◎超えた世界に生きる
兎角信心は地を肥せ。常平生からの信心が肝要ぢゃ。地が肥えて居れば肥をせいでもひとりでに物が出来るやうなものぞ《御理解第五十節》

 難儀、苦労の中から子どもを育て、学校も出し就職もさせた。けれどもその子どもでかえって苦労するということがどこにもあるものです。常識と道徳と社会通念という小さな植木鉢の中で育てられた子ども程あわれなことはありません。
 それに対し合楽教会では、人間の力で育てるのでなく、大地に根をおろしたような神ながらな働きの中に子どもを育てて下さっている。
 例えば、親先生の四男栄四郎先生が高校卒業の時、そのお礼を申されていた親先生に神様は、「これで士農工商足ろうた」とお知らせ下さり、大変お喜び下さった。なる程、考えてみると長男の若先生を普通高校で士とするなら、次男の光昭先生は農業高校、三男の幹三郎先生は工業高校、そして四男の栄四郎先生が商業高校と士農工商となっていたのです。
 このように士農工商という、人間のあらゆる階層の人がすべて助かる御用に将来たたせようという、神様の大きな計画によってお育て下さっている。これに限らず、万事に今日、教会全般の上に真善美足ろうた思い以上のおかげを、しかもひとりでにものが出来るように頂いています。
 それは、親先生の「一にも神様。二にも神様、三にも神様」という生きられ方から生まれて来たのです。
 それは確信もないまま、ただ放っておく放任主義とは違って、天地の親神様の御神愛を信じて、そこにゆだねてしまうという神様任せの生き方です。
 親先生は親奥様に「世界中で一番愛しているのはお前だ、それでも親を大切にしないなら、いつでも別れる」と言われ、御両親には「世界で一番大切なのはあなたたちだけれども、神様の仰せには背かれません」と言われました。その超えた愛、超えた親孝行に神様が、親奥様も愛し続け、両親にも親孝行させて下さる働きをして下さったのです。
 道徳的な親切運動や親孝行では本当に人の肋かる働きにはなりません。道徳も常識も超えた神様の偉大力に任せきった姿そのまま、神様の言われること(教え)に対して、徹底した生き方をしていく。そこに豊かに大きく地(心)が肥えてくることになり、ひとりでにものが出来るようなおかげとなってくるのです。
「氏子が神様まかせなら、神様が氏子まかせになると仰せられますから」(三代金光様おことば)
(昭五三・十一・二八)


◎生神の開発
 痛いのが治ったので難有いのではない。何時も壮健なが有難いのぞ《御理解第五十六節》

 「ここまでは分かった」と、お道の全信奉者がこの一線上までは出なければならないこと。
 柿の種を二つに割ると、中にはすでに柿の芽がはぐくまれているように、人間も生まれながらに生神の性を持っている。だが、柿の種も放置していては、芽を出すことは出来ないように、人間の心も同じこと。放っていては我情がつき我欲がついて、生神の性はかくれてしまい、ついには枯れてしまう。
 柿の種が、天の陽光とおしめりを受け、大地のぬくもりによって初めて芽を出し、地が豊かであればある程豊かな実りを得るように、人間の生神の性も、天の心、地の心、水の心ではぐくみ育ててこそ、生神の芽は開花してくる。
 神様は、生神の芽を育てるために、深い親愛をこめて、様々な問題や事柄を与えて下さる。その問題や事柄との対決において、ここは天の心で、ここは地の心で、ここは水の心で、との精進がなされる時、いつの間にか生神の性は芽吹き、生き生きと育っていくのである。そこに、痛いのも有り難い、何時も壮健ならなお有り難いという、四六時中有り難い世界に住めることになる。(昭五三・十二・三)



◎妖しい迄の土の心
 日々さヘ経ては世間が廣うなって行く。ひそかにして信心はせよ。《御理解第四十六節》

 親先生の半生は、いつの場合も分が悪く縁の下の力持ちであられた。けれども親先生は、そういう自分の運命を愛してこられた。黙って治め、自分が表面に出ようというのでなく、神様が御承知の世界に日々生き抜いてこられた。
 これがひそかな信心である。自分は百働いても、人には五十、三十にしか認めてもらえない。しかし、それでも有り難いと感じられる心。これがどんな場合にも御礼の言えれる妖しい迄の土の性根である。
 そういうひそかな信心を今日まで貫いてこられた親先生に、神様は、「だからこそ、神と親戚付き合いが出来ておろうが」と言われた。
 自分をだせばおかげの分野は狭くなる。人間に認められるよりも、神様に認められる生き方が信心である。そこにおかげの分野が広がり世間も広くなってくる。
 一、貧乏くじは宝くじ
 一、ふられたふの字のまんのよさ ふられたおかげで、というおかげが頂ける。
(昭五三・十二・一二)



◎天地金乃神様の御心は心行で悟るべし
 信心するものは驚いてはならぬ。これから後どのやうな大きな事が出来て来ても少しも驚く事はならぬぞ。《御理解第五十二節》

 何とかしておかげを受けたい、神様をわかりたい、煩悩からも解放されたい、と思えば思う程、今までは、その為の修行といえば、わが身を痛め、あられもない行をする外に手立てがなかった。それ故に、過去のあらゆる宗教に表行(難行、苦行、戒律等)はつきものであった。茨の道を歩くのが信心修行であると観念し、表行の厳しさを競い合い、表行できないものは、宗教家として資格のないものといわれる向きさえあった。
 確かに表行によってこれが神のおかげであろうか、これが神の実体だろうかというような働きも受けてはきた。しかしそれは、我身を苦しめてでもという健気な心に、あるいは強迫にも似たがむしゃらな心に神様も仕方なしに下さったものなのである。
 だが神様から授かった身を痛めて、どうして神様が心から喜んでくださるであろうか。
 天地の親神様が喜びに喜んで働いて下さり、神も助かり氏子もたちゆく世界を人の世にはじめて顕現された教祖金光大神。
 その教祖様のみ教えをひたすらに行じぬかれ、日々、金光大神の世界を究めていかれる親先生。
 そこには、はじめて聞く天地の道理、はじめて知る天地の親心、はじめて歩む天地の大道があるのみ。
 そこでは、もはや表行はいらない。いや表行は全廃。示される天地の道理に耳を傾け、天地の大道を歩む、限りない道だけがあるのである。
 教祖様もはっきりと「表行よりは心行をせよ」とも「水をかべるけいまことじゃ、かべらんけいまことでないとはいえぬ。喰わずの行をするのは金光大神は大嫌じゃ」とも断言されている。それにもかかわらず、過去の宗教観念にとらわれた眼で見てきたために、お道でも表行は否定できないできた。
 ここに合楽理念が生まれ、教祖様のみ教えの神意が明らかになった今、お道の信心をするものは、表行は全廃し、心行に徹して、金光教の独自の世界、天地と交流し合い、天地と共に極りなく人間が真実幸福になっていく世界を深めていかねばならない。
 心行とは、寝てもさめても心にいつも神様をかけつづけること。だからいつどういうことがあっても、例えば、これが驚かずにおられようかという事柄に直面しても驚かんですむ程のもの。いやむしろそのことに有難いとお礼の言えれる信心ができていく。これこそが力となり神様の御信用も自ずとついてくるのである。
 わが身をどれだけ痛めても肉体には限りがある。しかし心行には限りがない。心ひとつで世界を包み回す程のこともできていくのである。そこに心行の偉大さがある。限りない心行一筋に取り組んで、限りないおかげに浴していきたい。

(注)
表行をせずして開けた宗教はないと言われている。だが表行にては、金光大神の信心の真の体得はできない。心行一筋にこそ金光大神の独自の世界は開かれる。以下の教祖様のみ教えをもって悟るべし。
一、「世に水をあびて神を祈る人は、こりをとらずにこりをつけるのじゃ。おかげにならぬぞ。こりは寝床の中でもとりのぞかれるぞ」
二、「手で香をたいたり、断食をしたり、寒中にこりをとったり、すきなものを断ったりするものがあるが、津川さん、あなたも段々断っておいでなさろうが、そういうことはやめて、神さまと約束をかえるがよろしい。そういうこ  とは行ではない。迷いというものじゃ、これからは喰われるがよい。そのかわり、心をかためて、どこまでもかわらず一升の信心でも八合の信心でもつづけてゆくのが大事じや・・・・」
三、「世の中に表行は段々する人があります。寒行しておがんで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、ものごとに不自由を行とし、家業をはたらき、身分相応をすごさぬよう倹約し、だれにも云わずにおこなえば、これ心行なり。
(昭五四・二・一)



◎ただ今、神さまと恋愛中
此方金光大神あって天地金乃神のおかげを受けられるやうになった。此方金光大神あって神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。金光大神の言ふ事に背かぬやうよく守って信心せよ。まさかの折には天地金乃神と云ふに及ばぬ。金光大神助けて呉れと云へばおかげを授けてやる《御理解第四節》

 「思い出すよじゃ惚れよがうすい 思い出さずに忘れずに」
 この神様は情念の神様。
 「神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である」と言われるが、一人の氏子を恩人とまで賞讃される神様の心情を思う時、そこにあふれんばかりの情念をたたえておられるのが感じられる。
 かつて若先生が、金光教学院で修行中の時、親先生あての手紙の中に「ただ今、神様と恋愛中」とその心情を表現しておられた。神様を憧念する氏子の心情と、神様の心情とが通い合う時、そこには押さえようにも押さえきれない、神と氏子の喜び合いの世界が生まれ、いよいよ自分の心も生き生きとはずみ、神様もまた踊り出てくるような働きを現わされてくるのである。
 この神様を他人行儀の神様や、ただの病気治し、災難よけの神様にしてはならない。天地の間にある一切を御支配される偉大な神様であると同時に、氏子の上にこまやかな情念も使っていかれる親神様であることを、お道の信心をするものが、日々の生活の現場の中で現わしていかねばならない。
 例えば芝居でも、すばらしい原作者とすばらしい演技者、それが足ろうてはじめて名場面も名舞台も生まれるように、天地金乃神様の御心の世界をはじめて現わされた、金光大神というすばらしい原作者を頂いているのがお道の信奉者である。
 教祖の教えが原作とするなら、合楽理念は、丁度あますことなく微に入り細にわたって表現したシナリオのようなもの。演出、監督は親先生、私共信奉者はいわば演技者である。
 本気で原作を理解し、シナリオを身につけて親先生の言われることを守っての演技なら、神様が奏でて下さる天地のリズムという伴奏に乗れていくから、それこそ大向うから声がかかってくるような名場面も現わすことができていく。
 まずはこの神様が情念の神様であることを分かり、その心情にふれるためには、向う私共も、頭脳ではない、テクニックでもない、心構えこそが大切である。心がまえとは、心が前ということ。理屈や理論を考えるよりも、心をこそ前面に出して素直に神様に向うところに、神様との交流が始まってくるのである。
 天地の親神様をあますことなく十全に現わせるような信心の名優を目指して行きたいものである。(昭五四・二・五)



◎絶対信の世界
 天が下に他人といふ事は無きものぞ《信心乃心得》

 新聞の三面記事を開くと、そこには今日も血なまぐさい事件や事故がいっぱいである。それを読む時、どういう気持で読み出すだろうか。人間の心の奥底には、他人の不幸を面白がる心理が動く時がある。何か変わったことはないかというひそかな期待感とでも言おうか。けれども、ひとたび自分の家族や縁の近い者に不幸があると、夜も眠られないように心配し、その無事を祈りたい気持ちにかられて来るものである。
 「世界はひとつ、人類は皆兄弟」とはよく耳にする言葉で、これは人類共通の願いでもあるが、せっかくのその言葉が響きのよさだけにとどまってはいないだろうか。
 そういう神様を心から親と気付かされた時、はじめて「神のもとに他人はなく、皆家族、親族であり、兄弟も同様」という確信が頂けてくるのである。
 天地の親神様には国境もない、人種もない、世界総人類が氏子である。そういう視点に立つ時、なるほど世界真の平和という人類最大テーマは、宗教の力以外ではなし得ないことが分かる。
 いつも家族を思いやるような心をもって、今日も無事平穏でありますようにとの平和への祈りをなすことは、信心する者として当然であり、それが他人にまで及ぶところに、新聞を見る時の心は自ずと神心にならざるを得ないだろう。
 しかし、その神心の内容もまた限りがない。
 昨夜、親先生の孫の恵城君が「今日、お父さんが血をいっぱい吐いたよ」と言って来た。それを聞かれた親先生がすぐに思われたことは「神様から悪いものを体の外へお取り払い頂いた。有り難い」だけであったと言われる。
 親先生は、どんなに悲惨と思えることでも、どんなに忌わしいと思えることでも、それこそが神愛のあらわれと頂き、私の上に起こってくる全ての出来事を神様の働きとして受けぬかれ、絶対信を深めてこられた。そういう親先生であるからこそ、たとえ我が子が血を吐くようなことでも、めぐりのお取払いを頂いて有り難いと御礼だけであられたのである。
 だから、親先生は、新聞の三面記事を見られる時も、不幸なことがないようにと、平和を祈ってやまれないと同時に、ひとたび悲惨な事件を知っても、「社会を清めんが為の神様の御働きとして御礼を申し上げるのです」と言われる。
 信心とは結局神様を信ずることであるけれども、その信じ方、度合いというものは、各人、各様である。五十信じたら五十、百信じたら百信じただけ「神は信ずる者を信ずる」という神様の特別のお働きを受けていくことができる。また、神様を信ずるとは、同時に神様の御働きを御働きと信ずること。絶対信とは、願った通りのおかげになると、信ずることではなく、一切神愛を確信することである。
 いよいよ神様への絶対信を自分のことのみならず、世界国家のことまで限りなく深めていかねばならない。
 合楽教会で信心の稽古をする者は、親先生のように、平和を祈らずにはおられない神心と同時に、悲惨な事件や事故を聞いても、地球を清めずにおかぬ神様の御神愛を受けていると御礼が言えるような神心を育てていかねばならない。そういう絶対信を持つ人が世界中に広がってこそ、幸せにせずにはおかない天地の御働きが十全にこの世に現われ、それだけ世界真の平和は近づくことになるであろう。

 「毎日の新聞に記載されている記事に心をかき回されないで、現在のこれ等の世界の動きを超えて、在る所の世界にとらわれず、あらしめんとする天地の力に託して天地の大道を闊歩したい。」(親先生手控覚集「信楽」より)
(昭五四・二・二六)



◎超常識超道徳
天地金乃神は昔からある神ぞ。途中から出来た神でなし。天地は流行る事なし流行る事なければ終りもなし。天地日月の心になる事肝要なり。信心はせぬてもおかげはやってある。《御理解第七節》

 生身の人間が人間らしく生きながら、限りなく、生神を目指していける教祖金光大神の極められた御信心は、これまでのあらゆる宗教の開祖宗祖が極めた真理をはるかに超えた超真理である。それ故に、時には非常識に見えるときもある程に、常識を超えた超常識の生き方や、不道徳に見える程の道徳を超えた超道徳の生き方を教え示しておられる。
 教祖様がまだお取次をされる以前のある日、神様は、教祖様に、「小坂の伯父が死んだから葬儀のしたくして親族をさそいゆけ」とお知らせ下さった。教祖様はさっそく、親類のものをつれて出かけられた。ところが、訪れた家から現われたのは、神様が死んだといわれたその当人であった。普通でいうなら、穴があったら入りたいような思いにかられる所。その時、神様は教祖様に、「もどしの風は十層倍と唱えながら帰れ」と仰せられた。すると、教祖様は素直にその通りにされながら帰られたという。
 神様が過去の誰にも打ち明けられなかった天地の真情を伝えたいばかりに、教祖様がどこまで神様の仰せなら非常識と思えるようなことでも信じていかれるかを、お試しになられたのであろう。それを神様がウソをいわれた、神様もあてにならんと常識的に受けたのでは、神様の御本心にもふれることができず、教祖様にはじめて神頼まれた「神も助かり氏子も立ちゆく」程の超真理の世界の顕現はありえなかったのである。
 この教祖金光大神の御信心をより深くより広く、日々、極めに極めていかれる親先生。
 そのためには、親先生は、誰からも愛されたいのは山々だが、人に笑われても神様に笑われてはならないと神様の仰せ通りに神情一筋を貫かねばならなかった。それ故、非常識にも不道徳にもみえたのであろう。
 「合楽の大坪は人非人」とまで非難された時代もあられた。その時でも神様は、「そうだおまえは人非人だ。ただし、おまえは、人間から神へ変わっていっている人非人だ」と励まして下さり、おかげで超常識、超道徳の生き方を貫いて来られた。
 そこに、流行ることもなければ終りもない、天地と共に限りなく繁栄していける超のつくおかげが受けられることになってきたのである。
(昭五四・三・二二)



◎難儀の構造
天地金乃神と申す事は天地の間に氏子居っておかげを知らず。神仏の宮寺氏子の家宅皆神の地所其理知らず方角日柄ばかり見て無禮致し前々の巡り合せで難を受け居る。今般生神金光大神を差向け願ふ氏子におかげを授け理解申して聞かせ末々迄繁盛致す事氏子ありての神神ありての氏子上下立つやうに致す《御理解第三節》

 御理解第三節は、教祖金光大神が明治六年十月十日、天地金乃神様よりお知らせを受けられた神様直々の神伝であり、教典の中でも最も重要な御理解とされている。
 いうまでもなく教祖の教えのすべては、人間が真実おかげを受けて助かっていく為に、神様が下さったのである。だからその教えの一カ条一カ条、一節一節がおかげを受ける為の頂き方でなければならない。それを従来から、とりわけこの第三節を人の助かりとは縁遠い学究的、哲学的に解釈して煩雑にしてきたきらいがあった。どんなに様々な角度から理路整然と説かれてもそれが助かりにつながらないなら役には立たない。かえって教祖様にも相済まぬことである。
 天地の間に住む人間に、神様は、いつも様々な物を与え、事柄を通して働きかけて下さっているのに、人間氏子は少しもそれを神様のお働き、おかげとわかっていないと言われているのである。元来、海川山野、人間の持つ財産から枯れ葉一枚にいたるまで、一切の物が神様の御物であり、又、この天地の間に起こってくる事柄は、一切神様の神愛のあらわれである。
 それを、自分の物でもないのに自分の物と思ったり、困った事が起こってくると、何か悪い祟りさわりがあるのだろうと日柄方角を見たり、人間の知恵、常識で良し悪しを判断して、少しも神様の下さったお働きとして頂こうとしなかった。例えていうならば、晴れれば吉い日、雨が降れば凶い日といったような事で、神様からみれば有難い日ばかり、お恵みの日ばかりなのに、自分の都合に合せて不平不足ばかり言っている。そういう天地の働きに対する思い違い、考え違い、見当違いが御無礼となり、それが積り積ってめぐりを形成しているということである。
 そこで、今般、金光大神を差し向け、そこの道理を言い聞かせ、理解させて、神も助かり氏子も立ち行くようなおかげの世界の顕現に、天地の神様がのり出されたのである。
 ここがわかると、以後はめぐりをつくらずにすむということになり、神様が「未々まで繁昌いたし、氏子あっての神、神ありての氏子、上下立つように致す」と言われるように、人間氏子が真実おかげを頂いていく道が、いよいよ開けていくことになるのである。
(昭五四・四・三)



◎想念の世界
 一、やれ痛やといふ心で難有。今霊験をといふ心になれよ《信心乃心得》

 眼には見えない想念の世界。怨みの念、憎しみの念、あるいは有り難いという念。生活の中にはそういう様々の念が飛び交っているものである。
 例えば、商売がたきから怨まれたり、人間関係のもつれから憎しみの念を強く受けて、それがもとで病気をしたり、物事に行き詰りが生じたりすることが実際にある。
 けれども有難いという念こそ、自他共に助かる想念である。
 神様は「嫁姑の仲悪きは、天地に響く」という喩えをもって教えておられる。怨みつらみの念は相手に行くだけではなく、神様へも響いていく。そして、そのあげくに、「人を呪わば穴二つ」ということになって、自他共に助からぬことになってくる。
 だから、とりわけ信心させて頂く者は、人を怨むことはもってのほかだが、信心して心に力を頂いてくると、そういう念でもはねかえせるようになり、今度は、その相手の方が不幸に陥ることがある。それは、信心さして頂くと、一般に「念」というものが強くなるからであろうか。しかし、これでは、自分は助かっても相手が助からないことになる。
 金光教で説かれる和賀心。それはどういう悪念邪念といえども、さながら霜に煮え湯をかけるが如く消えて浄化され、自分はもちろん、相手も不幸にすることなく両方が助かる有難い念に変えることができるものである。
 ブラジル国ビリグイ教会の末永先生は、渡伯当初、「マックンバ」という現地の秘密宗教によって呪いをかけられた人のお届けを受けたことがある。それは、人を呪詛することを専門にする宗教らしく、呪いを受けたその人は本当にある日突然、食物が食べられなくなって、体が日に日に衰弱し始めたという。話を聞いた末永先生は、そのすさまじい呪いに身震いするような戦慄を覚えたが、そのことを御祈念していると、「その呪いとても天地の中のこと、一切神愛!」と悟られたら途端に有難くなられ、ただ、神様にお礼を申し上げられただけという。するとその人は食物がのどを通るようになって元どおり元気になられたということである。
 このように、やれ痛やという時に、"今、神愛真只中"と受ける和賀心の前には、どんな悪念邪念とても有難い念に変えられ、一切が浄化されおかげとなって自他共に助かる有り難しの世界が開けるのである。(昭五四・五・一〇)



◎滅法界
 一、忌穢は我心で犯す事も有り払う事もあり《信心乃心得》

 金光教の信心をしていくと、こんなことをしてはならないというような、心に手かせ足かせをしていたものが次第にうすれて、生身の人間が、自由無碍に助かっていく広大無辺の世界が頂けるようになってくる。
 古来、思想家であれ、宗教家であれ、多くの人々が、人間の持つ欲の本質を問題にしつつも解決できないできた。たとえば、教内のある著名な先生も晩年まで性欲のことを問題にし続けられたという。
 ところが親先生は、そこを神様から「御」の字を付けて「御性欲」と頂けば、それは汚らわしいことでもなんでもなく、かえって有難いものであるとお知らせを頂かれた。
 ここが金光教の独壇場。
 この天地の中には忌穢もなければ不浄もない。有難いという心で頂けば、こうせねばならぬとか、こうしてはならぬとかいう法は一切ない。自由自在の有難い世界が開けてくるのである。しかしそれは初めからいっぺんに出来ることではない。やはりこんなお粗末なこと、御無礼なこととひっかかる思いが先に立つなら、まだそれは神様に許されていないのである。
 教祖様も、はじめから自由自在の世界にすんでおられたわけではない。はじめの頃は日柄方位や忌穢の迷信に惑わされ、七幕築くというような難儀な目にもあわれた。やがて四十二才の大患を機に、それまでさわりの神様と恐れられた金神様は、自ら教祖様に親しみ近づかれるようになられ、神様の御教えによって心が開かれるに伴い、いつの間にか今までのように忌穢や不浄を感じることのない世界に入っていかれたのである。
 それでも立教当初の教祖様は、まだ日柄方位や霊の崇りさわり、八百万の神々のことを説かれていたという。しかし教祖様のたぐい稀な御信心は、やがて一切の事柄・出来事は天地金乃神様のお心のままにあらわれていることを感得され、ここにその天地の神様を頂いていくかぎり、忌穢もなければ不浄も霊の崇りさわりもない、どんな事柄でも自由自在に許されてできる世界をお開きになられたのである。
 例えば、丁度、子供はタバコやお酒を許されないが、身も心も成長して大人になったら自由に許されるように、御教えによって心が成長し、こだわりがなくなり、むしろそれは神様が下さった有難いおかげと、今迄お粗末、御無礼と思っていたことを有難い方にコントロール出来るようになったなら、神様は喜んで飲ませもし食べさせもして下さる。
 ここに、どんな事柄でも自由自在に許されてできる、金光教でいう滅法界に住むことが出来るのである。(昭五四・五・二三)



◎求道の前に光を
信心せよ。信心とはわが心が神に向ふのを信心と云ふのじゃ。神徳の中に居っても氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油一杯あってもシンがなければ火が點らず。火が點らねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり《御理解第二十一節》

 親先生が本部参拝された時、金光教学院に行かれたことがある。講堂二階広前に上がられると「求道」と見事な筆跡で書かれた額ぶちがかかっているのが眼に止まった。そしてその額の前に立たれて「そもそも求道とはどういうことだろう」と思われたら、神様からお声で「求道といっても、まずは光を持たねば道は分からぬ」とお言葉があった。
 成程、道を求める、又、人を導く、といっても、まずは自分が光を頂かねば歩む道も分からないし、ついて来る人もいないだろう。
 「ついて来なされこの提灯にけっして苦労はさせはせぬ」
 椛日時代によく御理解となったこの唄は、その頃の親先生の確信をほうふつとさせる。
 その頃より、三十年近く経った今日、親先生の信心の光は、金光教が世界に広がる為の大道を照らし出すほどのものとなり、求道の道程を誰もがみやすく行じられるように合楽理念としてまとめられることになったのである。
 それでは、そういう信心の光とは何であろうか。

 親先生はかって「晃−日と光の旋律」というお知らせを神様から頂かれたことがある。日とは神様。光とは信心して頂く心の光のことをいう。
「わが心が神に向かうのを信心と言うのじゃ」とあるように、神様に心が向かう時、心に光が灯り、神様と人間氏子の間に、織り成すような旋律が聞こえ始めると言われるのである。合楽教会でいう「天地のリズム」が正にこのことである。

 たとえば、この頃より、少年少女会のリーダーとしても熱心に信心活動が出来ているある女子大生が中学校へ教育実習へ行くことになった。ところが、生徒が言うことを聞かないばかりか、意地悪までする。それで、ついに実習半ばで学校へ行くことが嫌になり、その事を親先生に御取次を頂いた。すると親先生は、「神様の御用と思っておかげを頂きない」とお諭し下さった。それで、意を決して学校へ向かってみたが、心はなんとなく暗くなるばかり。学校へ着いて、憂うつな気持で乗って来たタクシーを降り、何気なく車のナンバーを見ると「4154」とある。思わず、はっとして「これは、親先生の言われた通り良い御用だ」と思ったらそこに神様が見守って下さっている実感を覚えて、途端に心が明るくなり、有難いという感動までわいて来た。そして、そういう心で学校へ入ると、不思議にも生徒がうって変って良くいうことをきいてくれ、先生方からも大変親切にされて、有難く実習がっとまるおかげになったという。
 天地のリズムに乗るということはこのように、日常生活の中に、神様が間違いなくお働き下さる実感を頂いていくことである。
 なるほど、これなら道を前にして迷うことも、手探りすることもない。まずは、わが心が神に向うこと。即ち、成行きそのものの中に、神様のささやくように、あるいは大音声のように教えて下さる声が満ちていることを、心の耳で聞きわけていくところに、自ずと天地のリズムに乗れて来て、有難く楽しく愉快なまでの心に光を感じる信心になってくる。この道を行きさえすれば絶対間違いないという、確信も生まれて来る。そういう助かりの光をもって道を求めるなら迷うことも手探りすることもない。このような信心をさせて頂くところに自ずと伴ってくるおかげの実証をもって、人に伝えていくなら、生き道を見失った、さながら闇の中に難儀であえいでいる人々も、助かりを求めて、ついて来ずにはおられないだろう。
 闇の夜に等しい現代社会の中に救いの光を投げかけることが出来るのは、信心の光をもってする他はない。(昭五四・六・一)


◎破天荒のおかげ
 此方金光大神あって天地金乃神のおかげを受けられるやうになった。此方金光大神あって神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。金光大神の言ふ事に背かぬやうよく守って信心せよ。まさかの折には天地金乃神と云ふに及ばぬ。金光大神助けて呉れと云ヘばおかげを授けてやる《御理解第四節》

 日本で屈指の宗教学者三名を招き、「これからの宗教はどうあるべきか」というテーマで、ある集会の模様がテレビ報道された。それぞれの研究分野から、今後の宗教のあるべき姿を模索する研究発表がなされたが、結局は「こうあるべきだ」という絶対の決め手はないということであり、ただ、今の宗教界から奇跡を唱えるマジック的宗教を取り除かねば本当の宗教は生まれないという主旨の話であった。
 これをみても、現今の宗教学者間に、ひいては宗教界にもあらたかなおかげを軽視し、不思議な霊験の頂ける宗教は宗教ではないかのように決めつける傾向があることがわかる。
 これまで、心一つで天地と和合し、あらたかなおかげが限りなく頂ける理念が皆無であった。そのため不思議なおかげはマジックとしか思えず、しかもそれが祈念祈祷という特殊手段に趣向をこらしてなされてきたため、これまで、あらたかなおかげを、軽視しがちであったことも仕方ないことではある。だが、人が助かるために宗教があるとするなら、マジックと思える程のあらたかなおかげを現わさずして、果して宗教の存在価値があるであろうか。
 まずは、さわればそこに暖かみを感じ、つつけば血がとび出るような生々しい神様の働きを頂けてこそ、生きた宗教と言えるのではなかろうか。
 「此方金光大神あって天地金乃神のおかげを受けられるようになった」といわれるおかげは、信じられないようなマジック的、鮮やかなおかげをも指す。宗教学者からは、「そんなバカな」というて一蹴されるであろうが、「死んでも命があるような、使うてへらぬ金百両」というウソのようなおかげが受けられるのが、金光大神の信心の世界である。しかも、それにはタネもしかけもないのではない。そこにはちゃんとおかげが伴う理がある。
 教祖金光大神様は、人間の常識を超えた破天荒のおかげが受けられる天地の道理、天地のことわけを、こと細かに説かれ、それを話にして残された。天地金乃神様のおかげを限りなく受けられた教祖は、天地と交流し、その交流の妙なる歓喜の中から生みなされる、尽きぬおかげが受けられ、あの世にももっていけ、子孫にも残しておけるお徳の頂ける道を、教え示されたのである。金光大神を魔術師にしてはならない。生きた神様の働きと、生きた教えが躍動する金光教の中にこそ、今後の宗教のあるべき絶対の道がはっきりと示されているのである。(昭五四・六・一九)



◎天の理
氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向うへ降りたらそれで安心ぢゃ。緩めると直に後へもどるぞ。《御理解第八十一節》

 今朝方、親先生は、神様から「天の理」とお知らせを頂かれた。
 「天の理」といえば、天理教のことがすぐに思いうかぶ。天理教の人達は、ひのきしんといって労働奉仕やお供えを大変よくされる。これをみて、天理教は「屋敷を払うて田売りたまえ」の宗教だと、かげ口を言う人もあるが、実際には、そういういさぎよくお供えする心や、あるいは無条件の奉仕の心には、事実、おかげを頂ける道理があるのである。
 なぜなら、こういう行為には、いわゆる天の埋、つまり、金光大神の説かれた「天地日月の心になること肝要なり」という中の、天の心である与えてやまない麗しい心、又、いさぎよい心が発揮されるからである。そこになる程、天理教がそのことだけでも、一教団を成し得ていることがうなずける。
 天の心を説く信心だけでもそれ程のことなのだから、ましてや、合楽理念に説かれる如く、地の心を十分踏まえた上で天の心が行じられるなら、もうこれ程、危なげのない完璧に神様と交流する信心はない。
 今まで、天理教に代表されるように、天の心(愛・慈悲・奉仕等)だけを説いてきた宗教は数多くあった。しかし、それと共に、地の心を教えるのは、宗教の歴史が始まって以来、金光教がはじめてである。地の信心を行じ、豊かに大きく肥えた心をもって、与えて与えてやまぬ無条件の美しいいさぎよい天の心を使っていくのだから、まさに鬼に金棒。中には、生まれつき心が美しく、はじめから天の心の使える人もいるが、これは一歩誤ると、自分自身はいわゆる「清貧に甘んじる」という不自然なことにもなりかねない。
 まずは、地の心でおこってくる事柄を受けぬく稽古に専念し、しだいに心豊かに大きくなって、山でいうなら八合目まで登りつめ、そこから、地の心とともに自ずと天の心が使えるようになる頃には、いよいよ、神様との交流が密なるものになってくるのであろ。
 いわば、盤石の大地に根ざした、心をもっての天の信心。これこそが尽きぬおかげが広がりに広がっていく第一歩を力強く踏める誰もが出来る信心ではなかろうか。(昭五四・六・二五)



◎天の配剤
 此方の道は傘一本で開く事が出来る。《御理解第八十九節》

 傘とは信心による安心を頂くこと。
 傘一本あれば雨が降ってもぬれないですむし、暑い日ざしの中でも日よけになるように、どういう天気でも不安、心配がない。同様に、信心による安心という傘一本を頂けば、人生における雨風とも言える難儀なことがおこってきても、少しも不安、心配がおこらない。
 これは、何か問題が起って来た時、親先生にお取次を頂いたから、もう安心、又、お話を頂いたら不安がなくなったということとは違う。確かに親先生という、絶対の権威あるお取次を頂くことによって、問題は解消し安心が頂けたように思う。だがそれは、その場かぎりの傘一本を借りたようなもので、安心というよりは安全感という程度であろう。こういう借りものの安全感から、どのような場合でもくずれない絶対の安心を頂きたいものである。
 それでは、親先生はどのようにして、この安心の傘一本を頂く信心をすすめられたのであろうか。親先生の御修行時代の一ページを「和賀心時代を創る」から抜粋してみよう。
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 私はその頃、福岡で、家内子供を、余りに難儀が続きますから、椛目の方へ帰しました。それで、私一人であちらへ残って修行させてもらった。勿論、御神意のままの修行でございました。秋の御大祭、ちょうど御大祭前に、二、三日前から御用に参ります。
 それで、今日はその日に当りますから帰らなければならん、家内から葉書がきておった。
 こちらでこうやって家族中、親子三人がたとえ親の家であっても、食糧も不自由な時ですから、そちらで配給がとられるなら、少しでも持って帰ってくれ、ということであった。
 それで無理算段を致しまして、当時は黒いようなメリケン粉ですよね、そのメリケン粉一俵買わせて頂いて、それを持って善導寺に向かって帰って参りました。ちょうど西鉄の昔の改札口のところにずーっと並んで待っておりました。私は足もとにメリケン粉の袋を置いてしみじみ感じた。
 今度の大祭には、おかげ頂いて祭典費の方はおかげ頂いたけど、この大祭に、それこそ年に一回しかないという大祭に、お供えもできん事は本当に淋しい事だなあと思った。思うたら、とたんにですね、足もとにあるメリケン粉を、神様は指をさすように示しなさるものですから、私は「はっ」と思うてね、お供えはここにあったたいと思うたです。これは家内、子供が食べるために持って帰りよるところですから、これをお供えとか全然気づかなかった。けれども、「ここにあるじゃないか」と神様はいわんばかりに示しなさるから、あ、今度の御大祭には、これをもってお供えさせて頂こうと腹が決まった。
 そしたら、有り難うなってから、それこそ目を閉じておるとおかしいぐらい涙がこぼれる。そういう中にね、御心眼を下さった。丁度鶏ですね、雌鶏が首を羽根のところへこう突っ込んで、いわゆる思案投げ首といったような感じ。二、三羽の雛がばたばたと餌がつれして倒れて行くところを頂いた。そして私の心の中に、家では家内がメリケン粉を首を長くして待っとるぞと。子供達は、そうなったらばたばたと倒れてもよいかという感じであった。
 私はそれに答えた。「神様、日頃御教えを頂いておりますと、私どもの生命は神様が預かっておって下さるのであり、神様のおかげを頂かねば立ち行かんのであり、この大祭というのは私にとって年に一度の大祭でありますから、この大祭にお供えも出来んと思うておるところにお気付けを頂いて、あゝここにあったと分かった以上、それはお供えさせて頂かなければおられません。どうぞ、家内の事は、子供の事はどうぞ宜しくお願いします」という事を。そこでとっさに御祈念させて頂きました。
 そしたらすぐ、ずうっと私の目の前にね、海のような大きな湖にですね、小さい水鳥が五、六羽こう泳いで餌を探しておるけれども餌がないような状態で、向こうへずうっとばらばらで泳いで行くところを頂いた。そのずっと後から、その十倍もあろうかと思われる水鳥がね、口に何やらをくわえて、矢を射るような勢いでね、その小さい水鳥の後を追うて行くところを頂いた。
 本当に神様はね、こういうおかげを下さる。
 大祭を終えて、後片付けも終わってから、福岡に帰らして頂きましたら、家の前に自転車がメリケン粉一俵積んで立っとる。そしたら、私が闇商売さして頂いとった時分に中国人との商売があって、私が闇で引っ掛かった時にその人の分まで引っ被って、いろいろまあ、私が犠牲になっておったんですね。それを、半年ぶりぐらいでしょうかね、その人が御礼にと云うて、あの当時、あの人達第三国人の頂くメリケン粉というのは、進駐軍のとですから、真白いメリケン粉でしょう。そのメリケン粉を一俵御礼に持って来ておるところでした。
 成程、私が御心眼に頂いた、大きな水鳥が後を矢を射るような勢いで追うて行ったのは、この事じゃなかろうかと思わして頂くような事がありました。
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 親先生は、このようにあらゆる場合も、我が身我が事は後回しにして、一にも神様、二にも神様、三にも、というように神様に接近していかれた。そこから確かな神様の御働きを頂かれて、神様への絶対信をいよいよ育てられ、必要なものはどれだけでも神様のおまかない下さるという、無限の天の配剤を確信されるようになってこられたのである。こういう信心の積み重ねから、偉大な安心の傘一本が頂けるのではなかろうか。(昭和五十四・七・五)


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