◎土の心
「子供の中に屑の子があればそれが可愛いのが親の心ぢゃ。無信心者ほど神は可愛い。信心しておかげを受けて呉れよ《教祖御理解第八節》」

 土より出でて土に還る人間。だから、その道中とても、土の心で大地を踏みしめて歩む信心をしたい。
 教祖金光大神様は、明治の変革期に当たって「いまの世は、知慧の世。人間が、さかしいばかりで、身の徳をうしのうておる。世のなかに、一番きたなきは欲、算盤をはなせ。われが利口な、というて、細工をしてはならぬ。発明ぶることをすな。利口・発明・智慧・分別をだすな。世の世話をされ。世の世話をさって、身を神にまかせ」と人間の身勝手な生き方になってゆく社会に警鐘を鳴らされた。
 信心する者も同様に、限りある人間の知恵で神様を推しはかり、観念で信心をしようとするなら、やはり同じような危うい思いを神様が持たれるのではなかろうか。そういう者を無信心者といわれるのである。それは丁度、大地から足を離して高上りをするようなものである。教祖金光大神様は、どこまでも大地に根ざす信心を説かれた。それは、一切合切を根肥やしにしてしまう土のような心を自らの心とする信心である。そこに、日常の生活の中に神の声、神の姿をそこここに感じ、神様の働きをあますことなく受けていくことができるのである。土の信心こそ、天地の道理を教え示す金光教の信心姿勢の根本である。(昭五三・七・二)


◎氏子が一心不乱なら神様も一心不乱
「神を拝む者は拍手して神前に向うてからは假え槍先で突かれても後へ振向く事はならぬぞ。物音や物声を聞くやうでは神に一心は届かぬ。《教祖御理解第九十七節》」

 どんなに厳しい修行の中にあっても、人に術ない(切ない)思いをさせない修行。それは、神に向ったらわき目もふらない生き方の中から生まれてくる。
 椛目時代、一切を黙って受け抜こうと決意された親先生の一心は、貧乏のどん底にあっても貧乏を感じさせられなかった。伝染の危険度の高い病人を預かっていても、うつる恐れを感じさせられなかった。夏ともなると流れる汗に背中にハエがむらがり、それでも、汚い思いはさせられなかった。信者さんたちは、御理解の頂ける楽しみ、信心の稽古の有り難さで、心が一杯になり、その身を正装してのお参りは門前市をなす程であった。
 親先生の有り難い一念は、一切の不快さ、不潔さ、苦しさを浄化するほど燃えたぎり、助かる為の一心不乱のお話は、理屈も疑問も感じさせられなかった。
 氏子が一心不乱なら、そこに神様も一心不乱の御教導を下さる。
 神と氏子のその一心が交流し合う歓喜の世界。そして、そこから生まれたのが今日の合楽理念である。(昭五三・七・一八)


◎神様が栄養失調になっておられませんか
「可愛いと思ふこころが神心ぢゃ。《教祖御理解第七十四節》」

 お宅の神様は栄養失調になっておられませんか。あなたの心も水枯れしてはいませんか。
 生き生きとしたおかげがお宅に現われていないなら、お宅の神様は栄養失調も同然、と思わなければなりません。お嫁さんを、お姑さんを、また身近な他人を実感を持って祈れないなら、あなたの心は水枯れしているのだと気付かねばなりません。
 親先生は、「無条件の*大祓信行は神様に御神飯を奉るようなもの、無条件の真心の奉仕が神様への最高の栄養になるのだから大祓信行は、一日も欠かすことなく貫くことがいる」と言われます。
 貫くうちには、宅の神様が生き生きとしてこられます。自分の心も、みずみずしく躍動するようになってきて、ついには、私に悪意をもって迫ってくる人すらが可愛うてならぬようになってきます。
 その可愛いと思う心が神心です。可愛いと言っても、孫だけは眼の中に入れても痛くないとよくいう、その可愛いとは違います。神心に通じる可愛いとは、赤の他人、自分の悪口をいう様な人でも「可愛いものじゃ」という心をもって祈れる心をいうのです。
 お道の信心は、究極は神心にならせて頂く稽古ですから、為には、成程と思ったら、素直に行じていく以外にありません。
*大祓信行・・願い事をかなえるためでなく、無条件の心で、神様に御祈念詞を奉唱する行。
(昭五三・七・二三)


◎幸福製造機
「一、何を食ふにも飲むにも難有頂く心を忘れなよ
 一、体の丈夫を願へ
 一体を作れ。何事も体が元なり《神訓・信心乃心得》」

 もしあなたが欲しているすべてのもの(健康、財産、愛、etc)が思い通りに、否、思い以上に必要に応じて頂くことができるなら、何とすばらしいことだろうか、とあなたは思うでしょう。
 「笑う門には福きたる」とよく言われます。これはあながち嘘ではありません。天地の法則として、心の喜びには福を受けとめられる原理が実はあるのです。だからあなたの幸福は、あなたの心ひとつで製造されるといってもよいのです。そこのところを一農民であられた教祖金光大神様は、「地(心)が肥えておればひとりでにものが出来るようなものぢゃ」と農業の体験をもって言いあらわされ、そこを親先生は、教祖の教えを実験実証されたところから「心ひとつですべてを創る」とまで断言されるのです。ですから、私共は幸福の、いわば製造機をすでに持っているのであり、後はその使い方を習っていくだけなのです。
 これは、今の日本の教育制度ではどこも教えてはくれません。心の研究に研究をかさねてきた宗教による他はありません。
 とはいっても、最近は宗教に限らず、心のことを問題にしないものはありませんが、大半が精神修養的なものであったり、形にあらわれてのおかげを授けきれない宗教の、逃避場所として心を取り扱うものがほとんどです。またそうでないとしても、現実的幸福のあらゆる条件の伴う心の手立ては解明してはくれないのです。
 それではお道の信心ではどういう手立てを説くのでしょうか。前にあげてある三つの教えからそのヒントを伺うことができます。つまり幸福を製造するような心をつくりたいなら、「何事も心が元なり、心をつくれ、為には心の丈夫を願え、願うからには起きてくる事柄は丁度、あなたのテーブルの前に並んだ食物のようなものだから、あれが嫌いこれはいやというのではなく、すべて有り難く頂けよ」という頂き方をしていくことです。
 これは心づくりの信心の根本原理です。豊かな物に恵まれたいなら、豊かな心になることですし、大きなおかげを頂きたいなら、大きな心にならねばなりません。好き嫌いを言えば栄養がかたよります。
 ちょっとしたことに腹が立ったり心配になったりするなら好き嫌いを言っているようなものですし、心がまだ小さい証拠です。あなたの身の上に起きてくる一切のことを、有り難く頂き栄養にして心の丈夫を願わねばなりません。そこから、神様が下さろうとされる幸福を充分に受けとめることになります。
 神様は親ですから、人間が幸福になることばかりを考えて働いて下さっています。毎日の生活の中に起きてくる様々なできごとは、神様が心の栄養のバランスを考えて働かれ、調理して下さったものなのです。都合のよいことばかりではありません。辛いものも苦いものもありますから、これこそ心づくりの栄養食品と有難く頂くところには、神様の有難い親心も分かってきて心も段々豊かに大きくなってきます。
 今日、お話の途中で親先生は「くノ一(女)」と安心の「安」を神様からおしらせを頂かれました。
 くノーとは女忍者のことで、変幻自在の術の使い手です。つまり苦の一、修行の第一は、先に言ったような様々な事柄を、それこそ心の栄養として変幻自在に有難く頂いていくことなのです。それが幸福製造機の動かし方であり、そこには自ずと心も肥えて来て、あなたの望む、いや夢にも思わなかった健康が、財が、愛、etcが得られて来、ついにはどんな時にも安心という大きなおかげが受けられるのです。

【注】この幸福製造機は、使い方によって不幸製造機ともなりますので御注意下さい。
   一、きついきついと言うところには死神がよってくる。
   二、不平不足に貧乏神がやって来る。
   三、愚痴る心は運命を悪くする。(昭五三・八・一二)


◎一切が神愛
桜の花の信心より梅の花の信心をせよ。桜の花は早う散る。梅の花は苦労して居るから永う散らぬ《御理解第二十九節》

 この世に生を受けた人間が生きていく上に難儀はつきものという。しかし人間である以上、その難儀から逃れて幸福になることを願わぬ者はない。
 古来、宗教というものは、人間がその難儀から解脱し、永遠の幸福を得ることを願って、生まれて来たはずである。しかし実際はどうであろうか。
 キリスト教無教会主義の提唱者内村鑑三氏は、晩年のある日、「もし私がキリスト教者でなかったらもっと人間らしい生活ができておったものに」と述懐されたという。
 鎌倉時代の当時、仏教界に一大旋風をまき起こした浄土真宗の開祖、親鸞聖人も又、晩年には、最愛の長男、善鸞に裏切られ、その日の衣食にもこと欠いたという。
 キリスト教に一生を捧げてのこの後悔、仏教に一生を捧げてのこの末路である。晩年のむなしさが想像されると同時に、これでは、過去に書かれた幾多の書物も、あまたの教えも、一切が反古になってしまうのではなかろうか。
 過去のあらゆる宗教は、結局は、難儀を原罪、因縁から来たものとし、現世では逃れられないものとして来た。
 ここに、金光大神の御出現によって、「難はみかげ」「難あってよろこべ」と難儀にこめられた天地の親神様の切実な思いをときあかした道が生まれた。その道を、さらに親先生は、「この世に難儀はない。あるのは神愛のみ」と喝破され表現されたのである。
 どんな苛酷な中にも、天地の働きには幾億年かかっても助けずにはおかん働きだけしかないことを信じて、起こってくる一切を神愛のあらわれ、神願のあらわれと受けぬいてこそ、はじめて、大地の親神様への絶対信も育てられてくるのである。それゆえ、貧争病という難儀から解放され、真善美輝く天地無尽蔵のおかげの世界にも住むことが可能となってくるのである。
 生身の人間が人間らしく助かっていけ、一切が神愛と説く合楽理念。
 世界の諸宗教者が、素直に教祖金光大神の教えに耳を傾けるなら、人類の歴史の流れは大きく変わり、全人類の幸福・世界真の平和の大道も大きく開けてくるであろう。
 華々しく咲いてすぐ散る桜の花より、厳寒に身をさらし辛抱に辛抱を重ねて開花する梅の花のように辛抱して時節を待つことを尊しとする金光教が、今こそ人々の願いに応え、世に出ることが求められるときはない。合楽理念は、そのことへの一途な願いから生まれたのである。
 「古い昔の神あらわれて、未法の此の世を立て直し、一度に開ける梅の花」
(昭五三・八・二三)


◎この世には魂を清めに来たのだから
生きて居る間は修行中ぢゃ。丁度学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むやうなものであらうぞい《御理解第三十七節》

「人の世に生れ五十年或は八十年
営々として衣食の為にのみ働き
何一つ取り上げることの出来ぬようなことでこの世をすぎてゆくのだと言ふことを感じた時
夢の如く幻の如くこの一生をすごしてきたのだと思ふとき
いよいよさみしい悲しい思ひにおそわれることだろう
神のねがいを明らかにし永遠のねがいに生き目覚めよ
今天地の開ける音を聞いて眼をさませ
このことひとつを明らかにするために此の世に生をうけたのだといふことがはっきりすると
飛び立つばかりの喜びがわいてくるのです」(親先生覚書より)

 この世には楽をしに来たのでも仕事をしにきたのでもない。
 「この世には魂を清めに来たのである」。この人間にとっての大目的が翻然とわからされる時、目先目先の我情我欲に終始してはおられない。
 教祖様はそこを「生きて居る間は修行中ぢゃ」と卸せられた。この世で魂を清める為の一生が修行であるから、その修行もいよいよ完璧なものを目指していかねばならない。
 さらに「学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞい」と仰せられる。それは学者が勉強すればする程、学徳が身について来て、楽しく愉快に勉強せずにはおれなくなるように、魂を清めることに精進すると、修行が楽しく愉快なものになってくるのである。その喜びの心、有り難い心に、この世での幸福の条件の全てが足ろうてくる。そういう一生こそあの世にいって生前をふりかえり、「ようもようも現世で魂を清める手立てを習っていてよかった。清めてきてよかった」と安心の霊、喜びの霊としてのおかげも頂けるのである。

 まずは、神の願いを明らかにし、永遠の願いに生き目覚めよ。
 今天地の開ける音を聞いて眼をさませ。

 そこからの私共の一生は神の願いを願いとし、神の心を心として人間本来の使命である神様の願いを示現していくことになる。そういう一生こそお道の信奉者としての一生が修行の内容でなければならない。(昭五三・十・二四)


◎末は大関か横綱か
神参をするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行ぢゃ。如何に有難さうに心経や大祓を上げても心に真がなければ神に虚言を云ふも同然ぢゃ。拍手も無理に大きな音をさせるには及ばぬ。小さい音でも神には聞える。拝むにも大声をしたり節をつけたりせぬでも人にものを言ふ通りに拝め《御理解第六十八節》

 昭和二十三年、日本が敗戦の痛手からいまだ立ち直れずにいた混乱の頃、終戦によって北京から着のみ着のままで引きあげてこられた親先生は、その日の食事に事欠くような生活の中にあっても熱烈たる真の信心に燃えられ、さらに一家の再興を願って博多の町に出られた。この頃より神様に向う心はいよいよ白熱化し、やがて神様より御神意を感得できるようになられた親先生は、その御指図のままに、今日は東に明日は西にと、行商をして回られる。着るものとて一年を通して夏服一着、破れカバンに破れ靴といういでたちで、一日足を棒にして商いをされる親先生。しかしその神様の仰せのままの商売はひとつも思わしくいかない。けれども親先生は少しの不平ももたれるどころか、帰って御神前に出、「今日も、けっこうな修行をさせて頂いて有難うございます」とお礼を申しあげると、どこからともなくたぎるような喜びと感動に涙が流れたと言われる。
 そういう過酷なまでの御修行時代のある日、親先生はうだるような暑さの中に汗みずくになって、あい変らず売れない品物を持って帰って来られて家に入りかけると、親奥様の日頃にない強い声を耳にされた。子供たちを叱っている声である。「あれ程、五円のキャンディーを買って来るようにと言ったのに!」。入って訳を聞けば、今日しきりに、子供にアイスキャンディーをせがまれ、仕方なく「これで五円のキャンディーを買い、おつりは必ず持ってくるのですよ」となけなしの十円を渡したところ、五円のキャンディーを買わずに十円のキャンディーを買って来たということであった。「三人の子供達には、五円のキャンディーを三つにわけるより、できたら十円のキャンディーを一人一人に買ってもやりたかろう。それを叱らねばならない家内の心中を思う時、何と切ないことであろうか」と、その思いで神様の前に座られた。
 しかし額づかれた途端、心中によぎったものは、「このように家内子供も一緒に修行してくれているのだ」という思いであった。
 そう思えば思う程有難く、ただ有難涙にくれて、お礼申し上げるだけであった、という。
 「四百四病のやまいより貧より辛いものはない」
 神様はただ、今日は売れもせぬ行商に行け、明日は借金の断りに行け、と、これでもかこれでもかと試される。何が辛いといって借金の断り程辛いものはない。
 今日もまた同じ借金の断りに行くことを命じられ、鬱々とした心で電車を待っておられた。すると、たまたまそこにある知人が居合わせ、相撲稽古の見物をして来ての帰りだと言って、その稽古の様子を話される。それこそ、へとへとになって逃げる弟子をつかまえては投げ、ひきずっては土俵に立たせるという話であった。それを聞かれた親先生の心の中に、翻然としてひらめくものがあった。
 「末は大関か横綱か、との神様の御期待があるからこその、この修行だ!」との悟りであった。うって変わって意気揚々とした心で借金の断わりに行かれる親先生。それを待っていたのは、「大坪さん、もう遠い所を来んでもよかばい。お金はあなたのできた時でよいから」との思いもかけない返事であった。
 「その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ」と教祖は教えられる。
苦労と受けずに修行と受けられるそのつどに、翻然と心をひらき、有り難しの真情を神様に通わす時には、修行が終るだけではなく、今まで不自由していたものに不自由せずにすむお徳が受けられる。しかもそこから広がりに広がる繁昌のおかげが受けられることを実証しての親先生の今日である。
 辛いことは辛い、苦しいことは苦しい、けれどもそこを歯をくいしばっての辛抱ではなく、今こそ神様の、先を見越してのおきたえを頂いている時と、神愛、神願有難しで受け、ただ苦労を通り抜けるというのではなく、それをさかいに、二度と不自由をせずにすむという身に徳を受ける修行でありたい。(昭五三・十一・二四)


◎和賀心学
無学で人が助けられぬと言ふ事はない。学問はあっても真が無ければ人は助からぬ。学問が身を食ふといふ事がある。学問があっても難儀をして居る者がある。此方は無学でも皆おかげを受けて居る《御理解第九十九節》

 急速度の学問の向上がもたらした目をみはる程の科学技術の進歩。人間が人間らしく生活ができていくためには文化の向上が必要なように、人間の幸福に欠くことのできない学問。だが、学問を身につけるだけで、果して人間は幸福になりえるだろうか。
 教祖様は、「学問があっても真がなければ」といわれ、「学が身を食う」とも仰ってある。学問を身につけるだけでは足りない。いや、学問を身につけたばかりにかえって、幸福になることの邪魔になってしまう結果にさえなりかねないのである。どうでも学問をする根本に、真になる研究、有難くなる勉強がいる。
 学べばいよいよ有難くなれるという和賀心学。
 和賀心学は、天地と十全に交流でき、人間が真実、幸せになれる心の学問であり、又、教祖の教えのすべてが和賀心になるための手立てなのである。その和賀心には、人間の、幸せの条件のすべてが自ずと天地から与えられ、日勝り月勝り年勝りに繁昌の一途をたどる事ができる。
 どうでも、そういう和賀心による幸せに恵まれたおかげを、まずは私たちが現わし、自分の周辺に広げていかねばならない。
 和賀心時代を創る運動とは、そういう和賀心をもって、世界総助けの大願を成就せんとする運動であり、和賀心時代の到来こそ、天地の親神様が久しく待望し続けてこられた御悲願なのである。
 和賀心こそ早急に、どれだけの人材、財をかけても研究しなければならない今の最大事である。

【注】和賀心
 お道で最も大切にされる天地書附に「おかげは和賀心にあり」とあります。
和賀心とは和らぎ賀ぶ心。和とはどんなことにもこわれない和であり、賀とはどんな中にも「おめでとう」といえるほどの祝い賀ぶ心です。(昭五三・十一・二七)

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