◎受け継ぎ、受け継がれるもの
 一、神は聲もなしかたちも見えず疑は限りなし。恐るベし疑を去れよ。《信心乃心得》
 
 ある時、親先生は、合楽教会の二代を継がねばならない若先生を、どこか厳しい教会に預けて修行させようかと思われたことがあった。すると、神様は、筑後平野に連なる耳納連山の頂上を、峰づたいに楽々と歩いていく若先生の姿を、お知らせ下さったのである。
 そして、御理解下されたことは、例えば、山の頂上をきわめるのに、下から登らねばならないような難しいことはもはやいらない。耳納連山の頂上に開かれているような、平易な道を間違いなく歩いていけば、それでよいということであった。
 そこで親先生は、「私のあとを継ぐものは、私が命のように大切にしているものを大切にしてくれればよい。私が究めたものを受け継いでくれればよい」と思われたという。
 「このような氏子はみたことがない」と天地金乃神様が仰せられたような、教祖金光大神様の尊い御修行によって、はじめて誰もがみやすく行じられ、天地のおかげをあますところなく受け止められる、前代未聞の道が開かれた。
 しかし、せっかくの道も、教祖様がおかくれになり、百年たった今日、いつのまにか人情的生き方や道徳的生き方、あるいは、古い修行観念等にとらわれて、再び見えなくしてしまったり、難しいものにしてしまったのではなかろうか。
 だからこそ、教祖金光大神様の偉大な御信心の真髄を頂きぬこうとされた親先生は、再び道を求めてあられぬ修行からせねばならなかった。様々な難行苦行もされた。同じ人間、出来ないことはないと、直信先覚諸師のされた荒行もことごとくされた。もう、断食・水行などはあたりまえのこととさえ思われていた。こういう修行をしておかげを受けたという人の話を聞かれると、その日のうちにその通りにされもした。しかしそれでも親先生の場合はおかげにはならなかった。心もひらけなかった。
 そこで翻然として思われたのが、私の上に起こってくることなら、どういうことでも黙って受けていこうという修行であった。こうして神様からの御試練を受けて受けて受けぬかれた親先生の尊い御修行によって合楽理念が誕生し、後々のものが、みやすうおかげの受けられる、天地の道が再び開かれることになったのである。
 声もなし形もみえない神様が、声以上の声をもって、形以上の形をもって、その姿を示し現わされる容易い道が誕生したのである。だから、もう次代を継ぐ者は、このみやすい道を歩きさえすればよい。
 悟り以前の修行は、きびしくつらい。悟ってからの修行はみやすく楽しい。合楽での修行はもはや悟り以前の難行ではない。生身ではとてもできないというものは一つもなく、行ずればそれに応えて下さるかのように、天地のリズムが必ず感じられてくるから、楽しく有難くしかも愉快にさえなっていく修行である。だが、あまりにもやろうと思えばみやすく出来ることだから、いつでも出来るという気持でおろそかにしてしまってはいないだろうか。いつでも出来ると思うその心こそ恐るべし恐るべしである。
 天地のはかりしれないお心を、限りなくお説き下さる親先生の日々のみ教え。しかもその気になりさえすれば誰でも行じれるのであるから、どうでも直信先覚諸師が荒行にうちこまれた情熱に、勝るとも劣らぬ迫力をもって、日々のみ教えを自らの血肉にしていかねばならない。天地の偉大な道が開けていくために・・・・・・。
 親さまが魂をすみにそめながして
 かきて候ぞ信じさせ絵え
 神の御心ハ天地書附なり
 親さまが魂ハ合楽理念に過ぎたるハなし
(昭五四・十一・二)
 
 
 
 ◎自分を知るものには、いつもお与えは、過分であります
 驕りがましい事をすな。ものは細うても永う續かねば繁昌でないぞ。細い道でも次第に履み拡げて通るのは繁昌ぢゃ。道に草を生やすやうな事をすな。《御理解第八十四節》
 
 神様のお指図が著しい親先生の御修行時代のこと。道を歩くにも神様が「右ぞ左ぞ」と事細かに教えられ、四神様の名を唱えれば四神様が、桂松平師の名を呼べば桂師の霊様が現われて下さる。
 そういうある日、神様は親先生に、「その方ぐらい結構なおかげを受けている者はないなあ。このように、神や霊と自在に通いあえて結構じゃなあ」と仰せられる。それに対して親先生が「はい、私ぐらいの信心でよもやこういうお徳が頂けるとは真に勿体ない限りです」と言われると、神様は、「その方の徳は借り物じゃ!」と仰せられた。「神様、真にその通りでございます。私ぐらいの信心でこういうお徳が受けられるはずがございません。神様が勿体ないことに貸して下さってあるとしか思えません」と即答された。すると、神様は「一生借り続ければその方のものじゃ!」と重ねて仰せられた。
 天地の間に自分のものは何ひとつとてない、総てが神様のものであり、信心の徳すらが神様からの借りものだと自覚された親先生には、驕りがましいことをすることなど思いもよらないことであり、ただ慎みと喜びをもって押し頂く御姿勢があられるだけである。
 「神からも恩人」とまで讃えられた教祖金光大神様ですら、「此方といえども、油断をすれば、いつ神様からおヒマが出るか分からぬ」と仰せられたように、神様のおかげを頂かねば立ち行かない自分だと分かる時、神様をはずすことも、驕りがましいことをすることも、到底できるものではない。しかし、お互いの生活の上には、何でもないことの上に驕りがましいことになっていたり、こくな贅沢をと思うことが何でもなかったりすることがある。
 一見、贅沢と思える物でも、神様が人間氏子の上に与えたいばかりのおかげとして下さるのなら、それを自分には勿体ないと遠慮しては、かえって神様は悲しい思いをされる。それが頂ける資格を頂いて、有り難く受ける時、神様もこよなく喜んで下さるのである。
 問題は、資格もないのに手の届かないものを欲しがったり、これくらいのことは何でもなかろうと、些細なところをおろそかにする心が、驕りがましいことになる。
 今日の合楽教会の繁昌も、まずは親先生が、食べる資格も着る資格もない自分だと悟られ、そこから神様にすがっていかれたところから、次第に踏み広げて来られた今日の繁昌である。だから、全館に冷暖房は完備し、各部屋に調度品が飾ってあっても、神様は少しも贅沢とは仰せられない。それどころか、親先生の、神様がいつ離れられるか分からないという油断の起こらぬ信心に、神様も離れようにも離れられず、おかげを下さり続けてあるのである。(昭五四・十一・七)
 
 
 
 ◎水子供養?
 日柄方位は観るに及ばぬ。普請作事は使ひ勝手のよいのが吉い家相ぢゃ。吉い日柄と云ふは空に雲のないほんぞら温い自分に都合のよい日が吉い日柄ぢゃ。如何に暦を見て天赦日ぢゃと云うても雨風が強うては今日は不祥のお天気ぢゃと云ふではないか。日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思へ。《御理解第六十五節》
 
 雲ひとつない大空を仰ぎみるように、何ものにもとらわれることのない広々とした安らいだ心、神様から生かされての毎日、何一つとして心にかかることのない和らいだ喜びに溢ちた心。
 こういう心を教祖様は和賀心と教えられた。この和賀心の前には毎日が天赦日という万事に使い勝手のよい自由の世界に住めるのである。しかるに振り返ってみて、私達の周囲にはいかに自分で自分の首をくくるような、迷信的観念が私達を支配し、窮屈にしていることであろうか。現代においても、日柄方位を言う易学、暦学、家相、墓相、印相、はては今流行している水子供養といったものさえが横行している。金光教は、教祖金光大神が、百数十年前、日柄方位は見るに及ばずとハッキリこれら迷信を打破された宗教である。確かに、これらも天地の中の一つの仕組みとして根拠のないことではない。手相ひとつとっても、ある程度その人の性格や運命を占うことができるのも事実である。
 しかし、天地金乃神様は、これらのものは、言ってみれば螢の光のようなものと教えて下さる。天地の働きを知らない入には、やはり暗夜に飛ひかう螢の光は明るく見え、それにしたがって生きていこうとする。しかし、天地の親神様という、明るい太陽のような偉大な光にひとたび照らしだされたなら、たちまちにして螢の光はうすれ、ないも同然となる。そのように、信心のない世界では、どんなに手相で悪い運命があらわれていても、ひとたび金光教の信心を頂けば、その日を境に運命は好転するのである。
 例えば、福岡市に住む伊藤カナエさんは、ある日、易学の本を読まれたところ、過去にあった難儀なことは驚く程、的確に言いあてられていることが分った。そして、四十才前後には、狂い死にするとさえでていたのである。ところが伊藤さんは、丁度、そのころより合楽教会に御縁を頂かれ、それを限りに運命は上昇の一途を辿っている。
 又、最近、日田から来た人で、この頃、困った問題が起きるのは流した水子の祟りと言われ、多額の供養料を納めて供養してもらったのだが、少しも問題は解決しない、という人がお願いに来られた。それに対して親先生は、「子洪を流したということは、もちろん良いことではありませんが、だからといって、水子の霊が祟り障りをするなどということは、決してありません。それは神様にお詫びすれば許して下さることであります。例えば、神様の目から見れば、「子供を流すということは、台所でお米をといでいる時、とぎ汁と一緒にお米が二、三粒流れていくくらいのこと」と神様は仰せられますから、勿体ないといえば勿体ないが、やむをえないことですから、お詫びすれば、それにとらわれることはないのですよ」と御理解されたところ、その方は心もはればれとして帰られた。そして間もなく問題も解決したという。
 この例をとってみても、いかに天地の神様の前には、これらが色あせた、迷信じみたものになってしまうかが分かる。いや、それだけでなく神様は、これら日柄方位や、家相、人相、易学などといったもので天地の働きをおしはかるようなことそのものが、自らを窮屈にするだけでなく、神様の、人間を幸せにせんが為の働きにケチをつけることになり、天地に対して無礼であると教えられているのである。
 まずは、この天地の中におこってくる事は、一切神様のお働きであるという一大見地に立っての物の見方、考え方。ここから一切がおかげ、毎日が天赦日という、許されての、使い勝手のよい日、生かされている私と分かってくる。そこには「日のお照しなさる日に吉い凶いはないと思へ」と教祖金光大神が仰せられたように、日柄方位の迷信だけでなく、心を窮屈にしておかげが受けられなくして来た一切の観念から解放された、雲ひとつない大空を仰ぎ見るような、何ものにもとらわれることのない、広々とした大天地に住めるのである。
 (昭五四・十一・二十)
 
 
 
 ◎魚釣る人見ておる人
 天地金乃神と云ヘば天地一目に覧て居るぞ。神は平等におかげを授けるが受物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えばばまゝよと云ふ心を出さねばおかげは受けられぬ。まゝよとは死んでもままよの事ぞ。《御理解第二十二節》
 
 「魚釣る人、見ておる人」
 これはよく見かけることだが、橋の上などを通りかかると、釣りを見物している人達がいる。「ほら引いた、引いた、まだまだ上げるな」となかなかやかましい。まるで自分が釣っているつもりである。そして釣り上げると吾がことのように喜んでいる。何とも、面白い情景である。
 しかし、見ているだけではどんなに熱中してみても、結局、魚は自分のものにはならない。やはり、釣りのだいご味は、自分で釣らなければ味わえない。それにはまず、竿も糸も用意し、餌も吟味し、服装もととのえるといった用意周到な構えがいるのである。
 同様に、信心も「おかげは受け徳受け勝」といわれるように、ただ、人のおかげを受けている様をながめているだけではなく、自分がおかげを頂く為に本気で自分の信心の構えを作ることが大切。
 ところがこれだけではまだ足りない。一番肝心要のことがある。それは釣り場を選ぶということである。
 親先生はおしらせに、「ある人が竿も糸も用意し、釣りの準備もできて、一日中釣糸をたれているが、浅くて挟い、雑魚もいないような川を選んでいるので、少しも釣れず、日も暮れてきて、今日も一匹も釣れなかったと、寂しく帰っていくところ」を頂かれた。まず準備が出来たら釣り場を選ぶことが大切である。
 それこそ、一生懸命に参拝もし、御用もしておりながら、何十年と年月ばかりたっても、少しもおかげらしいおかげにならない、お徳も頂けないといった例が沢山ある。
 本当に助かり、おかげの頂ける宗教かどうかをまずは見極めよ。そして師匠をえらべ。確かにここでならおかげが頂ける、お徳が頂けるとの見極めがまず大切である。
 信心させて頂くからにはおかげを頂きたい、お徳も頂きたい、とは誰しもの願いであろう。けれども、果たして、それを受ける受物ができているであろうか。それを頂く構えが出来ているであろうか。しかも、場所の選定に間違いはないだろうか。よくよく考えてみなければならない。
(昭五四・十一・二一)



◎世界を包み回す
 世の人があれこれと神の事を口端にかけるのも神のヒレイぢゃ。人の口には戸がたてられぬ。先を知っては居らぬぞ。如何に世の人が顔にかかるやうな事を言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる《御理解第九十六節》
 
 昨二十五日、末永建郎先生は、勇躍、南米布教の途につかれた。宗教家の永住は絶対認めないという、厳しい近年のブラジルの国策の中で、堂々と宗教家として永住できるようになったということは、奇跡以上の奇跡でなくしてなんであろうか。
 「人の口には戸はたてられぬ。先を知ってはおらぬぞ・・・・」とある九十六節の御理解のように、まさに神様が、顔を洗って下さった今回の南米布教の壮挙である。
 去る二年前の春、最初の南米布教に旅立ち、わずか半年の間に、すさまじいともいえる御ヒレイを輝かし、布教実績をあげて、いったん帰国したのもつかの間、再渡航を足どめされてしまった。以来、この二年間は農業移民として、あるいは有力な人をつてに頼んでと、種々の方策を試みたが、返ってくる答えは、いよいよ否定的なものばかり。そして今年の六月、ブラジル渡航者の要注意人物として、パスポートにマークされていることが分るに及んでは、いよいよ再渡航は決定的に不可能となって来た。しかもその頃、末永先生は足を骨折し入院。信心がないなら、まさに泣き面に蜂というところである。
 ところが、このことをお取次された親先生は言下に、「これが南米行きの最後の修行」と言い放たれた。
 そしてまもなく、事態は急転直下。ある日突然、神戸のブラジル領事館より、末永先生に一度会いたいという電話がかかってきた。早速、領事を訪ね詳しい事情をうちあけたところ、一も二もなく、永住渡航の手続きに奔走してくれることになり、ここに大きく立ちはだかっていたかに思われた壁は、あっという間にくずれ、奇しくも道は開けるというおかげになって来たのである。この二年間、末永先生の信心修行ぶりはどうであったろうか。
 それではひるがえってみて、口さがない人からは、もう南米布教は無理といった陰口も耳にする中で、ただ二年間、じっと我慢していたとか、今に見ておれというような不安、焦燥の心では決してなかった。それどころかいよいよむつかしいという事がおこる度に、いや右になろうが左になろうが、必ずそこからおかげになると絶対の確信をもって、それによって、かえって一まわりも、二まわりも心を大きくさせて頂こうと勇み立っての修行であった。
 「神が顔を洗うてやる」と言われる程のすさまじいおかげは、人から口端にかけられるようなことを言われて、ただじっと我慢して耐えたり、心配や不安な心で過すというのでなく、そこからおかげになっていくという確信をもって、事ある度に心をひと回り大きくし、おかげの受物を大きくしてゆこうという、限りない精進によってこそ、初めて頂けるのである。
 今回の末永先生の南米布教再渡航は、二年間で、神様が顔を洗って下さった。しかし、神様の願いは限りなく大きい。全世界に金光教が広がり、世界中の人々が金光大神の御信心によって助かるという程の、途方もなく大きい願い、その御神願が御成就になる為には、たとえその為に、人からあれこれ口端にかけられても、顔にかかるようなことを言われても、少しも人情を出して厭うことは要らぬ。五十年先、百年先にでも、神様から顔を洗うて頂けばよいのである。
 合楽理念、即ち、金光大神の御信心はそれ程に大きな神様の願いがかけられているものなのである。
(昭五四・十一・二六)
 
 
 
 ◎五つの願い
 神に会はうと思えば庭の口を外へ出て見よ空が神下が神《御理解第十二節》
 
 願いにあけ、願いにくれる、願いの信心は最高峰。
 先日、親先生は、御神前で「野性美に富んだ、豊満な母親が乳をはらして痛そうにしている」ところをお知らせに頂かれた。乳飲み子が母親の手にすがって乳を飲んでくれてこそ、乳飲み子も安心なら、母親も楽になる道理。
 生身の人間が生きていく上には願わねばならないことばかり。我無カであるが故に、願わずにはおれないのが人間の本質であり、人間の切実な願いを神様も待っておられるのである。それ故に天地の中に住む氏子として、家族勢を揃えてどうでも願わねばならないのは五つの願い。
 一、体の丈夫。
 二、家庭円満。
 三、子孫繁昌、家繁昌。
 四、真実の御用が出来ますように。
 五、神さまの願いが成就しますように。即ち和賀心時代を創ることの為の御用に役立たせて下さい。
 和賀心時代を創ることのために、この五つの願いはある。神様も願われ、私達も切実にに願わずにはおれないこの五つの願いは、いくら願っても、願う度毎に、神様が合点しながら受け取って下さるのである。合楽教会信奉者として、この五つの願いが実行できているであろうか。朝晩の御祈念の時だけではない。神様に向う度に、この五つの願いだけは唱えねばならない。唱えるうちに願いもいよいよ深く広くなっていく。くり返しくり返し願っているうちに、願うだけではいけないという事もわかってくる。
 「大酒大食は絶食の元」ともいわれる。体の丈夫を願うならば、体を粗末にしてはならないことがわかってくる。親先生は、体の丈夫の願いを立てられてから、「夜食は命の切り売り」とまでいわれるのだからと、その日から夜食をやめられた。
 家庭円満を願うなら、人の足元を見たり、人を責める心があっては家庭円満はない事がわかる。それ以来、親先生は人を責めないのは勿論のこと、ついつい責めてしまいがちな家内、子供も責めない、どんな目に余ることがあっても絶対言うまいと決心され、実行されている。子孫繁昌、家繁昌を願うなら、繁昌の邪魔になる事は改まっていかねばならない。繁昌を願いながら、電気をうっかり消し忘れてるといった、物や金を粗末に使うような横着であってはならない。親先生は「必要な時ならどれだけ使ってもよいが、必要でないのに電気がつけっぱなしになったりしてるのをみると、身を切られるような思いがする」と言われる。
 そして真実の御用が出来ますようにとの願い。真実の御用ができてるだろうか。自分のための私用になってはいないであろうか。家業が神様に喜んで頂ける家業の行になっているであろうか。繰り返し願ううちに、御用の内容がいよいよ真実のものになってくる。
 そして、最後に、神様の願いが成就することの為に、和賀心時代を創ることの御用に役立たせて下さいとの願い。くり返し願うところに、どうしたら神の手にも足にもなれるかとの思いも募り、言うことにもすることにも神様が喜んで下さる働きになってくる。このこと一つが成就するためにある五つの願いである。
 今日のみ教えに「神に会はうと思えば庭の口を外へ出てみよ空が神下が神」とある。ただじっとしていては神様はわからない。実験の対象としては「庭の口を外にでてみよ」くらいに、いとも簡単なこの五つの願いの実験である。この五つの願いに、徹していかねばならない。そこに「空が神下が神」といわれるように偉大な大天地を対象としたお道の神観も確立され、神の実感・実証も頂けるのである。
 (昭五四・十二・四)
 

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