うて聞かせて、してみせて、誉めてやらねば誰もせぬぞえ」という方法がよくとられる。あたかもそれが最良の方法であるかのように語られている。成程、神様の働きを知らない常識の眼で見たらそうも見えよう。だが、果してそうであろうか。
 合楽教会でいわれる「黙って治める」という生き方は、合楽の信心の芯である。これは、この八十八節の「家を治めよ」の「治」という文字をもって神様がお示し下されたものである。
 「治」と初めてお知らせ下された時、親先生もはじめどういう御神意だろうかと思われたという。すると神様は間髪を入れずに、次に「治」とは「シ」偏に「ム」「口」と書く。「シ」は自然ということ。自然に起こってくる働きを「無口」で受ける生き方に最高に「治」まっていくと重ねてお知らせ下さったのである。
 黙って治めるといっても、世間でいうじっと「堪忍」しておけばよいというような、歯を食いしばっての辛抱ではない。神様の働きを信じるが故に、有り難く黙って治める生き方をいうのである。
 大分の三女傑の一人といわれるAさんは、十九才の時から商売を始められ、三十二才の時には、日田市で一番大きい酒の卸間屋を任され、以来、私にできないことはないと自信満々の商売を続けてこられたという。そのAさんが親先生に出会われたのが十年前。接すれば接する程、親先生の偉大さに心酔。そして、好きでたまらない商売も、親先生の一言で長男に譲ることになられたのである。
 譲ってはみたものの、まだまだ親の目からみると頼りなく、長男のすることが何から何まで気になり、言いたくなる。しかし、言えば反発してくる。
 親先生は、「譲ったのだから息子さんのしたいようにさせなさい、一切を黙って治めなさい」といわれる。それでも、やっぱり自分でなければという思いが強く、親先生のいわれる通りにする事はなかなかでき難い。
 そういうある日、突然、Aさんは声が出なくなった。
 これでは、言いたくても言えない。しかたなしに、これは、神様が言葉を取り上げられたのであろうと腹をきめて、息子達の商売を黙ってみておる他なかった。
 ところが、不思議と、思い以上に商売ができていくではないか。
 それをみて、「成程、自分は言うことはいらない。黙って治めていくことが一番」といよいよ悟られ、そして、まもなく声も元に戻られたという。
 このように、初めのうちは倒れ転びでも、黙って治めるうちに段々おかげを頂き、現在では長男夫婦もお育てを頂いて、Aさんがいなくても商売は安心という基盤もでき、順調な発展をみせている。
 何か理路整然としたことを言わなければならなかったり、相手の感情に訴え、相手が得心してくれるように言わなければならなかったりするのなら、難しいが、黙って治めることは、黙っておればよいのであるから、その気になれば、誰でもできる簡単なことである。
 しかも、日常茶飯事のあらゆる事柄の中で、この黙って治めることに徹して、取り組んでいけばいく程、黙っていてよかった、こんな治まり方があっただろうか、と驚くほど神様の不思議なお働きのままに、思い以上、願い以上のおかげの世界が開けてくる。
 そこに、いよいよ黙って治めねば馬鹿らしいということにもなり、黙って治めていく信心の偉大さが明瞭となっていく。
 「簡単です。明瞭です。おかげが確かです」これは、合楽理念のキャッチフレーズであるが、この黙って治める信心一つを見ても、成程とうなずけるであろう。
 ここで心に辛い悲しいと思う時、鏡をみて「こんな顔ではならない」と辛抱して家を治めよと教えて下さっている。それは、その事と共に、信心の教えの鏡を立てて、自分の心をみつめよということでもある。
 まずは教えの鏡を立て、黙って治める生き方に徹していきたい。そこに、情けない思いをせねばならない元は、自分にあったとわかり、辛い苦しいことも、深い御神慮があっての神様の御都合ということも分かってくる。
 成程、言うて聞かせたり、言い返したり、言い訳する必要はさらさらないし、いよいよ黙って治めることの大切さも分ってくるのである。そこから、私の周囲のすべてのことが黙って見事に治まっていく。いよいよ天地の親神様が人間氏子に是が非でも与えたいと願われるお徳も頂ける。八十八節(八は末広がり、八十八は広がりに広がるの意)、親の代より子の代、子の代より孫の代へ、おかげが広がりに広がっていくのが黙って治める生き方である。
(昭五六・一・二四)



 ◎十三日は神の願いが成就する日
 天地金乃神は宗旨嫌をせぬ。信心は心を狭う持ってはならぬ。心を廣う持って居れ。世界を廣う考へて居れ。世界はわが心にあるぞ(御理解第九節)

 「天地を丸生かしにしておられる神様だから、天地の間の総てのことは、天地の親神様におすがりするより外にない」
 この簡単にして的確な頂き方。「世界は我が心にあるぞ」とは、そういう広い天地の頂き方をもって、天地と一体となることを言われたのであろう。
 合楽教会の毎月の信心共励の場として、一番大きなものに十三日会がある。九州開教の祖と言われる小倉教会初代・桂松平師の帰幽日である十三日に、小倉教会と本部への月参拝が有難くなされていた神愛会時代のこと。突然ある所より「教会でもないのに」と、その参拝を差し止められた。親先生の大恩人であられる三代金光様が本部にはおられる。また、桂先生あってお道の信心を頂くことができた。そこからの、やむにやまれぬ思いでの参拝であったから、それは文字通り、血の涙の出るような出来事であった。しかし、そういう中にあって、神様は「十三日は神の願いが成就する日」とおしらせ下さった。
 そこから心機一転、そのお言葉を励みとして、以来十三日は神様の願いが成就する為の、信徒あげての御用の日となり、午後からは信心共励会がもたれることになり、ここに十三日会が誕生したのである。また、本部参拝をしたつもりで、その旅費を貯えることになり、やがて教会建築の運びとなった時、その貯金の全額が、ちょうど、土地と土盛りの為の費用と同じという働きになって来た。
 さらに、十三日会は発展に発展を重ねて来て、やがて昭和五十三年、神様は「十三日会は放生会」とおしらせ下さった。前後して下されたものに「詫びれば許してやりたいのが親心じゃ」とあったことを考え合わせて、いよいよ十三日会の持つ意義の大きさが明らかになって来た。
 「放生会」。それを辞書で引くと「金光明教(経)流水長者の故事に基き、生類を放生する儀式」とある。世界の明教といわれる金光教には、詫びれば許して水に流して下さる、放生して下さるという前代未聞の天地の真が説かれてあるということ。自分の罪科に責められ、狭い窮屈な世界に住んでいる者でも、天地の間のことは天地の親神様にすがる外にないと、すがって詫びれば許して下さる放生の日として十三日はあるということである。
 なるほど「神の願いが成就する日」と仰せられた意味は深いものがある。
 世界の悪日とされて来た十三日。ここに合楽理念によって、神願成就の日として、有難い日としてイメージアップされた。
 和賀心時代を全世界に、同時に十三日会を、放生会を全世界にとは、合楽教会あげての願いである。もし、世界の各地に十三日会が設けられ、日頃は神様にお願いばかりしているお互いなのだから、せめてこの日一日だけは、神様の願いが成就することの為にと、無条件の御用に専念し、神様の悲願に応えられる信心の共励につとめることになるなら、真実、天地から許された、生まれ変った心をもって、新たに生きていくことが出来るようになるだろう。
 その許されたという実感、改まった心におかげが伴い、運命は開けてくるのである。そこにはじめて、広々とした天地と一体となれる信心も出来ていく。
 この十三日会が世界の十三日会となる時、世界人類の未来は限りなく明るいものとなり、洋々たる神人共栄の道が開けることになるであろう。
 (注)
 親先生は信者時代、修行が激しくなるにつれ、次第に商売は行詰まり、その進退を親教会の親先生より、三代金光様にお伺いして頂くことになった。
 その時金光様は、「お道の教師としておかげを頂かれたら結構であります」と仰せられたのである。
 当時、商売によって大きくお役に立ちたいと願われていた親先生にとって、そのお言葉は正しく青天の霹靂であった。
 爾来、この御言葉は教会設立までの十七年間、紆余曲折の中にあって親先生の取次者としての心の支えとなった。
 また、事ある度に御教えを頂き、三代金光様こそ取次者の鑑と仰いで、今日の合楽教会があると言われている。
(昭五六・一・二九)
 
 
 
 ◎おかげで信心が出来ます
 人が盗人ぢゃと云うても乞食ぢゃと云うても、腹を立ててはならぬ。盗人をして居らねばよし乞食ぢゃと云うても貰ひに行かねば乞食ではなし。神がよく覧て居る。シッカリ信心の帯をせよ《御理解第五十八節》

 「氏子信心しておかげを受けてくれよ」と仰せられる天地の親神様。そのお心を説かれた教祖様の御教えは、実に深遠である。その深い広い御教えを合楽教会では、誰もが容易く、楽しく、有り難く、しかも愉快なまでに行じられるように説き明かされている。
 この御理解には、泥棒といわれても乞食といわれても腹を立ててはならぬと教えてある。それを表面だけをとらえると、神様が見ておられる、聞いておられる世界に生きているのだから、とにかく黙って辛抱しておきなさいというような、慰め的な御教えにも聞こえる。しかし、それではこの御理解の御神意を頂いたことにならない。そこに腹を立てずに済む道理をわかり、おかげで信心が出来ますという本当のことへ向かっての辛抱がなされねばならない。
 久留米教会初代・石橋松次郎師は本部で御修行中に、四神様より「なあ石橋さん、信心辛抱さえしておれば物事整わぬ事ないぞ」とのお言葉を頂かれた。その一言を懸け守りにされ、どういう中にあってもおかげで信心が出来ますと辛抱しぬかれて、晩年には辛抱する事がなくなる程の、信心辛抱の徳を頂かれた。
 石橋先生が小倉の親教会のある大祭の折、祭典も終わり直会が始まろうとする時、著名な先生方が居並ぶ満座の中で、師匠の桂先生が突然、「石橋さん、あんたんとこの息子はバカじゃな!」と仰しゃった。それを聞かれた石橋先生はその時、顔色一つ変えず即座に、「親先生、おかげで信心が出来ます!」と答えられたという。桂先生はそれを聞かれて大変喜ばれて「石橋さん、でかした」と、一番に盃を下されたという話が残っている。石橋先生が、いかに日頃から様々な事柄を通して、おかげで信心が出来ますという生き方が出来ておられたかがわかる。
 親先生は、今朝御神前で「結婚式を前にした女の人が御神前に座っている。そして、手に鎖のようなものがまかれ、手をいっぱいに広げて、切って外そうとしている」ところをお知らせに頂かれた。それを頂きながら、手を合わせて合掌すれば鎖から抜けられるのにと思われたところであった。それは丁度、苦しい時、難儀な時に、この難儀からなんとかして逃れよう、縁を切ろうとしている姿ではなかろうか。そういう難儀な時にこそ、神様との交流が始まろうとする前提である。それを、結婚式を前にした女の人で表現されたのである。だから、逃れよう逃れようと一生懸命に願うのは、鎖を一生懸命ひっぱってはずそうとしていることになる。これでは難儀から解放されることは難しい。そこに、神様がこうまでして交流しようとされてあるお心を分かり、「おかげで信心が出来ます」と、有り難いと合掌して、御礼の言えれるところまで信心辛抱していく事である。そこに、手を合わせればスッと外れるように、一切が解けていき、一切が有り難いものになってくるような、限りのないおかげの展開となってくるのである。
(昭五六・二・一九)



◎繁昌の道教えます
 此所ヘ参っても神の言ふ通にする者は少い。帰ってから自分の好いやうにするのでおかけはなし。神のいふ事は道に落して了ひ、わが勝手にして神を恨むやうなものがある。神の一言は千両の金にも代られぬ。難り有く受けて帰れば土産は船にも車にも積めぬ程の神徳がある。心の内を改める事が第一なり。神に一心とは迷いのない事ぞ《御理解第三十四節》
 
 三年前、大阪より数名の先生が来訪されたことがあった。
 そして、合楽理念について説明を求められる中に、「初代の時、御ヒレイの立った教会は、過去において数多くありましたが、そのいずれも二代、三代になると、火が消えたように御ヒレイが落ちてしまっています。合楽教会の場合はどうでしょうか」という質問があった。
 それに対して親先生は「確かに合楽も代がかわってみなければ分らないといえば分らない。しかし合楽の場合は合楽理念があります。これに基づく限り、二代、三代と代勝りに繁昌することは間違いないと確信しています。なぜなら、合楽理念は、教祖金光大神の御信心の本質を理念化した明確な指針であり、誰もが行じられるように的確に方向づけした手立てだからです。しかもその実証は、合楽教会で日々頂いていっております」と答えられた。
 金光大神は、「子孫繁昌家繁昌の道を教えるのじゃ」とはっきりと仰せられている。ところが、事実はそうなっていない場合が多いように思われる。それでは、教祖は嘘を教えられたのだろうか。そこをはっきりと実証する為に、まずは実験してみなければならない。
 合楽理念は、親先生が過去三十数年の間、教典の一カ条一カ条を、あらゆる角度から頂かれ、その言外の言を探られ、自ら実験実証されて、いよいよ教祖の教えのひとつひとつが、間違いないことの確信を、説き続けて来られた御教話の、いわば集大成である。
 大阪教会初代・白神新一郎師は、教祖に接っせられて「前代未聞、開闢以来」と、教祖の御信心を言い表された。
 正しく、合楽教会においても、教祖の御信心を究めに究めていく程、「天地開闢以来、前代未聞」の御内容にあふれていることが分かって来たのである。
 「世界の宗教は、金光教によって、その内容を変えざるを得ないだろう」と合楽で言われるのも、けっして大言壮語ではない。それ程の内容が教祖の教えには込められているということなのである。
 ところが、過去百年の金光教は、教祖の教えがあまりに平易な表現であるが故に教えを軽く見ないまでも、その真意を解し得なかったと思われる。
 例えばいざとなると、教えに取組まず祈念力に頼り、表行に走っていったことが、その証拠ではなかろうか。
 金光教は過去百年、とにかく続いては来た。世代の交代もあった。しかし、後継者に悩む教会は数多くある。代が替って、金光教から離れていった信徒にいたっては、その数は計り知れないだろう。
 「人間わざでは出来ないような修行(苦労)が出来なければ、お道の御用は勤まらない」ということでは、後継する者はいなくなる。信心を頂きながら、苦労々々の連続で、「さあ、信心を継げ」と言っても無理というものである。
 教祖様は「信心はみやすいものじゃが、皆、氏子から難しくする」と言われたように、みやすく、有り難く楽しく、しかも愉快なものにまでなるのが、お道の信心の本質である。
 その手立てを「天地金乃神様と金光大神様と親先生の合作」と言われる合楽理念として集大成し、誰もが行じられて、しかも、なる程、教祖様は嘘を教えておられないという、おかげの実証が頂かれる信仰理念として確立していっているのである。
 教祖は、はっきりと「表行より心行をせよ」と教えられ、祈念力ではなく、「地が肥えておれば・・・・・・ひとりでに物が出来るようなものぞ」と、ひとりでに生まれるおかげの世界を中心に説かれた。子孫繁昌という世代を越えてのおかげの世界は、このことを抜きにして、ただ祈念力や表行といったもので頂けるものではない。
 合楽教会で、とりわけ、「心の地を肥やす」信心が中心となって説かれるのもこのこと故である。
 教祖は嘘を教えてはおられないことがはっきりと分かった。「ひとりでにものが出来るようなものぞ」と、天地の道理に則って、繁昌していく手立ても明らかにされた。そこに、「二代、三代と代勝りに繁昌することは間違いないと確信します」との親先生の言葉もうなずける。
 何故、繁昌の道を説く金光教が、その通りになっていっていないのか。
 それは結局、「神の一言は千両の金にも代えられぬ」と言われる教祖様のみ教えの本質を、本気で究めていくものが、これまでいなかったから、教え通りの真の繁昌になってこなかったという外はない。
 どうでも教祖の御信心の本質を体得し、神様が下さろうとされる船にも車にも積めぬ程の御神徳を頂いて、教え通りの、真の繁昌の道をたどらせて頂きたいものである。
(昭五六・二・二三)



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